藤本組・藤本宗将

藤本宗将 12年12月29日放送



5番目のムーンウォーカー:アラン・シェパード 2

アラン・シェパードは、アメリカ初の宇宙飛行士。
そして、大のゴルフ好き。

そんな彼が、アポロ14号の出発前、
月面でゴルフをしたいと言い出した。

NASA最古参であるシェパードの望みとはいえ、
簡単に許可できる話ではない。
上層部も悩んだとみえて、3週間後にようやく回答が返ってきた。

「月の重力は地球の6分の1に過ぎない。
 従ってボールは6倍の飛距離を見せるだろう。
 容易に想像されることだが、
 ロストボールを発見するために
 1000ヤードの道のりを走る必要に迫られる。
 余裕のない旅で、この贅沢は許されない。

 …もし、ボールの行方に固執しないと約束するなら、
 大いにゴルフを楽しみたまえ」

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藤本宗将 12年12月29日放送



5番目のムーンウォーカー:アラン・シェパード 3

ただでさえ夢を実現するのは難しいが、
宇宙でとなればさらに難しい。

月面でのゴルフを計画していたアラン・シェパードに、
「スペース」の問題が立ちはだかった。
アポロ14号の月面着陸艇には、
クラブ1本積み込む余裕すらなかったのだ。

着陸艇の図面を前に悩むこと1週間。
月面での土壌収集に使うシャベルの柄に
シェパードはようやく余分な空間を見つけた。

そこにクラブを短縮して装着できるよう、
ジョイント式のアルミシャフトを採用。市販のヘッドを取り付けた。

まさに、必要は発明の母。

ところで、なぜ6番アイアンだったのか?
それは、シェパードがいちばん得意なクラブだったから。

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藤本宗将 12年12月29日放送



5番目のムーンウォーカー:アラン・シェパード 4

アポロ14号の宇宙飛行士アラン・シェパードによる
月面ゴルフ計画は、全米の注目を集めた。
テレビ局は”GOLF ON THE MOON !”というタイトルの特番まで組んだ。
人々の関心は、ただ一点。

重力が地球の6分の1しかない月では
いったいどれほどボールが飛ぶのか?

シェパードの6番アイアンの平均飛距離は150ヤード。
単純計算すると900ヤードのスーパーショットが生まれることになる。

用意したボールは3個。

世界が固唾を飲んで注目した1打目は、失敗。
しかし2打目、3打目は手応えがあったのだろう。
シェパードは無邪気に叫んだ。
「どこまでも飛んで行ったぞ!」(Miles and miles and miles!)

もっとも実際には月の砂埃がひどくて
肝心のボールの行方はまるで見えなかった。
後に試算したところ、どうも200〜400ヤードしか飛ばなかったらしい。

すべてをはっきりさせないほうがいいこともある。
特に、夢と呼ばれるようなものは。

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藤本宗将 12年12月29日放送



5番目のムーンウォーカー:アラン・シェパード 5

人類で初めて月面でのゴルフを計画し、
月の砂の上で見事なバンカーショットを決めた
宇宙飛行士アラン・シェパード。

この偉業によって
彼はゴルフ界から表彰されることになったが、
そのパーティ会場にはるばるイギリスから祝電が届く。
差出人はゴルフの総本山、
ロイヤル・アンド・エンシェント・ゴルフクラブ。

お固いイギリス人も快挙と認めたか!
みな上機嫌で聞いていたが、
最後の一文が読み上げられると、がっくりとうなだれた。

「ご承知とは思いますが、バンカーから離れる際、
 プレーヤーは自分の足跡をならさなければいけません。
 以上、ご忠告まで」

ルールの重みは、地球と同じだったようだ。

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藤本宗将 12年12月29日放送



12番目のムーンウォーカー:ハリソン・シュミット

宇宙飛行士は、国民的英雄。
引退後に政界へと進出する者もいる。

アポロ17号で月着陸船パイロットを務めた
ハリソン・シュミットも
上院議員選挙に立候補し、見事当選を果たした。

しかし2期目をめざした彼は、僅差で破れる。
「人類最後の月面歩行者」という栄光は、有権者には通じなかった。

対立候補の主張は辛辣だった。

「シュミットは、地球であなたのために何をしてくれましたか?」

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藤本宗将 12年12月29日放送



10番目のムーンウォーカー:チャールズ・デューク

アポロ計画が成功したあと、
それがアメリカによるねつ造だと疑う者もいた。

「月面で撮影されたはずの写真なのに、
 空に星が写っていないのはなぜか?」

「月面は真空であるはずなのに、
 星条旗がはためいているのはなぜか?」

もちろん科学的な根拠を示すことはできる。
星が写っていないのは、
地面に露出を合わせているから。
星条旗がはためいているのは、
地表へ旗を立てたときの反動で動いているから。

