2012 年 6 月 のアーカイブ

ごぶさたごめんなさい

今年もカンヌの季節がやってまいりました。

なんでも、今年カンヌに行く方の何人かが

この「カンヌの話」をのぞいていると聞き

なんだかとても申し訳なく思い、

ちゃんと去年の受賞作のこととか

これがおもしろかったと思う、ということも

ちゃんと書いておかなければと思ったので

書こうと思います。すみません。

顔も名前も知らないあなたのために書きます。

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藤本宗将 12年6月10日放送


Judy **
歴史家の「時間」 アルレット・ファルジュ

現代に生きる者は、神の視点で過去を見る。
どんなできごとの結末も、すべて知っているからだ。

しかしそれはある種のハンディキャップだと、
歴史家アルレット・ファルジュは言う。

 「歴史家は常に、エンドタイトルが終わった後から
  逆向きに映画を見るしかない。
  しかし私は、何とかしてこの映画を
  最初から見ることができないものだろうかといつも考えている

結末を知らずに生きられるのは、しあわせなことかもしれない。

あなたは、どんな「いま」を生きますか。
きょうは、時の記念日。


Peter Alfred Hess
経営者の「時間」 P・F・ドラッカー

経営学者ドラッカーは、
著書『経営者の条件』のなかでこう書いている。

 「時間は、特異な資源である。
  借りたり、雇ったり、買ったりして増やすことができない
  時間は他のもので代替できない

そこで彼は、徹底した「時間管理」の必要性を説いた。
しかし彼が無駄な時間を削る目的は、
単なる合理化ではない。
本当に大切なことに時間を回すためだった。

それは、人と話すこと。

彼はこうも言っている。

 「肝心なことをわからせ、何かを変えたいのであれば1時間はかかる。
  何らかの人間関係を築くには、はるかに多くの時間を必要とする

もしあなたが経営者でなくとも、それはきっと同じはず。

たまには、誰かとゆっくり話す時間をつくってみませんか。
きょうは、時の記念日。


DeusXFlorida
政治家の「時間」 ジョン・F・ケネディ

 「この国は、この10年が終わるまでに
  人間を月に到達させ、なおかつ
  無事に帰還させることを約束すべきだ」

1961年、アメリカ合衆国大統領に就任したばかりの
ジョン・F・ケネディは、こう高らかに宣言した。

当時の宇宙開発競争は、明らかにアメリカが劣勢。
すでに有人宇宙飛行を成功させ
技術で先を行くソビエトを、本当に追い越せるのか。
そもそも、月面への到達など可能かどうかもわからない。
そんななかでの宣言だった。

いちど政治家が語れば、もはや単なる夢ではない。
10年という期限つきの「公約」だ。
にもかかわらずケネディは、月ヘの道を選んだ。
それが容易だからではなく、困難であるがゆえに。

そして1969年。あのスピーチから8年後。
アポロ11号は、月へ人類を送り届けることに成功した。

しかし国民との約束を果たしたケネディは、
大統領としてその瞬間に立ち会うことはできなかった。
1963年11月22日、テキサス州ダラスでその生涯を終えていたからだ。

あなたは、10年後の自分にどんな約束をしますか。
きょうは、時の記念日。



植物学者の「時間」 カール・リンネ

色とりどりの花を文字盤に配置した、花時計。

公園でよく見かけるこの時計を考案したのは、
スウェーデンの植物学者カール・リンネ。

もともとの花時計は飾りではなく、
花が開いたり閉じたりする様子で時刻がわかるものだった。

6時、オウゴン草。
7時、センジュギク。
8時、ヤナギタンポポ。

花のいのちがリズムとなって刻む時間。
30分以内の誤差があるというが、
世の中それくらいでいいんじゃないか、とも思ってしまう。

ときには、自然のリズムで過ごす時間も必要かもしれません。
きょうは、時の記念日。



アスリートの「時間」 古橋広之進

1948年のロンドンオリンピックに
参加を認められなかった敗戦国の日本。
日本水泳連盟がオリンピックの日程にあわせて
東京で開催した日本選手権で、
古橋広之進は驚異的なタイムをたたき出した。

