薄組・薄景子

小野麻利江 20年2月23日放送

6. 富士山のはなし 富士講 

今日は富士山の日。
すっきりと晴れた日に
眼の前に現れる富士山には、
思わず拝みたくなるような神々しさ、美しさがある。

そんな富士山に登ったら、拝んだら。
きっとご利益があるに違いない。
そう思う気持ちは、時代に関係なく。
室町時代には修験者とともに、庶民も富士山に登り始めた。

険しい山の中に登山道もでき、
江戸時代には多くの人に登山が広まったが、
江戸から富士山頂を目指すには片道四日。
現在と比べると莫大な費用を要した。

そこで人々は「富士講」という信仰組織に入り、
富士講のメンバー内でお金を出し合い、
くじで当選した人が富士山に登り、皆の祈願を行う。
という仕組みが出来上がっていった。

富士講は爆発的に増えつづけ、
江戸時代の後期には、こんな言葉ができていた。

江戸は広くて八百八町、講は多くて八百八講。
江戸に旗本八万騎、江戸に講中八万人。

topへ

茂木彩海 20年2月23日放送

5. 富士山のはなし かぐや姫と富士山 

日本一の山「富士山」。
実は日本最古の物語である「竹取物語」のラストシーンに登場する。

物語の最後では、月に帰るかぐや姫が置いていった不老不死の薬を
帝が富士山の頂上で焼くのだが、
実は富士山のある富士市に伝わる物語では、
かぐや姫は月に帰るのではなく
富士山に登り、忽然と姿を消したと言い伝えられているそうだ。

さらに、かぐや姫を見つけたと言われる光る竹は
富士市にある「竹採塚」という竹林がモデルではないかとも
言われている。

今日は富士山の日。
まだ白い雪が残る富士山に、
かぐや姫の儚い姿を重ねて見るのもまた、風情がありそうだ。

topへ

若杉茜 20年2月23日放送

4. 富士山のはなし  芙蓉峰   

2月23日、今日は富士山の日。
富士山は、又の名を芙蓉峰と言う。

芙蓉は花の名であり、
夏から秋にかけて淡い紅色や白色の大きな花を咲かせる。

一日で散ってしまう儚さや、その姿形の美しさから、
しばしば美女を形容する言葉としてもその名が使われてきた。

富士と芙蓉。
そのどちらの名前にも、
二つとない神秘的で美しい山という意味がこめられている。

topへ

熊埜御堂 由香 20年2月23日放送

3. 富士山のはなし 文化遺産としての富士山 

富士山を、世界遺産に。
1992年に日本が世界遺産条約に加盟してから、
自然遺産として登録を目指してきた。
しかし、登山者によるごみ問題など環境への配慮が
改善されずに、文化遺産として登録する方針に切り替えられる。
そして、2007年にはユネスコの暫定リストに登録。
2013年に、やっと登録された。

信仰の対象と芸術の源泉というタイトルで登録を受けた富士山。
山体はもちろん、周辺の神社、風穴、溶岩、河口湖などの湖や沼など
全部で25ヶ所の複合遺産だ。
富士山から最も離れたところにある三保の松原。
歌川広重の浮世絵を始め数々の芸術作品のモチーフとなってきた。
距離が離れすぎていて、対象から外れそうになったが
日本の説得で、一緒に登録されることになった。

現在、海外からの登山客も増える中で、
環境への取り組みも進んでいる。
富士山に魅了されてきたすべての人の願いを乗せて。
その美しい姿を、いつまでも。
今日は富士山の日。

topへ

石橋涼子 20年2月23日放送

2. 富士山のはなし 富嶽三十六景 

今日は富士山の日。
今月から新しくなった日本国パスポートも、
富士山のデザインになった。
各ページに、葛飾北斎『富嶽三十六景』のうち
24作品が印刷されているのだ。

世界的にも有名な葛飾北斎の「富嶽三十六景」は、
日本各地から眺めた富士山が楽しめる。

北斎は50代で江戸から西国(さいごく)へ旅して、
東海道の各宿場から富士山をスケッチしたという。
その後も構図を練り続け、
富嶽三十六景が完成したのは北斎72歳の時だった。

