中村組・三島邦彦

三島邦彦 16年12月24日放送

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今夜はクリスマスイブ 桐島洋子

今夜はクリスマスイブ。
世界中でクリスマスパーティが開かれる。
パーティは苦手だけれど、
行かなくてはいけないという人へ。
昭和の文筆家で、
ウーマンリブの第一人者、
桐島洋子は、こう励ます。

 よい人付き合いに勝るごちそうが
 この世にあろうかと思う。
 もっと欲張って、人生を、人間を、出会いをむさぼろう。

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三島邦彦 16年12月24日放送

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今夜はクリスマスイブ ロバート・メイ

1938年、アメリカ、シカゴ。
通信販売会社の広告宣伝部で
コピーライターの仕事をしていた
ロバート・メイは、娘のバーバラからこう言われた。

どうしてうちのママは、みんなと違うの?

当時、ロバートの妻は重い病気にかかっており、
その治療費でロバート一家は貧しい生活を強いられていた。

「みんなと違う。」そのことに悩む娘のために
ロバートは一つの物語を書いた。

 真っ赤なお鼻のトナカイさんは

このフレーズから始まる物語は、
ロバートの従兄弟の手によって歌になり、
やがて世界に広まった。

赤鼻のトナカイは、
今も世界中で
みんなとの違いに悩む人を
笑顔に変えてくれている。

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三島邦彦 16年11月26日放送

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angelocesare
ペンは動く 早川良一郎

大正生まれのサラリーマン、早川良一郎。
定年をきっかけに、
趣味であるパイプ煙草についてペンを執った。
煙のように悠々と生きた人だから書ける
味わい深い文章は、自費出版ながら、
その年の日本エッセイスト・クラブ賞を受賞する。
早川は言う。

 友達とホビーがあり、餓死しないんだったら、
 なんで人生憂えることがありますか

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三島邦彦 16年11月26日放送

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eblaser
ペンは動く 魚谷常吉

料理人、魚谷常吉。
昭和初期、軍国主義の風が吹く日本で、
家庭料理の本を書いた。

最初の本である『茶料理』では、
懐石料理を、
上流階級の食べ物ではなく、
素材の味を最大限に活かすという
料理の基本に忠実なあり方としてわかりやすく紹介した。

その後も、『酒の肴』『料理読本』など、
本を通じて日本の家庭料理の充実をはかった。

 ペンというやつは、
 なかなか包丁のごとく思うようには動かぬもの。

そう言いながらも魚谷は、
厳しい時代の中で黙々と本を書き、
日本の家庭にたしかな幸せをとどけてくれた。

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三島邦彦 16年10月22日放送

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ayane.
そのとき聞こえた音楽 カラオケボックスで作家は

近頃の歌の歌詞はつまらない、
という人は多いけれど。

作家の川上未映子は
カラオケボックスで
友人達が歌う歌を聴きながら
歌詞を眺めていた時のことを
こう書いている。

 画面に映るどの歌のどの歌詞も、
 深くて、かみしめる意味があるように、思えてしまう。

 使い古しの言葉の中にも、
 見ようとすれば見える一回きりの光のようなものが、
 なくもなかったりして、
 全部の歌詞を、じっと見る。

どんなものも新鮮に感じる。
そのまなざしが、
作家にはある。

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三島邦彦 16年10月22日放送

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Tom Simpson
そのとき聞こえた音楽 ゴジラが街にやってくる

松やにのついた革手袋で
コントラバスの弦をこする音を録音し、
速度を調整しながら逆再生する。

これが、ゴジラの鳴き声の作り方。

このアイデアを出したのは、伊福部昭。
映画「ゴジラ」のテーマ音楽を世に生み出した作曲家だった。

はじめ伊福部は「ゴジラ」の音楽をオファーされた時、
そのスケールの大きさに衝撃を受けたという。

 えらい事になった、こんな大きな音楽をどうやって作るか?