  400メートル自由形 4分33秒4
 1500メートル自由形 18分37秒0

時差の関係で数時間後に行われた
オリンピックでの優勝タイムを、はるかに上回る世界記録。
しかし日本は国際水泳連盟から除名されていたため、
記録が公認されることはなかった。

タイムでは上回っていても、記録には残らない。
実際に金メダルを得たわけでもない。
そのむなしさをぬぐい去るように、古橋はその後33回も世界記録を更新する。

そして4年後のヘルシンキ。
ようやく参加が認められたオリンピックの舞台で
400メートル自由形に出場した古橋。
しかし全盛期を過ぎたトビウオは、8位に終わる。
コンマ1秒を争って数々の勝利をあげてきたアスリートも、
大きな時の流れには勝てなかったのだ。
時間は、勝負より残酷である。

あなたは、時間の流れとどう向きあいますか。
きょうは、時の記念日。


BarelyFitz
物理学者の「時間」 アインシュタイン

理論物理学における「時間」のとらえ方は、
これまでさまざまに変化してきた。

たとえば古典的なニュートン物理学においては、
時間は一定の速さで一直線上を流れる「絶対時間」。

これに対しアインシュタインの時間は相対的である。
相対性理論では光の速度が絶対的な基準となり、
時間と空間の方が変化する。

相対的な時間ということに、ピンとこないかもしれない。
アインシュタイン自身の解説は、こうである。

 「可愛い女の子と1時間一緒にいると、1分しか経っていないように思える。
  熱いストーブの上に1分座らせられたら、どんな1時間よりも長いはずだ。
  相対性とは、そういうことだよ

