2010 年 のアーカイブ

小山佳奈 10年10月24日放送



「ビート・ジェネレーションの肖像」

ジャック・ケルアック、
アレン・ギンズバーグ、
ウィリアム・バロウズ。

1944年.ニューヨーク118丁目のアパートメントに
集まった若者たちがいた。
彼らはみんな未来に対する前向きな姿勢を失っていた。

華やかなアールデコの時代から
ウォール街の大暴落、
それに続いて起こった世界恐慌。
大人たちによって引き起こされた転落は
社会に対する不信感となってあらわれたのだ。

彼らは社会ではなく自分自身に興味を持った。

後に彼らは
「ビート・ジェネレーション」と呼ばれ
世界中の若者たちに
熱狂的に迎えられる詩や小説をかきはじめる。



「ビート・ジェネレーションの肖像」

「路上」というたった一冊の本で、
20世紀のアメリカの若者に神とあがめられた作家、
ジャック・ケルアック。

彼の夢はそもそもフットボールの選手だった。
しかし鳴り物入りで入ったコロンビア大学で、
コーチと大げんか。

鬱屈した想いでニューヨークを歩きまわると
そこは生まれ育った田舎町では見たことのない
まぶしさに溢れていた。

酒と、女と、ドラッグ、そして、
そのどれよりも刺激的な友人たち。

彼はあっさりドロップアウトし
狂ったように小説を書き始めた。

もしも彼がその時、コーチに気に入られていたら、
ヒッピーもロックも生まれていなかっただろう。

運命は、だいたい、ちょっとしたことで決まる。



「ビート・ジェネレーションの肖像」

孤高の詩人、アレン・ギンズバーグ。

1950年代のアメリカを席巻した
ビート・ジェネレーションの中で
いち早く売れたのが彼だった。

彼は同性愛者で、
同じくビート世代の作家、
ケルアックに一目ぼれ。

自由なケルアックに振り回されながらも
彼を出版社にせっせと売り込み続け、
それがケルアックの成功につながる。

それは「ケルアック」という名の
ギンズバーグ最高の作品だった。



「ビート・ジェネレーションの肖像」

作家、ウィリアム・バロウズ。

妻を間違えて射殺してしまったり、
幻のドラッグを求めてチベットまで旅をしたり
逸話には事欠かない戦後文学の奇才。

彼は博学だったし頭もよかったけれど、
作家になりたいなんて
これっぽっちも思っていなかった。

そんなバロウズの才能を
誰よりも惜しんでいたのは
親友のケルアックだった。

彼はバロウズが床に書き散らした文章を
拾い集めてタイピングしタイトルまでつけて
本に仕立て上げた。

友情。

陳腐な言葉だが、
誰かに対する使命感と翻訳すればうなづける。



「ビート・ジェネレーションの肖像」

かのカート・コバーンが憧れ、
今なおアメリカの若者のカルト・ヒーローで
ありつづける男。

ニール・キャサディ。

彼自身が書いたものは一篇もない。
だが彼の無軌道な生き方に、
ビート・ジェネレーションの仲間たちは
憧れ、嫉妬した。

ガムのようにたやすく車を盗んだかと思えば
ショーペンハウアーを諳んじ女をくどくニール。

それは小説のヒーローとして申し分のない素材で
ケルアックは彼との旅を一冊の本に記した。

それが「路上」
無軌道なヒーローに世界中の若者は酔い
ケルアックはスター作家になった。

そんな成功とはまるで無関心に
ニールはあっけなく死んだ。
メキシコの道の上で裸で倒れていた。

まさに「路上/オン・ザ・ロード」

ニール・キャサディは自分自身が作品だったのだ。



「ビート・ジェネレーションの肖像」

若さとは実験である。

作家、ジャック・ケルアックは、
タイプライターの紙を交換する手間が
どうにも許せなかった。

浮かんだ言葉がその瞬間に
逃げていくからだ。

かくして彼は、
トレーシングペーパーを何百枚もつなぎ
40メートルもの巻物を作った。

ケルアックは
わずか20日で17万5千字の小説を書き上げたけれど
そんな面倒くさい巻物を読む出版社はどこにもなかった。

2001年、その巻物にタイピングされた
「オン・ザ・ロード」の原稿には
240万ドルの値段がつけられている。



「ビート・ジェネレーションの肖像」

作家にとって
世に出ないことは
存在しないも同然である。

作家、ジャック・ケルアックは
ほぼ10年間、
無名であった。

先の見えない毎日の中
彼がそれでも書き続けられたのは
友人たちのおかげだった。

ギンズバーグはダリや知識人と引き合わせ、
バロウズは乞食同然の彼に
執筆できる部屋とタイプライターを用意した。

ケルアックは
世界で一番幸せな無名作家だった。



「ビート・ジェネレーションの肖像」

1967年、
ビートの作家、ジャック・ケルアックは
アルコールの過剰摂取で死んだ。

若者のカリスマとまつりあげられた彼も
晩年は忘れ去られた存在になっていた。

しかし葬式当日。
町の人は異様な光景を目にする。

何百人という若者が全米中から集まり
献花の列をなした。

それから半世紀。

ビートルズ、
ボブ・ディラン、
コッポラ。

みんなみんな、
ビートに憧れて育った。

ケルアックは言う。

「若者よ、狂え。」

Jack Kerouac by photographer Tom Palumbo from New York, NY, USA

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賢猫

この猫ともう15年以上も一緒にいる。
チビのときは病弱だったが、18ヶ月めあたりから
病気をしなくなった。

とはいえ、年を取ると免疫力が落ちるので
数年前にはワクチンに負けて片目が腫れて
血膿を流しつづけたことがあった。
正月休みだったのでほとんど寝ないで看病した。

賢猫は一日に二回、ストンストンと階段を降りた。
トイレでしゃがみ、ササミを半分食べて
またゆっくりと二階に上がって寝る毎日だった。
ときどき膿を出すために腫れた目の下を押すと
小さな声で「ウワン(痛い)」と鳴いた。
けれど、抵抗はしなかった。

飼い主は片目が見えなくなったらどうしようなどと
余計な心配をいっぱいしたが、猫はそんなことを考えない。
猫は過去を悔いることがない、未来を案じることもない。
猫は粛々と自分の運命をただ受け入れている。

この賢猫に教えられたことは多い(玉子)

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ベベンコビッチオーケストラ無料ライブ

五島人による五島のためのバンド
ベベンコビッチオーケストラの単独ライブです。

とき:11月2日19時から
ところ:表参道HOLOTにて

詳細はベベンコビッチのHPまたはブログをご覧ください
ブログ:http://blog.goo.ne.jp/bebencobicci
HP:http://www.bebencobicci.jp/

