2010 年 のアーカイブ

小山佳奈 10年04月17日放送

01-sayoko

山口小夜子

1972年。
切れ長の目におかっぱ頭で
パリのランウェイを颯爽と歩く
一人の日本人女性がいた。

彼女の名は、山口小夜子。

「ニューズウィーク」で
世界のトップモデル6人に選ばれ
小夜子のマネキンがロンドンの
ショーウィンドーを飾った。

しかし
彼女は言う。

「本当にやりたいことが
できるようになったのは
 50を過ぎてからよ」

人生の濃度は
名声とも年齢とも
関係ない。

02-niel

ニール・ヤング

001年9月11日。

世界を揺るがせたあの事件の直後
アメリカの大手ラジオ局が
放送自粛の曲目リストをつくった。

その中にはジョン・レノンの
「イマジン」も入っていた。

ほどなくして放送された
犠牲者追悼のチャリティー番組。
おもむろに登場した二―ルヤングは
一分の迷いもなくイマジンを歌った。

「想像してごらん 
 国や宗教が存在しない世界を」

世界中の戦闘機が
パトリオットミサイルの代わりに
このメロディーを積んでくれたなら。

03-aku

阿久悠

作詞家、阿久悠について。

生涯で5000曲以上も書いた
怪物作詞家の別名は
「アナログの鬼」。

パソコンなんて無粋なものは使わない。
原稿用紙に100円のフェルトペンで
キュッキュッと小気味よい音を立てながら
一気に書きあげる。

「原稿は縦書きですから
読んでいる人は自然に頷くんです。」

たしかに彼の歌には
意味もなく頷いてしまう
強さがある。

「人間の心はアナログですから。」

04-buddy

バディ・ホリー

何ごとにもはじまりがあるように、
ロックにだってはじまりがある。

ロックの父といえば、
バディ・ホリー。

ボブ・ディランがギターをにぎったのも
ジョン・レノンが眼鏡をかけたのも
キース・リチャーズは3コードをおぼえたのも
みんなバディ・ホリーになりたかったから。

ありがとう。

あなたがいなかったら
世界はなんとつまらなかったんだろう。

05-atsumi

渥美清

風天の寅さんこと、渥美清。
彼の本名は田所康雄という。

素顔の田所は風天どころか
よく本を読み、よく映画を観る勉強家。
何事にも緻密な計算を立てる
完璧主義者だった。

私生活は一切みせず
家族も家から出さなかった。

車寅次郎を知らない人はいない。
渥美清を知らない人はいない。
田所康雄を知る人はほぼ、いない。

だから寅さんは
あんなに朗らかで
少し寂しい。

桜を見ると
江戸川堤にたたずむ
寅さんの横顔を思い出す。

06-bolan

マーク・ボラン

TREXのマーク・ボラン。
彼は若いころオカルトに凝っていて
魔女と同棲をしていたという噂もあった。

魔女はひとつ予言をした。
「あなたは大成功をおさめるが
 30になる前に血まみれになって死ぬ。」

マーク・ボランはその言葉どおり
30歳になる2週間前に
交通事故で亡くなってしまった。

おぼろにかすむ春の宵は
おぼろな話が気にかかります。

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蛭田瑞穂 10年04月11日放送

1 ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち

ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち①

ゴダール、
トリュフォー、
エリック・ロメール。

ヌーヴェル・ヴァーグの監督たちは、
もともとは映画の批評家だった。

伝統的な映画づくりを否定し、
今までにない映画の在り方を主張した。

そうして実際、そのとおりに映画を撮ったのだ。

「有言実行」とは、つまりこういうこと。

2 ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち

ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち②

フランスの映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」。
その初代編集長、アンドレ・バザン。

彼はその雑誌に、
映画への情熱にあふれる若者たちを集め、
自由に批評を書く場を与えた。

のちに、その若者たちの中から、
ゴダールやトリュフォーといった
映画の歴史を変える監督があらわれる。

アンドレ・バザン。
彼こそが「ヌーヴェル・ヴァーグの父」である。

3 ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち

ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち③

1954年、フランスの映画批評誌
「カイエ・デュ・シネマ」に、
1本の評論が掲載された。

題名は「フランス映画のある種の傾向」。
執筆したのは21歳の若者、
フランソワ・トリュフォー。

評論の中でトリュフォーは伝統的な映画手法を否定し、
監督の作家性を押し出す「作家主義の映画」を主張した。

これがフランス映画界に波紋を起こす。
波紋はやがて大きな波へと変わり、
世界の映画人を飲み込むことになる。

「ヌーヴェル・ヴァーグ」。
日本語で「新しい波」を意味する
映画運動はこうして始まった。

4 ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち

ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち④

処女作にはその作家のすべてがある。

映画監督フランソワ・トリュフォーの処女長編は
家族愛に恵まれない不幸な少年の物語。

両親に見捨てられ、孤独な少年時代を過ごした
トリュフォーの自伝的作品といわれる。

タイトルは“LES QUATRE CENTS COUPS”