あなたが過ごしているこの時間が、短く感じられていますように。
きょうは、時の記念日。


taka_suzuki
エンジニアの「時間」 本田宗一郎

せっかち。短気。
本田宗一郎を知るものは、決まって彼をそう評する。

なにかアイデアが閃くと、
ポケットからチョークを取り出し、
工場の床に夢中で図面を描きなぐる。

彼が立ち去ったあと、
残った社員は床にトレーシングペーパーをかぶせ、
図面をなぞったものだった。

 「人より1分でも1秒でも早ければ、特許になる。
  すべてスピードじゃないですか

本田にとっては、技術開発もタイムを争うレースだった。

あなたには、時間を惜しんで取り組めるものがありますか。
きょうは、時の記念日。


Kohei314
漫画家の「時間」 水木しげる

1日10時間。
それが、漫画家・水木しげるの睡眠時間。

漫画家といえば締め切りに追われているイメージだが、
水木の人生哲学は「睡眠至上主義」。彼はこう語る。

 「睡眠を削って頑張るのを良しとする風潮が日本中を覆っています。
  実に嘆かわしい。眠るが勝ちです

 「10時間たっぷり寝るのです。それを1年間続けなさい。
  少しバカになりますが、あくせくした人生観が変わります。
  これが幸せへの第一歩です

これだけのマイペースぶり、
なかなか凡人には真似できそうにない。

とはいえ、目が覚めているあいだについて言えば、
水木の漫画に打ち込む集中力たるや猛烈なものだったらしい。

起きているときがオン。寝ているときがオフ。
これほど単純で効率的なオン・オフの切り替えはないだろう。

ゆっくり眠るのも、立派な時間の使い方ですよ。
きょうは、時の記念日。

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佐藤理人 12年6月9日放送



ブルース・リーの1秒

 考えるな。感じろ。

映画「燃えよドラゴン」のこの台詞で有名な、
アクションスター、ブルース・リー。

「アチョー!」という雄叫びと共に
ナイフのような肉体から繰り出される技の数々。
ブルッと動いたかと思うと、
次の瞬間、もう相手は吹っ飛んでいる。

そのスピードは余りに速すぎて、
通常の1秒24コマのフィルムでは
何が起きたのかほとんどわからなかった。

そのため闘いのシーンだけは
コマ数の多い特別なフィルムで撮影し、
手足の動きが少しでも見えるよう
編集し直さなければならなかったという。

実際のリーの技は、映画より遥かに速かった。
そこにはたゆまぬ自己鍛錬に裏打ちされた
本物の強さがあった。



サルバドール・ダリの時計

1931年のある夜。一人の画家が、
夕食に出たカマンベールチーズを見つめていた。
溶けゆくチーズを見ていると突然、

 スーパーソフト

という概念がその心を強烈に捉えた。
2時間後、その画家の最も有名な絵が完成した。

 記憶の固執

と名付けられたその絵には、
チーズのように溶けて垂れ下がった
不思議な時計が描かれていた。

男の名はシュルレアリスムの巨匠、
サルバドール・ダリ。

彼は言う。

 柔らかな時計は自らの遺伝子の巨大な分子である。
 舌平目の肉のように
 機械的な時間という鮫に飲み込まれる運命なのだ。

溶けていく時計….
人の記憶のなかの時間は
これほど曖昧で儚いものなのか。


jef safi
アンリ・ベルクソンの5分

 5分とは何か?

5分とは、時計の長い針が30度動く時間のこと、と
答えるのは簡単だけれど

 私たちが時計で測っているものは、
 果たして本当の時間と言えるのか。

ノーベル賞を受賞したフランスの哲学者、
アンリ・ベルクソンは考えた。

時計の針が実際に測っているのは、
30度という「空間の角度」にすぎない。

では、時間とは何か?

彼は言う。

 本当の時間は決して測ることができない。
 それは混沌と絡み合った「意識の流れ」なのだ。

「時間」を見ることができない三次元の世界で
「時間」についての議論はいまも多い。



「柳沢教授の腹時計」

 腹時計は頭のなかにあった。

古来ヒトには、
お腹の空き具合で時間を計る、
体内時計が備わっているとされてきた。

しかしテキサス大学の
柳沢正史教授の研究によると、
食欲はお腹ではなく、
脳のある部分が司っているらしい。

食事の時間になると、
脳のその部分が食欲のスイッチを
自動的にオンにするというのだ。

夜中の間食がなかなかやめられない、
という人は、自分の腹時計の針を、
合わせ直してみるといいかもしれない。


claris
シンディ・ローパーのタイム・アフター・タイム

 目の前に人が倒れていたら、あなたは助ける?
 それとも踏みつけて行く?

2011年3月11日の東日本大震災の直後、そう言って、
ツアーのために来日したアーティスト、シンディ・ローパー。

他の海外ミュージシャンが日本公演を中止して帰国、
または来日をキャンセルする中、予定通りコンサートを行った。
更に会場で募金を呼び掛け、コンサートをチャリティイベントにした。

彼女の初の全米ナンバー1ソングにして、
マイルス・デイビスなど数多くのアーティストにカバーされ続ける名曲

 タイム・アフター・タイム

その歌詞にこんな一節がある。

 もしあなたが迷子になっても
 あなたにはきっと見える 私を見つけられる
 何度だって
もしあなたが倒れても 
 私が受け止めるわ あなたを待っているの

 いつもずっと

ツアーを終えて日本を離れる時、
シンディはインタビューでこう話した。

 人生にはいろんなことが起こるけど、
 それで壊れちゃうわけじゃない。
 逆に強くなれる。たくましくなる。
 新しいことを発見していける。

本当に強い人だけが、優しい歌をうたえるのかもしれない。



H.G.ウェルズのタイムマシン

もしも時間を旅することができたら、
過去と未来、どちらに行きますか?

SFの父、H.G.ウェルズが書いた小説「タイムマシン」。
主人公が選んだのは80万年後の未来だった。

そこは富裕階級の末裔が労働者階級の末裔に
食料として貪り喰われる恐ろしい世界。
ウェルズは今から100年以上も前に、
貧富の格差の行く末を案じていた。

「宇宙戦争」では白人のアジア侵略を批判し、
「解放された世界」では原爆の恐怖を予見したウェルズ。
彼の小説には常に社会への鋭い問題提起があった。

 我々の真の国籍は、人類である。

そう語るウェルズ自身が、
もしかしたら未来から警告に来た
タイムトラベラーだったのかもしれない。



ゾウの時間、ネズミの時間、ニンゲンの時間

時は万物に平等だ、という。

しかしベストセラー「ゾウの時間・ネズミの時間」の著者、
東工大の本川達雄教授の意見は違う。

 全ての動物には固有の時間の流れがあり、
 その速度は体のサイズに比例する

というのだ。

たとえばゾウはネズミに比べて遥かに長い寿命を持つが、
一回の鼓動にかかる時間はネズミよりずっと遅い。
ところが一生分の心拍数を計算すると、
不思議なことにどちらも約20億回になる。
結果、一生を生き切った「命の密度」は、
ゾウもネズミも変わらないのではないか。