伊福部は脚本を読み込み、
ゴジラが誕生したという南方の地域の民族の言語、
音楽、歴史までを丹念に調べ、作曲にあたった。
そうして生まれたのが、「SF交響ファンタジー」。
ゴジラのテーマとして、日本で最も有名な交響楽となった。

あの音楽と、あの鳴き声。
長い時を経た今も、ゴジラが現れるたびに、
伊福部が生んだ音は私たちの胸を高鳴らせる。

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三島邦彦 16年7月30日放送

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音楽に生きるひと 小澤征爾と斎藤秀雄

世界の音楽通をうならせる日本のオーケストラ、
サイトウ・キネン・オーケストラ。

それは、
指揮者の小澤征爾をはじめ多くの音楽家を育てた教師、
斎藤秀雄先生を偲ぶ演奏会から生まれた。

常設の楽団ではないため、
全体の調和よりも、それぞれの奏者の強い個性が際立つ。
その自由闊達なハーモニーは、
新しいオーケストラの形として高く評価された。
定期的に演奏会を開くようになり、
海外公演にも招待され、
グラミー賞も受賞するなど、
世界的なオーケストラへと成長した。

小澤征爾は、斎藤先生に言われた言葉を思い出す。

 伝統といっても、そこには良い伝統と悪い伝統がある。
 その国に行ったら、そこの良い伝統だけを取り入れなさい。
 もしそれができたら、日本人だって、アジア人だって、ちゃんと分があるぞ。

西洋音楽の伝統のない日本で音楽を教え続けた斎藤先生。
そこから巣立ち、世界中の良い伝統を取り入れた教え子たちによって、
世界に響く音楽が生まれることになった。

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三島邦彦 16年7月30日放送

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ultraswank.net
音楽に生きる人 フランク・シナトラ

フランク・シナトラ。

アカデミー賞を受賞した映画スターであり、
マフィアとの関係も噂された危険人物。
なにより、20世紀の音楽界に
決定的な影響を与えた歌手だった。

その声でファンの女性達を
失神させた若き日から、
70代になっても現役だった晩年まで、
シナトラの声は、世界中で愛され続けた。

貧しい移民の子からアメリカを代表するスターへ、
歌声だけでのしあがった彼の人生。
彼の声には、彼の人生のすべてがあった。
これは、シナトラの言葉。

 傷を隠すんじゃない。その傷が、君という人間を形成しているんだ。

シナトラの声が人々の胸を打つのは、
一筋縄ではいかない人生を、
すべて受け入れてくれるような響きがあるからかもしれない。

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三島邦彦 16年6月25日放送

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OiMax
雨や植物や木のはなし カレル・チャペック

チェコの国民的な作家、
カレル・チャペックは、
自宅の庭の土いじりを何より愛した園芸家だった。

彼の代表作の一つに、
『園芸家12ヶ月』という本がある。

夏は日照りを心配し、
冬は春の準備に忙しい。

植物の成長を巡り一年中続く悩みや喜びは、
出版から80年以上が経つ今も
国境を超えて園芸家たちを深くうなずかせ、
人々を園芸の世界に引き込んでいる。

雨の日も晴れの日も
植物と向き合い続ける
園芸家という生き方について、
チャペックはこう言っている。

 われわれ園芸家は未来に生きているのだ。
 バラが咲くと、来年はもっときれいに咲くだろうと考える。
 本物、いちばん肝心のものは、わたしたちの未来にある。

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三島邦彦 16年6月25日放送

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yoruwo
雨や植物や木のはなし いとうせいこう

作家でお笑いタレント、
ラッパー、作詞家と様々な肩書きを持つ
いとうせいこうには、
ベランダーという肩書きもある。

それは、庭で草木を育てるガーデナーに対抗し、
ベランダで植物を育てる自らを呼ぶために作った言葉。

都会のベランダでいかに多くの草木を育てるか。
狭いスペースに無駄なく鉢を並べる。
植物にとって快適とは言えない環境で育てるからこそ、
きちんと育ってくれた時の喜びは大きい。
彼はベランダでの園芸についてこう語る。

 田舎で畑を持つのも確かにいいだろう。
 だが、俺はこの暮らしがやめられねえんだ。
 長年都会に生きてると、くだらないことに感動出来るからな。

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