邦題は、「大人は判ってくれない」。

5 ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち

ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち⑤

ジャン=リュック・ゴダールの
長編デビュー作「勝手にしやがれ」。
ゴダールはこの作品で、
さまざまな新しい試みをした。

脚本のない即興演出。
手持ちカメラによる大胆な街頭ロケ。
「ジャンプカット」と呼ばれる革新的な編集技法。
そして映画史に残る衝撃のラストシーン。

批評家アレクサンドル・アストリュックはこう語る。

 それは爆弾のように炸裂した。
 たった1本の映画で、
 ゴダールは「明日の映画」を発明したのである。

「勝手にしやがれ」の封切りから今年でちょうど50年。
未だ古びて見えないのは、
フィルムに「明日」が映っているから。

6 ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち

ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち⑥

映画監督エリック・ロメールの
デビュー作「獅子座」。

その内容はというと。

事件はほとんど起こらない。
物語は淡々と進む。

興行的にも振るわなかった。

でも、それが彼のやり方。
ありきたりの手法を否定することで、
既存の映画に反抗した。

「獅子座」。
それはロメールが起こした、静かな革命だった。

7 ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち

ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち⑦

今年1月、
89歳で亡くなった映画監督
エリック・ロメール。

彼の映画はタイトルだけで
瑞々しい映像が浮かんでくるようだ。

「海辺のポーリーヌ」
「緑の光線」
「春のソナタ」
「夏物語」

ロメールが天国で、次の映画を撮るとしたら、
どんなタイトルになるのだろう。

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坂本和加 10年04月10日放送

01-poincare

ポアンカレ予想と数学者① パパキリアコプーロス

数学の世界には、
魔物が住んでいる。
数学者、パパキリアコプーロスも
その魔物に人生を翻弄された。

パパは、最初に
ポアンカレ予想を解く。
みな、そう思っていた。
けれど、結局それは叶わなかった。

神経質で、
ひとと関わりを
持つことを嫌い、
結婚もせず、偏屈な変わり者。
墓さえどこにあるか、
わからないという。

パパの死後、
母国ギリシャの作家によって
一編の小説が生まれた。

パパをモデルにした、
ある数学者の、かなしい物語。

ギリシャでは、
ベストセラーになり、
映画化もされたという。

02-haku

ポアンカレ予想と数学者たち② ストーリングス博士

ポアンカレ予想は、
メルヴィルの『白鯨』に登場する
巨大鯨に似ている。

数学者たちは、
いつの時代も
まさに命がけで
世紀の難問と
対峙してきたのだ。

その難問は
2006年に解決済みだが、
ストーリングス博士は
未だに認めていない。
正しく言うなら、
信じられないのだ。

若かりし頃、博士は、
こんな論文を発表している。
タイトル
「ポアンカレ予想の証明に失敗する人」。

03-yon

ポアンカレ予想と数学者たち③ ハーケン博士

解けそうで、だけど、
どうしても解けないと
世界の数学者たちを
100年にわたり悩ませつづけた
ポアンカレ予想。

ハーケン博士も
そのひとりだったけれど、
途中から、180度、発想を変えた。
「ポアンカレ予想は、間違っている」。
その証明をしようとしたのだ。
格闘のつづく日々は、
正気を失いそうだったという。