つまり、ネズミの一生は短く儚いのではなく、
ゾウに比べて熱く激しく全速力で生きているということ。

この法則をニンゲンに当てはめると、なんとわずか26年。
縄文人の平均寿命とほぼ同じになる。

医学、食生活、住居の発達により、現代人の寿命は80歳までのびた。
30年弱という本来の寿命から考えると、残りの50年はほぼ余生、
生物学的に言うと「おまけ」の時間だとさえ言える。

本川教授は言う。

 「おまけ」の部分は、ある意味では自分自身で設計して生きられる、
 やりたいようにやれる自由な時間と言えるかもしれない。

今日からでも遅くない。ゾウのように長く、
ネズミのように激しく生きてみるのはいかがでしょう。

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Tokyo Copywriters’ Street LIVE 5





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大友美有紀 12年6月3日放送



「女流の言葉・有吉佐和子」イヤリング

昭和31年、25歳で「地唄」を発表し
デビューを飾った有吉佐和子。
それまでの日本近代文学の主流は、私小説。
けれども彼女は、社会性のあるテーマで物語を書いた。
その有吉がイヤリングに凝っている時期があった。
昭和30年代、身につけるものに愛着をもつのは、
おおむね愚かな女であり、見下されていた。

 小さな国の、敗戦のあとを生きている私たちだ。
 せめて気持ちだけでも豊かにくらしたい。
 私は誰にも迷惑をかけぬ範囲で、
 本当の意味の贅沢の精神を養っているつもりなのだ。

アクセサリーを楽しむ、その先の心を、
今に先駆けて伝えている。



「女流の言葉・有吉佐和子」花のかげ

有吉佐和子は、
「華岡青洲の妻」「恍惚の人」「複合汚染」など、
タブー視されていた社会問題を取り上げ
ストーリー性の高い小説へと昇華させた。
昭和33年に刊行された「ずいひつ」に
おさめられた「花のかげ」で
サクラの花の季節に新しい学年が始まるのは、
本当にいい、と書いている。
姪っ子と弟の入園入学に家族に笑顔の花が咲いた、と。
そして思いを寄せる。

 ふと入試に失敗した高校生や、
 中学卒業と同時に就職した子どもたち、
 幼稚園に行かせる余裕のない家の子たちを思い出した。
 花の下にも翳のあることに気がつくと、いたたまれない。
 だれにも遠慮せずに誇らかに幸福を酔うことの
 できる世の中は、いつ来るのだろう。

社会を、世の中を思う気持ちは、彼女を自由にしてくれないのだ。


Swami Stream
「女流の言葉・有吉佐和子」女流作家

 有吉さん、女流作家だと言われたら、
 恥辱と心得なさいよ。

昭和30年代25歳でデビューした有吉佐和子は、
小説を書きはじめた頃、方々でこう言われたという。
女だから甘い目で認められていては、情けない。
女で小説を書くのは容易なわざではなかった。
女のほうが楽に世に出られる時代だ。
「女流」に対する本質的な反感だった。
でも彼女は、ならばここから築くしかない、
女なのだから女流と呼ばれても仕方のないことだ、
と消極的な肯定という結論を出す。

 女を吹き切れ、とか、
 女でなくなった年齢から本当の文学が生まれるのだ、とか、
 男性たちはのたまうけれども、
 女にそんなことを言うのは勝手な話だ。
 女は、自らの女性(おんなせい)を突き抜けるとき、
 豊かな開花を見せることができ、
 このとき男性の追随を許さなくなる例を、
 岡本かの子が立証しているではないか。

そしてそんな世間の呼び名に気を散らしている暇があったら、
机にかじりついて原稿用紙と取り組んでいたほうが懸命だと考える。



「女流の言葉・岡本かの子」岡本一平

岡本太郎の母であり、歌人、小説家、岡本かの子。
天真爛漫、奔放な情熱家、恋多き女。
夫、岡本一平がありながら恋に落ち、破局し、精神を病んでしまう。
その危機的状況を乗り越えたあと、夫について客観的に論じる。