なお、ベベンコビッチオーケストラは
ライブの翌3日には「ナイスミドル音楽祭全国大会」に出演します。

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名雪祐平 10年10月23日放送


熊谷守一 1

自分の絵は、売るためのものではない。
描きたいときに描くもの。

画家、熊谷守一はそう考えていた。
けれど、絵が売れなければ、貧しい。

4歳の息子が肺炎になっても十分な治療ができず、
命をなくした。

その死に顔を、
画家は描いたのだった。

絵を描かずに死なせた息子の亡骸を
描く自分に愕然とした。

それでも、
売るための絵は描けなかった。

画家は筆をおいた。


熊谷守一 2

絵が描けない画家、熊谷守一。

貧しさから
次々と子どもたちを病で失ったが、
売るための絵は描けなかった。

ようやく60歳近くになって、
書や墨絵にめざめ、
こんどは娘の死をきっかけに
再び“絵を描く画家”に生まれ変わったのだ。

この後、画家は自宅の門から外へは
30年間出なかった。

小さな庭が画家の宇宙になり、
そこに息づく草花や虫、
生き物たちの命とたわむれ、
一日中眺め、
画家は唯一絶対の画風を
獲得していった。


熊谷守一 3

熊谷守一の絵は、
独特である。

単純な色と線で、
対象物の内面まで表現する。

なにしろ、対象物への
愛情にあふれている。画家は言う。

 絵でも字でも
 うまく描こうなんて
 とんでもないことだ。

名誉やお金にはまったく無頓着。
文化勲章も
「これ以上人が来るようになっては困る」
と辞退した。

97歳の死の直前に描いた名作『猫』は、
その自由で、のびやかな猫の表情が
まるで熊谷の自画像のようにも
思えてくる。


アンデルセン

童話の父、アンデルセン。

若い日には、
オペラ歌手をめざしたり、
バレエ学校にも在籍したものの
失敗と挫折を繰りかえした。

その経験が、のちの
『みにくいアヒルの子』を生んだ
ともいわれる。

作家として大成功し、
まさしく美しい白鳥となったアンデルセンだったが、
女性に対しては醜いアヒルのように
モテることなく、生涯独身でおわる。

葬儀は、デンマークの国葬をもって
おこなわれた。

女性との縁に恵まれなかったが、
葬儀には王族からホームレスまで、
もちろん子どもたちも参列した。

たしかに、アンデルセンは
たくさんの人々から愛されたのだった。
そしていまも、
世界中の子どもたちを夢中にさせている。


ディオゲネス

ギリシャの哲学者、ディオゲネス。

みすぼらしい路上生活を送り、
どこでも平気で物を食べた。
そんな彼を見て、
人々は「まるで犬だ」とののしった。

ディオゲネスはこう言い返した。

「人が物を食っているときに集まってくる
 おまえらこそ犬じゃないか」

食べることがおかしなことでなければ、
どこで食べてもおかしなことではない。

それが彼の哲学。

さて、現代。
道ばたで、地下鉄の中で、
物を食べている人々も哲学、
しているのだろうか。


エルンスト・ルスカ

ノーベル賞の条件。
それは長生きすること。

功績をあげてからの最長記録は
55年後の受賞。

その1人、エルンスト・ルスカは
25歳の年に電子顕微鏡を開発し、
80歳の年にノーベル賞物理学賞を受賞した。

今の研究開発が
未来のノーベル賞かもしれない。

みなさん、長生きしましょう。


ムンク