けれど、三度(みたび)。
博士は発想の転換をする。
「こっちの難問なら、
午後を楽しく過ごせて、こんなにはかどる」。

ハーケン博士はそう言って、
別の、世紀の難問
「四色問題」を証明してしまった。

04-beauty

ポアンカレ予想と数学者たち④ サーストン博士

数学者たちは、
特別な世界で生きている。
そこで見つけた証明や定理を、
時に「エレガント」と賞賛する。

どう「エレガント」なのかは
凡人のわたしたちに、難しい。
たぶん聞いても、わからない。
そのくらい、数学は、
特別で特殊な別世界なのだ。

しかしサーストン博士は
数学で得た経験を
わかりやすくわたしたちに
伝えてくれる。

数学の本質は、世界をどういう視点で見るか。
物事を習うことは、物事を見ることです。

05-poincare

ポアンカレ予想と数学者たち⑤ アンリ・ポアンカレ

世界中の名だたる数学者たちが
その魅力にとりつかれ、
挑み続けたポアンカレ予想。
提唱者は、アンリ・ポアンカレ。
ニュートンやダヴィンチとならぶ、
19世紀の、知の巨人。

ポアンカレは、
じつに研究熱心な努力家だった。
ノートを持たない外出先で
思い浮かんだ数式を、
停車中の市電の車体に
書き込んでしまうくらいに。

そうでもなかったら、
世紀の難問は、
そう簡単には生まれない。

偶然は、それを受け入れる準備ができた
精神にのみ訪れる。

06-sanshiro

ポアンカレ予想と数学者たち⑥ グレゴリ・ペレリマン

むかし、東大の本郷キャンパスにある
三四郎池をなくそうという話があったとき、
猛反対をしたのは、
数学科の教員たちだったという。

数学者というのは、
「思索のための散歩」が好きなようで、
ポアンカレ予想を解いた天才数学者
ペレリマンも、ひどいときは40キロも
歩くことがあったらしい。

歩くことは、考えること。

最近、歩いていますか?

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Tokyo Copywriters' Street LIVE4

TCSL4-small

今回はこんなチラシです。
天才金井理明くんのアイデアにはいつもびっくり。

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チラシができつつあります

TCSL4-small

上はTokyo Copywriters’ Street LIVE4 のチラシのデザイン。
AD金井理明は今回もまたびっくりさせてくれた。
この人は前回の世界観をまったく引きずらない斬新なアイデアで
いつもいつも驚かせてくれる。

ことろで、先日劇団新感線の芝居を見に行ったら
高田聖子さんの「月影番外地」のチラシがちょうど出来上がったところで
さっそく1枚いただいてきた。
「月影番外地」は8月の公演だが、4月のアタマに早くもチラシができている…
どうもTokyo Copywriters’ Street LIVE はスローペースらしい。
まあ、誰も制作のプロがいないのだから仕方ないか、と思いつつ
ゴールデンウイーク前後にはチケットを発売の予定です。

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Tokyo Copywriters' Street LIVE vol.4

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日時:2010年6月26日(土)17時01分〜19時01分(16時開場)
会場:JZ Brat Sound of Tokyo
   渋谷区桜丘町26-1 セルリアンタワー東急ホテル2F
   03-5728-0168 http://www.jzbrat.com/top.html
チケット:4,200円(4月下旬発売予定)


drink_01-1


出演:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/
   坂東工 http://blog.livedoor.jp/bandomusha/
   高田聖子 http://ameblo.jp/shoko-takada-blog/




出演者

参加コピーライター:小野田隆雄一倉宏中山佐知子・山本高史・福里真一
          蛭田瑞穂・中村直史・坂本和加・上田浩和・日下慶太
          佐倉康彦・岩田純平・富田安則 他

アートディレクター:金井理明
音響:森田仁人
プロデューサー:林屋創一(TFM)




夕景


今回のライブは終了時間がちょうど日没の時間になります。
会場を出ても日が沈んだばかりの空は明るく
街はやっと灯りがともったばかり。
6月の美しい夕暮れのなかをお帰りになる皆さまに、
いまからはじまる夜をお楽しみになる皆さまに
このライブが心地よい余韻を残すことを願っております。


事務局:中山佐知子

 