 主人一平氏は家庭に於いて、平常、大方無口で、
 沈鬱な顔をしています。
 この沈鬱は、氏が生来持つ現世に対する
 虚無思想からだ、と氏はいつも申します。
 それゆえに氏は、親同胞にも見放され、
 妻にも愛の叛逆を企てられ、
 随分、苦い辛い目のかぎりを見ました。

この冷静さが、かの子の凄みである。


Melissakis, H.
「女流の言葉・岡本かの子」太郎

岡本太郎の母、かの子。
彼女の創作にかける意欲はすさまじく、
太郎を柱に縛り付けて原稿を書いていたという
エピソードは有名である。
けれど彼女自身、そんな自分をよく知っていた。
ある日の日記である。

 太郎をうったあと、自分がいつでも一人で泣く。
 太郎をうつことは自分をうつことだ。
 正直だが一徹で弱気なくせに熱情家だ。
 私そっくりなあの子。それ故に可愛ゆい。
 それゆえにまた私を怒らす。

 
太郎への愛情がわき上がるのを感じ、
かの子はじっとしていられなくなる。
けれど、露骨にいたわりにいくのは恥ずかしい。

 仕方がないので明朝のレコードをしらべにかかる。
 ルソーのリゴレットを抜いておくのだ。

レコードを選んでおくのは、次の朝、太郎の登校時に
音楽をかけるため。
気分を爽やかにしてやるための毎朝の習慣だった。



「女流の言葉・岡本かの子」美しいママ

岡本かの子の天真爛漫さ、
息子太郎への激しい愛情を、
恐ろしいほどに感じる散文詩がある。

 わたしは今、お化粧をせっせとして居ます。
 きょうは恋人のためではありません。
 あたしの息子太郎のためにです。
 わたしの太郎は十四になりました。

太郎がいつか美しい恋人を持つとしても、
ママが汚くては悲観する。
だから美しいママでありたい、と綴る。
それでなければ太郎の幸福は完全ではないと。
この激しさ、かの子以外には到達し得ない。


Ramon Masip
「女流の言葉・岡本かの子」手紙

岡本かの子の、息子太郎への愛情の強さと深さ、お互いの強烈な相似。
それゆえに母と子は遠く引き離されなければなかった。
かの子は、パリに住む太郎に手紙を書いてる

 えらくなんかならなくてもよい、と私情では思う。
 しかし、やっぱりえらくなるといいと思う。
 えらくならなくてはおいしいものもたべられないし、
 つまらぬ奴にはいばられるし、こんな世の中、
 えらくならなくてもよいような世の中だから
 どうせつまらない世の中だからえらくなって
 暮らす方がいいと思う。

複雑で正直な母の思い。



「女流の言葉・岡本かの子」素朴な子

昭和13年、岡本かの子は3度目の脳溢血に倒れる。
その直前に27歳の息子太郎に送った手紙は、
それまでの関係を詫びるようで、あわれむようで、切ない。

 太郎さんの喜んで貧乏しますという手紙を見て
 昨夜から私は泣き続けているのですよ。
 お前はやっぱりそんな可愛ゆい
 しおらしい素朴な子だったのね。
 この私の可愛らしい可哀そうな性質をうけた子だったのね。
 かわいそうでかわいそうで、
 私の身を刺し殺してしまいたいほども嬉しい悲しい
 自分の子の正体を見たものよね。
 日本へ帰ってきてそばで、わがままして暮らして下さい。

翌年、かの子は世を去る。享年49歳。激しい人生だった。

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佐藤延夫 12年6月2日放送


mkrigsman
ジム・ロジャーズ1

冒険投資家、と呼ばれる男がいる。
その名は、ジム・ロジャーズ。

26歳のとき、投資の世界に足を踏み入れた。
資金はたったの600ドル。
その後10年間で、4200%を超える驚異的なリターンを実現し、
37歳の若さで引退。
そして次に彼が向かったのは、世界だった。
2年間かけてバイクで地球を一周。
数年後には、クルマでまた世界を回った。
ジム・ロジャーズは語る。

