藤本宗将 17年4月9日放送

170409-08

京の大仏と天下人

大仏といえば奈良と鎌倉。
しかし、かつては三大大仏に数えられる
もうひとつの大仏があった。
天下を統一した豊臣秀吉が、
晩年になって京都・方広寺につくらせたものだ。

記録によれば、その高さは19m。
奈良の大仏が15mほどだから、その巨大さがわかる。

しかし、そんな方広寺の大仏も
慶長伏見大地震によって倒壊してしまう。
倒れた大仏を見て秀吉はこう言い放ったという。

 かように、わが身を保てえざる仏体なれば、
 衆生済度(しゅじょうさいど)は、なかなか思いもよらず。

自分の身も守れない仏に
人々を守れるものか、と激怒したのだ。
さらに大仏めがけて矢を射かけたという話まで残っている。
もしかしたら、自分亡き後の不安が
秀吉をそこまで苛立たせたのかもしれない。

方広寺の鐘の銘をきっかけにして
豊臣家が滅んだのは、
それから19年後のことである。

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