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八木田杏子 10年04月04日放送



トルストイ

鈍感は最大の罪である。

そんな言葉を残したトルストイ。

鈍感な人間に、
「鈍感は最大の罪である」と言ったところで、
響くはずはないけれど。

彼らにうんざりしている人たちの
傷をうめることはできる。

あきらめて鈍感なふりをすることを、
踏みとどまらせることもできる。

傷を癒しながら、戒めにもなるなんて。
文豪が残した悪口は、気が利いている。



谷川俊太郎

答えのない質問は、大人をひるませる。

どうして、人は死ぬの?
死ぬのはいやだよ。

目をうるませながら問いかける娘に、たじろぐ母親。
詩人・谷川俊太郎は、こんなアドバイスをした。


 ぼくだったら、
 ぎゅーっと抱きしめて、一緒に泣きます。

言葉で答えられない問いかけには、
肌のぬくもりで応えればいい。

ひとりで抱えきれない不安を、
抱きしめてくれる人がいれば、
答えがなくても生きていける。



ジョン・ワラック

この人とは話しても無駄だ。
わかりあえるはずがない。

そう思い込むのは勘違いだと、
教えてくれる人がいる。

シーズ・オブ・ピースを立ち上げた、
ジョン・ワラック。

彼は、パレスチナ系アラブ人と、イスラエル系ユダヤ人の
ティーン・エージャーを話しあわせる。

僕の父さんは、おまえたちのおかげで、死んだんだ。
僕の兄弟は、君たちイスラエル軍に、殺されたんだ。

何日も何日も、憎しみをぶつけあう。
すると、ふと気がつく。

お互いが、同じことを、言っていることに。
お互いが、同じように、傷つけあっていることに。

愚かなのは、憎しみを持ちつづけ、
殺し合いをやめないことだ、と気がつく。

悪魔だと思っていた敵も、
おなじ人間だと知った子供たち。

彼らは、平和の種として、自分の国に帰っていく。



ムソルグスキーとバラキレフ

「ロシア5人組」と呼ばれる作曲家たちを
率いていたバラキレフ。

ムソルグスキーにも、
クラシックの形式を教えこんだ。

しかし、ムソルグスキーが書き上げた曲
「禿山の一夜」は、音楽理論から逸脱していた。

バラキレフは、改作を求める。
ムソルグスキーは、自分に嘘がつけない。

私はこの作品をまともだと思っていますし、
そう思うこともやめません。

理論よりも直観を信じる、ムソルグスキー。

孤独と闘いながら、150年残る、作品をうみだした。



ムソルグスキー

むきだしの魂をぶつける
ロシアの作曲家ムソルグスキー。

心のなかに手をつっこんで、かき乱すような旋律。
腹の底に響いてくる、重くるしい和音。

その音楽は、耳ざわりだけれど、人を惹きつける。

しかし、クラシックの理論をこえた音楽は、
無学と非難され、音楽家としては認められない。

しだいにアルコールに溺れていく彼を
覚醒させたのは、友人の画家の死だった。

ガルトマンの遺作、一枚一枚から、
ムソルグスキーは強烈なインスピレーションをうける。

楽想と旋律がほとばしり、
それを書きなぐる時間さえもどかしい。

わずか3週間で書き上げられた組曲「展覧会の絵」。

およそ100年後の、1970年。
イギリスのロックバンド、ELPが
この曲をアレンジして演奏すると、世界中がわいた。

ムソルグスキーのむきだしの魂は、
クラシックよりもロックのほうが相性が良い。





リムスキー=コルサコフ

武骨な天才ムソルグスキーと、
器用な天才リムスキー。

ふたりは、無二の親友だった。

批判されたムソルグスキーの曲「禿山の一夜」を
リムスキーがアレンジすると、名作といわれた。

それは、ムソルグスキーが亡くなった後、
彼の名前を残すための、苦肉の策だった。

彼が生きていたら、
楽譜に手を入れることを、許さなかっただろう。

ダイヤの原石のような天才、ムソルグスキー。
つややかに磨きあげる天才、リムスキー。

生きているうちに、ぶつかることを恐れずに。

ふたりでひとつの作品を創ったら、
どんな音楽がうまれたのだろう。



宮地勇輔

空気なんて、読まなくてもいい。
時代なんて、読めるはずがない。

農家のこせがれネットワーク代表の
宮地勇輔は、時代の追い風をうけている。

農業ブームなんて想像できなかった頃に、
会社をやめて夢を語る、彼の先行きは不透明だった。

それでも自分の道を歩きはじめたら、
時代のほうから近づいてきた。

狙うと溺れてしまう時代の波は、
無心な人のほうが、のりやすい。

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佐藤延夫 10年04月03日放送

01-ooshima

大島蓼太と桜

気が付けば、もう4月。

なんとなく、
無意識のままに
この季節を迎えてしまったと
少し心を痛めている皆さん。

次に目が醒めると夏になって、
秋は瞬く間に過ぎて
新しい年に変わっている。
またひとつ年をとっている。

そんな予感がしませんか?

