小宮由美子 11年02月12日放送


お腹がすいてきた① 水上勉

幼い頃、京都の禅寺で暮らした作家・水上勉は、
精進料理の作り方を叩き込まれた。
食べ物を粗末に扱うことはゆるされない暮らし。
毎朝、畑と相談して、何もない台所から作れるものを絞り出した。

ある日、台所の隅に、ほうれん草の根っこの部分を
切り捨てたのを老師に見つかった。
叱られるでもなく、拾い集めた根を渡されて、水上少年は赤面する。

「いちばん、うまいとこを捨ててしもたらあかんがな」
老師の言葉に、禅の教えが重なった。
ほうれん草の柔らかい葉も、固い根っこも、平等のいのち。
どっちを尊び、どっちをさげすむことがあってはならない。

後年、水上は『土を喰う日々』の中にこう書いている。

ぼくはそれ以来、今日にいたるまで、たとえば、料理屋や、
呑み屋などで、ほうれん草のひたしが出ると、根をさがすのだ。


お腹がすいてきた② 藤田嗣治

女優・高峰秀子が、
パリに暮らす画家・藤田嗣治を訪ねたときのこと。
長く祖国を離れている嗣治に、秀子は聴いた。

「日本の何が食べたいな、と思いますか?」

「根三つ葉、しその葉、みょうが、ふきのとう、
柚子に筆しょうがにくわいに納豆、…」

たちどころに十品ばかりを口にした嗣治のことを、
秀子はエッセイの中でこんなふうに言っている。

レオナルド・フジタなんて名前になって、すっかりフランス人に
なっちゃったけれど、藤田先生ほど「日本人」だった人はいない。


お腹がすいてきた③ 向田邦子

作家・向田邦子は料理を作るのが好きだった。
作った料理を食べてもらうことは、もっと好きだった。

よく家に人を招いてもてなした。
メニューの多くは、気取りのない「いつものおかず」。
不意の来訪にも、心づくしの品が並んだ。
たとえば、寒い夜に訪れた来客には熱いほうじ茶と、
冷蔵庫に作りおきしてあるさつまいものレモン煮を。
夕食を食べはぐれた若いディレクターには、
有り合わせを工夫したお腹の足しになるものを。

「善はいそげ。私はつくりたい料理をつくるとき、
原稿の締切が迫っていて、本当は料理に励むより
字を書かねばならないとき、自分にこう号令をかける」

そんな邦子だから、気づくと原稿用紙にお品書きなどを
連ねてみたり、作ってみたいレシピを書き留めたり。

いつ原稿が出来上がるのかと気を揉んだ人もいたろうが、
温かいもてなしに心満たされた人もまた、大勢いたことだろう。


お腹がすいてきた④ アーン・バックストロム

アルプスの山々に囲まれたスキーリゾート、シャモニー。
フリースキーヤーとして、輝かしいキャリアを築いていた
アーン・バックストロムは、
仲間とともにこのシャモニーの凍りついた岩山を自力で登り、
命の危険をはらんだ伝説的なラインに挑もうとしていた。

辿り着いた岩の峰から、アーンは遂に滑り出す。
烈しい斜面。延々と続く雪の急カーブ。
スピ―ドをあげ、ターンを刻みつづけるアーンの中に、やがて
「山が与えてくれる力強い感情」が生まれる。
「自分がどんなに些細な存在であるかを再確認」し、同時に
「自分の存在を強烈に」感じる瞬間。

この冒険について語ったエッセイ「重力にまかせて」を
締めくくるのは次の一文だ。

2,700メートルの標高を下り、着込んでいたレイヤーを
剥ぐように脱ぐと、Tシャツ姿でバーに行く。美しい春の午後、
ビールとエスプレッソがこれまでにないほど美味しく感じられた。


お腹がすいてきた⑤ ジョエル・ロブション

私の母は、夜の食事にもしばしばクレープを作ってくれました。
そして、ちょっとしたいたずらをして遊ぶのです。
母は、2枚のクレープの間に適当に糸を隠し入れておく。
すると、誰かがそれを間違って口に入れてしまう。口をもごもご
しないわけにはいかず、それを見て、皆で大笑いするのです

ジョエル・ロブションの幼いときのエピソード。
「地球上で最も有名な料理人」のひとりとうたわれる彼の<食の喜びは>、
慎ましくあたたかな家庭の食卓で、こんな風に培われた。


食のよろこび⑥ クロード・オスカール・モネ

画家・モネは、庭づくりを、そして、食べることを愛した。

理想の食卓を実現するため、
家族や料理人に、材料や調理法を厳しく指示し、
美味しいタルトを目当てに小旅行を企画することもあった。

「例のジロール茸のレシピを送ってもらえると嬉しいのですが。
 今ちょうどこのキノコがたくさん生えていて、
 私の中の食いしん坊が、あなたにレシピを聞けと催促するのです」

友人の家で気に入った料理と出会えば、モネは手紙で
作り方をたずね、6冊にも及ぶレシピノートを残した。

夕食はいつも19時半。
食事の時間を知らせる銅鑼(どら)が鳴らされると、
大家族でテーブルを囲んだ。
モネにとって、一日のうちの至福のひとときだったに違いない。


お腹がすいてきた⑦ 高峰秀子

早春の味の楽しみは、「蕗の薹(ふきのとう)」のホロ苦さに始まる。

とはじまる女優・高峰秀子のエッセイは、読んでいるだけで美味しそう。

ぐらぐらと煮え立つお湯に多めの塩をふり、蕗の薹を入れ、
サアーッと緑が冴えるのを見る。茹で上がったら水でさらして
こわれないようにそうっと絞る。あとは、酒とみりんと薄口醤油に
だし汁を加えて、ふんわりと煮るだけ。お椀に3個ほど盛って
食卓に置けば、さわやかな匂いの漂う春のお膳の出来上がり。

生きている内に、あと何回、蕗の薹に会えることかしら?
ふっと、そんなことを考えながら口に含むと、
ホロ苦さがいっそう身にしみるようだ。

秀子の言葉に、食と人とも、一期一会だということを気づかされる。

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コメント / トラックバック 1 件

  1. 星降る子 より:

    向田邦子さんも 高峰秀子さんも そのご著書を読みました。
    高峰さんの映画も数本。24の瞳の小豆島の小学校も観て参りました。
    懐かしい木造りの小学校、机、黒板、廊下、本当にそこに大石先生がいらっしゃるようでした。
    向田さんのサツマイモのレモン煮、美味しいですね。妹さんのエッセイも流石お上手で、
    私は新聞などで見かけると切り抜きをして味わいます。
    生きている間に 食を楽しむ、、大切なことですね。
    死の間際に、何か後悔することは?と訊かれた方々は 会いたい人に会えなかった、とか
    食べたいものを食べられなかったとか、行きたい所に行けなかった、とか 後悔されるそうです。私も後悔が少なくて済むように、食を大事に 人とのお付き合いを大事に、そして旅を出来るだけ出来るように、、と心がけて生きるようになりました。
    いろんな話題をこちらで読ませて頂きました。ありがとうございます。
    どうぞ 良いお年を!     大阪の星降る子でした。

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