  私は、人生を楽しむ自由を手に入れたかった。

この男は大枚をはたいて、自由を買った。


Backpack Foodie
ジム・ロジャーズ2

冒険投資家、ジム・ロジャーズ。
ファンドマネージャーを引退したあとも、
ビジネススクールの教授、
テレビの司会者として活躍した。
そして2度の冒険旅行を終え、
家族を連れてシンガポールに移住。
現在も悠々自適な毎日を送っている。

果たして、彼の人生の優先順位とはなんだろうか。
それを示した言葉がある。

  まず最も大事なことは、殺されないようにすること。
  二番目が、人生を楽しむこと。
  三番目は、世界を知ること。

これが悔いのない人生に必要な、3つのルール。


winkyintheuk
ジム・ロジャーズ3

冒険投資家、ジム・ロジャーズ。
彼の投資には、わかりやすい哲学がある。

他人が目を向けないところに投資をし、
まだ注目されていない市場を発掘して利益をあげる。

たったそれだけのこと。
しかし彼の言葉を借りるなら、こうだ。

  絶望が支配している場所に、信念を持って投資をする。

そしてこんな言葉も残している。

  私ががっぽり儲けたのは、決まって人の群れと逆に向かったときだ。

大切なのは、先見の明。そして決断力。


rodrigoferrari
ジム・ロジャーズ4

19世紀は、大英帝国の時代。
20世紀は、アメリカの時代。
そして21世紀は、中国の時代だと
伝説の投資家、ジム・ロジャーズは語っていた。

そのとおり、彼はマンハッタンにある高級住宅を売り払い、
シンガポールに移住した。
アメリカドルが、世界の基軸通貨の地位を追われると予想したからだ。

さらに今後、世界の中心が中国とアジアになることを見据え、
2人の娘には中国を習わせている。

世界旅行で何度も中国を横断し、
その目で、その足で、アジアのエネルギーを感じたのだろう。
ジム・ロジャーズは、こんな手記を残している。

  上海は、オズの国のように現れた。
  この街は、私たちが生きている間に、21世紀資本主義の
  エメラルドシティになるかもしれない。

果たして彼の目に、現在の日本はどのように映っているのだろうか。


Michael Aston
ジム・ロジャーズ5

伝説の投資家、ジム・ロジャーズ。
彼は投資対象を徹底的に調べることで
数々の成功を収めてきた。
株に投資する場合は、全ての財務諸表に目を通し、
見通しについても必ず裏をとって確かめる。
そして自分の頭で納得がいくまで突き詰める。

  I think ではなく I know なのだ。

もちろん投資は、人に任せるものではない。
だからこんな極論が出てくる。

  自分で調べた会社の株を買いなさい。
  さもなければ、家で映画を見ているほうがいい。


ggallice
ジム・ロジャーズ6

伝説の投資家、ジム・ロジャーズ。
彼は成功するための、
いくつかのルールを持っている。
ルールといっても、それはごく当たり前のことばかり。

メールの返信を早くする。
懸命に働く。
他人のために正しい行いをする。

そのほかに、興味深い言葉も残っていた。

  専門家と称する輩は、いつもだいたい間違っている。

つまりは他人をあてにしてはいけない、ということ。


theseanster93
ジム・ロジャーズ7

伝説の投資家と言われた、ジム・ロジャーズ。
人生の前半は、ファンドマネージャーとして巨万の富を得て、
後半戦は世界冒険旅行に身を捧げた。
そして、興味のなかったものに目を向けた。

大変な時間とエネルギー、注意、お金、献身が必要となるもの。
それは家族だった。
これまで、子どもがいるのは哀れなことだと公言していた男は、
60歳にして初めての育児を経験し、
その考えを覆すことになる。

  私が生まれてからやってきたすべての冒険の中で、
  これこそが究極の冒険になるだろう。
  子どもは、私が見たことのない世界へ連れて行ってくれるだろう。

そして、こうも言っている。

  まだ子どものいない人は、ぜひさっさと家に帰って、しかるべく励まれよ。

今年70歳になるジムは、幼い娘たちの送り迎えを日課にしている。
伝説の投資家は、伝説のイクメンでもある。

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