孤独と不安。

それらを絵で表現するとしたら、
どんな色だろう。
どんな形だろう。

1つの見事な答えがある。
ムンクの『叫び』

不気味な赤い空。
ミイラのような男のゆがんだ表情。

自然をつらぬく、けたたましい、
終わりのない叫びに耐えかねて
男は耳をおさえている。

なぜ、ムンクには叫びが聴こえたのか。

 病と狂気と死が、
 私の揺りかごを見守っていた黒い天使だった。

そんなムンクの孤独と不安が
世界の叫びと激しく共鳴したのだろうか。

ムンクの『叫び』
それはまるで1枚の音。

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薄景子 10年10月17日放送



本のはなし 五味太郎

読むというより、中に入っていっしょに遊ぶ。
そんな絵本を次々生みだす五味太郎。
彼のエッセイが名門私立中学の
国語の試験に出たことがあるという。

作者の意図を次の4つから選びなさい。
全体の論旨を50字以内でまとめなさい。
出題はぜんぶ五味さんの文章がらみだった。

試しにそのテストをやってみたという五味さん。
当然100点かと思いきや、フタをあければ68点。
85点が合格ラインの入試に、
不合格という結果になってしまった。

作者本人だぜ、たのむよ、中学に入れてくれよ。
とこぼしつつ、
この気分を50字以内にまとめてみよう!
と洒落で流すユーモアセンス。

どんなことでも面白がれる、五味さんの器は無限大。

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石橋涼子 10年10月17日放送



本のはなし 森見登美彦

本は、読み終わってからが始まりかもしれない。

芥川龍之介は今昔物語を読んで「藪の中」を書き、
太宰治はギリシャ神話のエピソードから「走れメロス」を書いた。

そんな巨匠たちの作品を愛読しカバーしたのは、森見登美彦。
「新釈走れメロス他四編」という短編小説集は
近代日本文学の名作を現代に置き換えたものだ。

なぜ書いたのかと聞かれると、彼はこう答えた。


 やりたくてしょうがなかったので
 やったとしか言いようがない。

さあ、読書の秋。
今あなたが読んでいる本からは、何が生まれるだろう。



本のはなし 松谷みよこ

児童文学作家の松谷みよこは、
終戦直後の東京でデビューした。

当時は道徳的な読み物だった児童文学で、
彼女は戦争の辛さや社会の厳しさも隠さずに描いた。

松谷は、子どもをひとりの人間と考えている。
切ないことも厳しいことも受け止めるひとりの人間、と。

師匠である坪田譲治の教えは、この一言だったという。


 人生をお書きなさい。



本のはなし 安藤忠雄

専門教育を一度も受けることなく
世界的建築家になった安藤忠雄は、大阪の下町で育った。
働き方も、生き方も、不器用でまっすぐ。

しかし、どんなに素晴らしい建築でも、
クライアントに説明できなければ建てられないし、
職人とケンカしてしまっては、完成しない。

あるとき、下町の小さな会社の社長に言われた。


 キミはおもしろい人間だけど、
 もっと本を読んだ方がいい。

安藤は、その言葉に従うことにした。
収入の半分は本にかける。そう考えて、大量に本を買った。
気になる部分にアンダーラインを引きながら読み
くりかえし読むたびに変わるラインの場所から
自分の思考の変化を分析したという。