だが実際に月面を歩き、そこから青い地球を眺めた者たちにとっては
いちいち反論するのもバカバカしかったのだろう。

アポロ16号の月着陸船パイロットとして月面を歩いた
チャールズ・デュークはこう答えている。

「俺達は9回も月に行っているんだ。
 もし嘘なら、なんで同じ嘘を9回もつく必要がある?」

真実を知る月面歩行者は、現在までに12人しかいない。

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阿部広太郎 12年10月27日放送


Maantjuh&Mosselmaniac
起業家という生き方 劉金標(キング・リュウ)

台湾でウナギの養殖業を営んでいたキング・リュウ。

あるとき台風の被害で破産寸前となった彼は、
1972年、自転車製造業に転身。
欧米有名ブランドの製造を請負いはじめた。

しかし初年度の受注は、たった1821台。
「Made in Taiwan」といえば
品質が悪いと思われていた時代。

キングは欠陥がひとつでも見つかると、
同じ生産ラインの自転車をすべて回収し
ローラーで押しつぶした。

それから40年。

彼のオリジナルブランド「ジャイアント」は、
世界最大のスポーツバイクブランドへと成長する。

「Made in Taiwan」は、信頼のしるしになったのだ。

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阿部広太郎 12年10月27日放送



起業家という生き方 フレデリック・ジョン・ペリー

テニスプレーヤー、フレデリック・ジョン・ペリー。
その経歴は、輝かしい偉業に満ちている。
1934年からウィンブルドン3連覇。
1935年には、男子テニス選手初のグランドスラムを達成。
テニスの神様とまで呼ばれるようになった。

プレーヤーを退くと彼は会社を起こし、
ファッションビジネスに挑戦する。
ブランド名は、自らの愛称「フレッドペリー」。

だぶだぶのシャツが当たり前の時代に、
身体にフィットするシャツを開発。
革新的でカッコ良いと、イギリスで瞬く間に浸透していく。

胸に輝く月桂樹のロゴ。
それは王者のつくった、挑戦する服のしるしだった。

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村山覚 12年10月27日放送



起業家という生き方 菊池武範

菊池武範は明治28年に愛媛県で生まれた。
家は裕福で、父は実業家だった。

しかし武範が12歳の時、父が事業に失敗。
病気で寝たきりになった。
武範は大阪に奉公に出て、朝から晩まで働いた。
食事はいつも一番最後。冷えた麦めしを食べながら、思った。

「熱いお茶が飲みたい」

その体験を元に彼は魔法瓶をつくる会社を起こし、
美しさと強さを追求した「虎印魔法瓶」を発売した。

後に「タイガー魔法瓶」となるその製品は
関東大震災でも壊れなかったほどで、たちまち人気商品となった。

はじまりは、一人の少年のちいさな願い。
彼の「魔法」で日本中の食卓が変わった。

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村山覚 12年10月27日放送



起業家という生き方 カーネル・サンダース

ハーランド・サンダースが
ガソリンスタンド兼レストランを開業したのは、
40歳になった頃だった。

持ち前のサービス精神とこだわりの味で
店は大繁盛したが、その後、火災で焼失。

彼は自動車にスパイスと圧力鍋を積み込んで、
レストランの看板メニューだった
「フライドチキン」のレシピを売り歩いた。

行く先々で断られ、
やっと契約にこぎつけたのは、なんと1010軒目。
チキンが1本売れると、4セントの報酬。
それは世界初のフランチャイズ契約だった。

やっとの思いで再建した自分のお店は、
近くにハイウェイができたせいで売却。
ほぼ無一文になった65歳の老人は
フランチャイズビジネスに本腰を入れた。

彼が90歳で亡くなった時、
店舗数は世界各国で、6000店に達していた。
カーネル・サンダースはこう言った。

「いくつになったって、自分の人生を
 より価値あるものにするための努力をするべきだ」

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