当時、あまりの人気のため、十景が追加され
富嶽三十六景は全部で46種類になった。

町人文化が花開き、五街道や宿場町が整ったとはいえ、
それでも旅に出られる人は限られていた。
庶民は旅への憧れも込めて、北斎の浮世絵を求めたのかもしれない。

遠い場所を思ってワクワクする楽しさは、
富士山の絵を眺めていた江戸の頃も、令和の今も、
きっと変わらない。

topへ

石橋涼子 20年2月23日放送

1. 富士山のはなし 銭湯の富士山 

今日は富士山の日。
初夢で「一富士二鷹三茄子」と言うように
富士山は昔から縁起の良いものと決まっている。

富士山といえばお風呂屋さんの壁を思い出す人も
多いのではないだろうか。

銭湯の壁画には、商売繁盛の願掛けも込められている。
末広がりのカタチが運気を上げるということで
多くの銭湯で富士山の絵が好まれた
逆に、お客が去るを意味する動物の猿や、
運気が下がると言われる夕日などは描かれない。

銭湯の壁に初めて富士山を描いたのは、東京のとある店だった。
その始まりは、こどもたちに喜んで湯船に入ってほしいから、
という、意外にもシンプルな理由だった。

topへ

熊埜御堂由香 20年1月26日放送



白のはなし  白衣の天使

白衣の天使と呼ばれたナイチンゲール。
当時、看護師の仕事は、病人の召使いで、
専門知識の必要がない女性の職業と捉えられていた。

裕福な家庭に生まれた彼女は、
両親の反対を押し切り、看護師の仕事に従事し、
1854年のクリミア戦争で活躍した。

その後、様々な医療現場の改革を提言し、看護学校を設立。
この職業の地位向上のために90歳まで力を尽くした。

ナイチンゲールが残した言葉がある。

 女性よ、自立しなさい。
 自分の足で立ちなさい。

白衣の天使は、潔白な強さで
たくさんの女性たちの背中に
勇気の羽を与えたのだ。

topへ

小野麻利江 20年1月26日放送



白のはなし  白いウサギにまつわる逸話

真っ白なウサギが出てくる夢が、
見た人に幸運をもたらす吉夢とされているように。

古今東西、「白い」ウサギが出てくる逸話は、
善きことの象徴であることが多い。

中世ヨーロッパの宗教画の中で
聖母マリアの足元に、ウサギが白い姿で描かれている場合、
ウサギが象徴する「色欲」に、
マリアの「純潔」が打ち勝つことを示している。

ブッダの教えに近いとされる「原始仏典」の中にも、
白ウサギとして生を受けたかつてのブッダが、
弱った聖者のために、みずから火の中に飛び込み
白ウサギの肉を食べさせた、という教えがある。

我が国で真っ先に思い浮かぶのは、「因幡の白兎」。
サメに体の皮を剥かれ、
真っ赤になって泣いているウサギに
真っ白な毛皮が戻る方法を教えた大国主命は、
美しい八上比売(やかみひめ)の心を射止めることができた。

新しい1年がはじまって、もうすぐ1ヶ月。
真っ白なウサギに出会った時のような素敵な予感に、
今年、あなたも出会えるといいですね。

topへ

茂木彩海 20年1月26日放送



白のはなし  純白の由来

「白」にも乳白色やオフホワイトなど様々な言葉があるが
「純白」というと、単に色を説明するだけではなく
「混じり気のない清らかなイメージ」を
伝える言葉としても使われている。

この「純白」という言葉の出典は、
意外にも古代中国の文献『荘子』まで遡る。

とある老人が井戸から水を汲み、畑にまいていたところに
たまたま通りがかった若者。
機械があればはかどりますよ、と声をかけると、老人はこう答えた。

仕掛けを使うものは必ずからくり事をする。
からくり事をする者は必ず何かをたくらむ。
たくらみが心の中にあると、純白な本来の心がなくなる。
純白な心がなければ、精神が安定しなくなる。

「純白」とは本来、「白色」を示す言葉ではなく、
「清らかな心」そのものを指す言葉として使われていた。

年が明けて、1月も下旬。
荘子の教えに従って、自分の中の純白を大切に、この1年を過ごしたい。

topへ

熊埜御堂由香 20年1月26日放送


PazGomez
白のはなし  ポルボロン

スペインのアンダルシア地方の修道院で、
7世紀ごろ生まれた伝統菓子、ポルボロン。
口に入れた途端、粉雪のようにホロリととける食感から
塵や埃を意味する、Polvo (ポルボ)
という言葉から名付けられた。

小麦粉にたっぷりバターを混ぜ込んだクッキーで、
表面を白い粉雪のようなお砂糖が包み込む。
食べ終わるまでに「ポルボロン、ポルボロン、ポルボロン」
と3回唱えることができたら幸せになれると言われている。

白くてコロンとしたお菓子は、
数えきれない人々を幸せな気持ちにして、
今も世界中で愛され続けている。

topへ


login