今、安藤忠雄はこう語る。


 先人の英知が詰まった本は、誰にも開かれた心の財産。
 それを自ら放棄することは、あまりにも愚かなことだ。




本のはなし 俵万智

25歳で出版した歌集「サラダ記念日」が
ベストセラーになった女流歌人、俵万智。

一児の母になった彼女にとって、こどもの言葉は、
まっさらな目で世界を見る発見にあふれている。

おんぶしてほしいときは、
「せなかでだっこして」とせがみ、

半端な時間にお菓子を食べたいときは
「きもちが3時なの」とねだる。

俵万智は子どもの成長に驚いたり喜んだりしながら
こんな歌を詠んだ。


 たんぽぽの綿毛をふいて見せてやる
 いつかおまえも飛んでゆくから


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熊埜御堂由香 10年10月17日放送



本のはなし スヌーピーの素顔

世界中で大人気のキャラクター、スヌーピー。

もともとはアメリカの人気漫画家
チャールズ・M・シュルツが
新聞に連載していた「ピーナッツ」という漫画の登場人物だ。

漫画の中で描かれるスヌーピーは
犬小屋の屋根の上で空想にふけり、多くの名言を残している。
例えば、こんな人生訓。


 羊として12年生きるより、
 ライオンとして1日生きるほうがましさ。

犬だって哲学するときがある。



本のはなし 魔女の宅急便

ジブリ映画で知られる「魔女の宅急便」。
原作は角野栄子(かどのえいこ)が書いた児童文学だ。
1985年に1巻が発売。
主人公の魔女のキキは13歳で修行にでかける。
人々に世の中には不思議なことがたくさんあるのだと、
自分の魔法で教えるという役目をせおって。

角野は、キキに「ほうきで飛ぶ」という魔法をひとつだけ授けた。
キキは、ひとを驚かせたり、怖がらせたりする魔法ではなく
ほうき1本で世界の不思議を街のみんなと共有したのだ。

その後も、キキたちの物語は紡がれ続け、昨年6巻でついに完結した。
キキは、34歳。初恋のとんぼさんと結婚して
2人の子どもがいる。
少女のころに降り立った街で、
ずっとずっと暮らしてきた。

角野は言った、
魔法はたったひとつでいい。そしてそれは、
魔女でなくたってきっと誰もが必ず
ひとつは持っているものなのだと思って
書き続けてきました。

そう、魔女のキキの物語は、
わたしたちの物語でもある。



本のはなし 装丁家・鈴木成一

装丁家・鈴木成一(すずきせいいち)。
約8000冊を手掛けた彼の方法論は明確だ。

原稿を読み込み、個性をかたちにすること。

装丁は、本の第一印象。
見かけに惚れてはじまる恋があってもいい。
気になる表紙の1冊を手にとってみよう。

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坂本和加 10年10月16日放送


「かける」× マーガレット・ハウエル

椅子は、かけるもの。
けれど、だれもかけていなくても
美しいと思わせる椅子がある。

ミッドセンチュリーの英国製。
その椅子を復刻し、
現代にプレゼンスしたのは、
ファッションデザイナーの
マーガレット・ハウエル。

アーコール社製の
その椅子には
著名なデザイナーの
華々しさはないけれど、
質のいい職人の作った
堅牢な機能美がある。

長く使えるもの。
多少ほころびても、
くたびれても、捨てられないもの。

「よいもの」であること。
それがマーガレット・ハウエルのデザインだ。

Good design is timeless.


「賭ける」× 寺山修司

ひとつの肩書きにはおさまらず、
まさに、職業「寺山修司」だった彼が、
大の競馬好きでもあったことは、
よく知られていること。

おもしろいのは、
寺山流馬券の買い方。
クセのある馬を気に入っては
手元の数字を組み合わせて
当てずっぽうに買う。
だから寺山は結局
いつもゼロに賭けた。

「儲かってますか」という質問には、
こんなふうに返したという。

では、あなたがこれまでに見た芝居で、
泣いたのと笑ったの、どちらが多いですか?