時の流れにただ身を委ねていると
生き方まで雑になってしまいそう。

  世の中は 三日見ぬ間に 桜かな

江戸時代の俳人、大島蓼太(おおしまりょうた)の句です。
咲くのも早いし、散るのも早い。
人生もまた然り。
どうか今年の桜は、お見逃しのないように。

02-yamazakura

若山牧水と桜

旅と、酒と、桜を愛した歌人、若山牧水。

明治38年、宮崎から上京し
早稲田大学に入学した彼は、
ソメイヨシノばかりの光景にがく然とする。

牧水の桜は、故郷に咲くような山桜でなくてはならなかった。
だからこんな歌が生まれた。

  母恋し かかる夕べの ふるさとの 桜咲くらむ 山の姿よ

文明開化が広がるとともに
東京から追い払われるように姿を消した山桜。

ソメイヨシノは、悲しくも美しい、新しい時代の象徴だった。

03-shidare

九鬼周造と桜

桜の名所は数あれど、
誰にでも心に残る桜があり
そのすぐそばには、
えてして大切な人がいるもので。

哲学者、九鬼周造(くきしゅうぞう)は
自身の随筆でこんな言葉を残しています。

  いまだかつて京都祇園の枝垂桜にも増して
   美しいものを見た覚えがない。
    見れば見るほど限りもなく美しい。

それもそのはず、
九鬼が二度目に結婚した相手は、
京都の芸妓さんだったのですから。

04-mukou

加舎白雄、小林一茶と桜

夕暮れの桜は、
一抹の寂しさを伴うのでしょうか。

江戸時代後期の俳人、加舎白雄(かやしらお)は
向島の桜を見て、こんな句を残しています。

  人恋し 火とぼしころを 桜ちる

放浪を続けた加舎白雄は、生涯独身を貫きました。
向島の白髭神社に行けば、今もその句碑を見ることができます。

また、深川に住んでいた小林一茶は、
こう吟じました。

  夕桜 家ある人は とくかへる

花見をして家路を急ぐ人々と、
ひとりきりの我が身。

向島の桜は、夕暮れどきであれば
ひとりではなく、誰かと見に行くことをお勧めします。

でも、いま隅田川沿いを歩くと
桜並木よりも目立つのは、
建設中の東京スカイツリーだったりするのですが。

05-lune

中村汀女と桜

今年は千鳥ケ淵か、飛鳥山か・・・

昼間の桜もいいけれど、
夜桜こそまた趣深い。

その理由は、中村汀女(なかむらていじょ)の句を聞けばわかります。

  外にも出よ 触るるばかりに 春の月

大きくて柔らかな、春の月。
震えながらでも
夜桜を見上げてしまうのは、きっと
朧な空に優しいものがたくさん浮かんでいるからだ。

06-somei

ロバート・フォーチュンと桜

ソメイヨシノの学名は、
プルヌス・エドエンシス。

翻訳すると、江戸桜。

命名したのは、スコットランド生まれの植物学者、
ロバート・フォーチュンだった。

でもソメイヨシノが広まったのは
明治時代になってから。

本当に江戸を桃色に染めた山桜は、
今や23区内ではあまり見ることができない。

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五島のはなし(92)

気がつけば3月31日です。
正確にはもう4月1日だけど。
まいっちゃうなー。
月日だけがどんどんと音をたてて過ぎていきます。

東京で5年働いたら五島に帰る、と宣言してたのに
その5年はとっくに通り過ぎ。

いつか五島の山の中で
このブログにも登場した「いきもの係さん」に
「一つの道に入ったら10年は働かんばいかん
(じゃないと仕事ってもんがわからない)」
と言われたのがずーっと心に残っていたとです。
いきもの係さま、とうとう10年働いちゃいましたよー。

さて、どうしよう。
とりあえずは五島のはなしを108回まで続けなければ。
(100回まで書く、って言ったんだけどなあ。いつのまにか108回になっている)

あ、それと!
先日紹介した五島出身の映画監督
榊英雄さんが撮った「誘拐ラプソディー」は
4月3日公開ですぞー。

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「五島のはなし」継続願い

中村直史の「五島のはなし」がついに90回を越えました。
もともと108回をめざした連載ですが
本当に108回だとすると、間もなく終焉を迎えます。

が、もはや我々の日常は「五島のはなし」と共にあります。
「五島のはなし」がなくなることは
たとえば、朝、歯ブラシがなくなっていたりすることと同じです。

「五島のはなし」を愛読してくださっているみなさん、
ぜひ中村直史に激励と嘆願のお言葉をお願いいたします(玉子)

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