2018 年 5 月 6 日 のアーカイブ

大友美有紀 18年5月6日放送

180506-01
「日本美の再発見・ブルーノ タウト」来日

2008年、ベルリンの共同集合住宅が
ユネスコ世界文化遺産になった。
それを手がけた建築家、ブルーノ タウト。
1880年東プロイセン、ケーニヒスベルク生まれ。
ドイツ各地で都市計画や集合住宅を手がけ、
世界的建築家へと踏み出す直前、
ナチスからあらぬ嫌疑をかけられ日本へ逃れてきた。
1933年のことだった。

 やや近づくと緑の山々。
 細雨が静かに降り、なにもかもが灰色におおわれる。
 それからまた緑の色、前に入り江が横たわり
 そのうしろには明るい空、松の生えた島。


日本の美しさを
外からの「眼」で再発見した人物である。


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大友美有紀 18年5月6日放送

180506-02
「日本美の再発見・ブルーノ タウト」旅館

ドイツの建築家ブルーノ タウト。
ナチスの嫌疑から逃れるため日本へやってきた。
最初についたのは駿河湾。
その夜、タウトは夫人とともに旅館へ泊まる。

 宿の玄関では女中や番頭が
 驚くばかりていねいにお辞儀をして
 私たちを迎え入れた。
 私たちはそこで靴を脱ぎ、
 畳の上に座って夕食をとった。


このような幸福は、夢のような想像でしか
描くことができなかったと語る。

タウトは、しばらく日本に滞在したのち、
アメリカに渡る予定だった。
しかし手続き上の問題でその後3年半、
日本にとどまることになる。
それは日本の美にとっては幸福だった。


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大友美有紀 18年5月6日放送

180506-03
「日本美の再発見・ブルーノ タウト」桂離宮

ドイツ人建築家ブルーノ タウトは、
その著書の中で
桂離宮はギリシャのアクロポリスから受ける印象が
実に良く似ていると断言している。
両者ともに数世代を経て洗練を重ねた結果、
特殊なもの偶発的なものをことごとく脱却した
純粋な形式であると。
 
 障子を閉め切った部屋は深い静けさを湛えているのに、
 障子をあけると「絵」のような庭が
 あたかも家屋の一部ででもあるかのように、
 突然私たちの眼の前に
 圧倒的な力をもって現出する


タウトが著した「ニッポンーヨーロッパ人の眼で観た」は、
空前の桂離宮ブームを起こすこととなる。


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大友美有紀 18年5月6日放送

180506-04
「日本美の再発見・ブルーノ タウト」伊勢神宮

ドイツ人建築家ブルーノ タウトは、
1933年に来日後、精力的に各地を巡り、
日本への認識を深めていく。
桂離宮と並んで、感銘を受けたのは伊勢神宮だった。

 日本が世界に与えた一切のものの源泉、
 まったく独自な日本文化を開く鍵、
 完成せる形のゆえに全世界の賛美する日本の根源
 それは外宮、内宮、および荒祭宮(あらまつりのみや)をもつ
 伊勢である。


そこには日本文化のすべての優れた特性が
渾然と融合して見事な結晶をなしているのだという。
80年以上前にここまで言い切るドイツ人がいたことに
感銘を受けてしまう。


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大友美有紀 18年5月6日放送

180506-05
「日本美の再発見・ブルーノ タウト」旧日向別邸

ナチスから逃れて日本へやってきた建築家ブルーノ タウトは、
当初3ヶ月ほどの滞在だと考えていた。
だが旅券の手続きがなかなか進まず
建築の仕事をすることができなかった。
日本唯一のタウトの作品は、
熱海の旧日向別邸だ。

大阪の実業家、日向利兵衛は、
タウトに依頼して、
熱海の邸宅の地下に居間と社交場を作った。

 全体として明快厳密で、ピンポン室あるいは舞踏室、
 洋風のモダンな居間、日本座敷および日本風のヴェランダを、
 一列に並べた配置は、すぐれた階調を示している。


桂離宮の面影も感じるこの建物は、
重要文化財に指定され、公開されている。


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大友美有紀 18年5月6日放送

180506-06 小池 隆
「日本美の再発見・ブルーノ タウト」洗心亭

ドイツ人建築家ブルーノ タウトは、日本各地を旅したのち、
1934年8月、夫人とともに
高崎市郊外の少林山達磨寺の洗心亭に移り住む。
蝉の声が鳴り響き、樹々が生茂り、
村の人が気軽に訪れる住処。

 此処こそ私が去りがてに思った最初の土地である、
 私たちはできることならこの清閑と質素な生活、
 また私たちを取りまく諸人の親切を味わいつつ
 秋の更けるまで滞在したいとねがっている


ここで、日本文化に関する本の多く読み著述も行った。
方丈記で鴨長明の庵が1丈しかないことを知ると
「私の洗心亭の方が少し広い」と書いた。
そして日本を去る日まで、居留していた。


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大友美有紀 18年5月6日放送

180506-07 chrissam42
「日本美の再発見・ブルーノ タウト」カマクラ

ドイツ人建築家ブルーノ タウトは、ナチスから逃れて
日本へやってきた。日本文化を学ぶ旅で、農村にも興味を持った。
冬の横手である景色に出会う。

 夕食後、町を散歩する。素晴らしい美しさだ。
 こんな美しいものを私はかつて見たことはなかったし
 またまったく予期もしていなかった。


それはろうそくが灯ったカマクラだった。
コンロの上では汁がグツグツと煮えている。
小さな男の子と女の子が
年上の少年少女をお客に迎えている。

雪の中の静かな祝祭。
土地の人にとってはごく普通の日常かもしれない。
タウトは、ここに美しい日本があると感じた。


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大友美有紀 18年5月6日放送

180506-08 Video
「日本美の再発見・ブルーノ タウト」別離

1936年、日本は戦時体制がすぐそこに迫っていた。
ドイツ人建築家ブルーノ タウトは、建築の仕事ができないまま、
日本に来て3年半の月日が経っていた。
友人も日本を去ることを勧める。
トルコから国立芸術大学の建築科主任教授にと要請が来る。
タウトはそれを受けることにした。

 日本よ!
 私が日本を去ったらどんなにか君に
 あこがれることであろう。


最後の日、東京駅で大勢の人がタウトを見送った。
タウトは「日本文化万歳!」と微笑みながら、
涙がこぼれていた。


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