競馬ファンが握りしめているのは、
馬券なんかじゃない。
自分自身の過去と未来だ。


「かける」× 浜田真理子

ファン層は30代女性を中心。
そのライブには
著名なタレントや女優まで
足繁く通うという
シンガーソングライターがいる。
浜田真理子。

ちいさなジャズバーで
始まった彼女の音楽は、
いつしかせつない言葉たちを
味方につけた。

クチコミで広がった噂に、
メジャーデビューの声もかかった。
けれど彼女は、いまも松江で、
好きな音楽をして、
ふつうのひとと同じように暮らす。

東京に行かないのは、
東京でなくても、できるから。

本物というのは、やっぱりすごい。


「かける」× 小出義雄

育てた上げたマラソン選手は、
きっともう数え切れない。
有森裕子も、高橋尚子も
あの監督がいなければ、
メダルはなかったと口をそろえる。
それが、小出義雄監督だ。

小出監督は、
昨今のマラソンブームの立役者でもある。
都知事に東京マラソンを提言し、
ウェブでは市民ランナーを
指南する「小出道場」を運営する。

「一般のひとに、マラソンの楽しさを」。
金メダルのつぎに見た小出監督の夢は、
あっという間に叶った。
いまは2度目の金メダルの夢を見ている。

とにかく好きなんだな、かけっこが。

監督、つぎのオリンピックが、
今から楽しみです。


「夢にかける」× 野口聡一

宇宙飛行士、野口聡一さんは、
小学校1年生のとき文集に
「ロケットに乗りたい」と書いた。

初フライトは40才。
野口さんは30年以上も、
夢を追いかけつづけたことになる。

ただ毎日、ちいさな目標を
掲げてクリアする。
その積み重ねの延長に、
宇宙の夢も見えてきた。

100年後、宇宙飛行士は
めずらしくない職業になる。
僕は歴史に名を残すより、
宇宙への挑戦を続けた
名もなき宇宙飛行士のひとりでいい。

そうか、情熱が夢を追いかけているのだ。


「書ける」× 眞木準

たとえばあなたが、
うまいスピーチや
企画書の書けるひとを、目指すなら。
ことばを、豊かで美しく、
広がりと厚みのある
表現に変えてくれる
テクニックがある。

たとえば、
古今和歌集の時代から
いまも連綿と続く掛詞。

平成のレトリックなら、
広告のキャッチコピーに、
それが見つかる。

 ネクタイ労働は、甘くない。

コピーライター、眞木準。
クールでシャレた
コピーをつくる天才だった。


「手塩にかける」× 金子美登(かねこ よしのり)

いまでこそ有機野菜は、
安全でおいしい、
栄養価も高いと人気だが、
40年前は、そうではなかった。

お手本を里山の生態系に、
金子美登さんは
独自の有機農法を実践した。
利潤を追求するより、
「見事に循環している自然」
に含まれること。ひとも野菜も。

生産量が少ない
金子さんの野菜を
味わえるのは地元のひとだけ。

だから、いいのだ。

全国各地に、金子方式ができれば、
日本が抱えるさまざまな問題も
かわるだろうと
金子さんは思うから。

21世紀は耕す文化。
工業や製造業にはない感動が、
まだ農業にはあると、鈴木さんは言う。

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ベベンコビッチを応援しよう 2

五島人による五島のためのバンド、
ベベンコビッチオーケストラが出場した
ナイスミドル音楽祭、福岡大会の様子らしきものが
アップされていました。
11月3日には東京大会に進出です。
また前夜祭ライブも開催。
詳細はわかり次第ベベンコビッチHPに掲載されます。

ベベンコビッチオーケストラ:http://www.bebencobicci.jp/

ベベンコビッチ演奏

ベベンコビッチ、インタビュー

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ベベンコビッチを応援しよう

中村直史くんのふるさと五島には
ベベンコビッチオーケストラという方言で歌うバンドがいる。
「五島のはなし120」にも記事が載っているが
このたび全国ナイスミドル音楽祭の全国大会に出演が決まった。

ナイスミドルという言葉がやや気にならないでもないが
11月3日には恵比寿のガーデンホールで開かれる大会に
本当にホントに出場する。

みんなでベベンコビッチを応援しよう。

*全国ナイスミドル音楽祭:http://www.toyopet-ms.com/
*ベベンコビッチオーケストラ:http://www.bebencobicci.jp/album.html

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