
MShades
出会いのはなし 出会いの極意
出会いの瞬間は、
できれば相手の記憶に残るようなものにしたい。
虹も15分と出ていると、だれも眺めない。
とは、ゲーテの言葉。
不意に出会う虹のように、一瞬のインパクトで。
毎回そんな出会いにできればいいのだけれど。

MShades
出会いのはなし 出会いの極意
出会いの瞬間は、
できれば相手の記憶に残るようなものにしたい。
虹も15分と出ていると、だれも眺めない。
とは、ゲーテの言葉。
不意に出会う虹のように、一瞬のインパクトで。
毎回そんな出会いにできればいいのだけれど。

出会いのはなし ロバート・キャパをつくった2人
人生を変える出会い、というものがある。
20世紀を代表する戦場カメラマン、ロバート・キャパ。
この名前が、実は偽名だったということはあまり知られていない。
ロバート・キャパ。本名を、アンドレ・フリードマンという。
ロバート・キャパという架空の名前をアンドレに付け、
「アメリカの有名なカメラマン」として売り込むことを提案したのが、
パリで出会った女性、ゲルダ・タロー。
売れないカメラマンだったアンドレは
彼女との出会いによってキャパとして生まれ変わり、
やがて誰もが知る戦場カメラマンとなっていった。
アンドレはのちに、後輩のカメラマンにこんな助言をしている。
きみの写真が傑作にならないのは、
あと一歩、被写体に近づいていないからだ。
可能性があると感じたら、一歩近づいてその出会いに懸ける。
写真の話だけに留まらないこの哲学こそ、キャパとして生きた彼の強さなのかもしれない。
9カ月です。
3/4歳です。(わかりにくい)
いろいろと成長しております。
まず、歯がちょっぴり生えてきました。
前歯の上下セット、計4本。
すーさんはおっぱい大好き美少年(でぶ)なので
上下の歯が生え始めた頃、母は苦悩しました。
卒乳すべきか。継続すべきか。それが問題だ、と。
ていうか噛まれたら卒乳しよう。痛いもん。
母からの無言のプレッシャーを感じたのでしょうか。
特に噛まれることもなく、おっぱいはしばらく継続となりました。
そういうところは賢い美少年なのです。
そして寝相が悪くなってきました。
我が家ではベビーベッドを使っておらず
ふつうのベッドで川の字に寝ていたのですが。
まあ、予想通りというか、お約束というか。
9カ月のこの頃、初!ベッド落ち!いたしました。
いつかはこの日が来ると思っていました・・・
柵を買いましょう、というお話しです。
さらに初散髪をいたしました。
友人のこどもたちはみんな前髪パッツンで、
私は「不器用だなあ(笑)」と思っていましたごめんねみんな。
自分でやってみて、激しく反省いたしました。
赤子の髪をオシャレに切るのは、無理。
ハサミを怖がって泣いて暴れて、当然の帰結としてのパッツンです。
もはや自然の摂理なのです。赤子のパッツン。
実は私、切り落とした産毛で記念の筆(そういうサービスがあるんです)を
つくろうとこっそり企んでいました。
現実は、暴れる赤子を祖父母両親総出で羽交い絞めです。
近所に虐待を疑われないか心配になるくらいの惨状。
産毛で筆つくりたいのなんてメルヘンなことは
とても言えませんでした・・・。
そんなこんなで、毎日ちいさな成長を積み重ねながら
一喜一憂していましたが、
とうとうおかあさん、お仕事に復帰することになりました。
大丈夫かすーさん!?
というより私!
0歳8ヵ月。
と言えばちょうど一年前。
春です!入園です!
すーさん(美少年でぶ9キロ)は運よく
区立の保育園に入ることができました。
0歳クラスとはいえ、受け入れ対象は
生後8ヵ月以上の赤ちゃん。
クラスメイトは全員8ヵ月~12ヵ月です。
つまりすーさんは0歳クラスの中では
最年少の部類。
この数カ月の差が大きいのです!
なにしろデブなので(個人的な意見です)
まだハイハイもできないすーさんです。
8ヵ月にして、ほふく前進しかできません。
ずりずり。
それでも感動しましたよおかあさんは。
しかし!
12ヵ月の赤子は、歩くのです!(個人差があります)
よちよち歩くのですよ!!
もうお前ら赤ちゃんじゃないなっ!
ていうか、
うちの子、まだハイハイもできてないじゃん!!!
なんというんですかね。
比較対象が登場した途端に襲いかかる
「うちの子、もしかして・・・」
という不安の嵐。
クラスで二番目に足が遅かったという
学生時代の記憶がフラッシュバック。
リレーで5人にごぼう抜きされた苦い思い出・・・。
ハードルが無いところでなぜか転ぶ私・・・。
あー辛かったなー運動会。
あと、足が速いヤツがモテるって、埼玉はやっぱり田舎だよなー。
集団生活における仁義なき競争(?)に
早くもへこたれる母。
と思ったら、入園直後にハイハイをマスターしました。
これが集団生活における学習効果かっ!
悔しさをバネにしたの?
それとも他人の技を盗んだの?
どっちにしても天才?
すーさん天才なの?!
(引き続き、うちの子天才かも症候群です)
なにはともあれ、
親の不安をよそに、子どもは成長するんですね。
ありがたし。
そして反省。

出発のはなし1 野口英世の言葉
モノマネから出発して、独創にまでのびていくのが、
我々日本人のすぐれた性質であり、
たくましい能力でもあるのです。
明治時代に海外で活躍した数少ない日本人、
細菌学者野口英世の言葉。
この言葉は野口自身の言葉であり
同時に明治の昔に
国を背負って海外で働く人間の言葉としても
納得できる。
「学ぶ」と「真似る」は
日本では同じ語源をもつ言葉だという。
「真似る」からの出発を恐れることはない。

出発のはなし2 三浦しをんの就職活動
直木賞作家、三浦しをん。
就職活動で、提出した作文の面白さが
編集者の目にとまり、作家になるよう勧められた。
結局、かたっぱしから受けた出版社は全滅で、
フリーター兼作家になった。
本は売れないし、バイトしながら
年を重ねていくのかなと、弱気になっていたとき、
中学からの女友達がさらりとこういった。
いざとなったらあんた一人ぐらい食わせてあげるよ。
ふっと心が軽くなり、
それから彼女はどんどん小説を書いた。
誰かが自分を見守ってくれる。
そう思ったときが三浦しをんの出発点だった。

出発のはなし3 武田百合子の日記
まだ知らない場所へと旅立つ瞬間は
一抹の不安も入り混じり。
心からワクワクしているのか、嬉しいのか、
実はよく分からない。
冒険の最初の一歩が達成されたあと
徐々にうれしく感じるというのが
本当に正直な、心のありように思える。
昭和44年。随筆家の武田百合子は、
夫・武田泰淳のロシア旅行に同行する。
「連れていってやるんだからな。
日記をつけるのだぞ」
夫にそう言われて
走り書きでつけ続けた日記は
『犬が星見た ロシア旅行』という一冊になり
出発の瞬間のあの独特の感情を
今も多くの読者に、呼び起させる。
百合子。面白いか? 嬉しいか?
横浜大桟橋で見送る知人たちの表情が
するすると離れて見えなくなったのち。
甲板から船の中に戻り、
ビールを飲みながら尋ねる夫に
百合子はこう答える。
面白くも嬉しくもまだない。
だんだん嬉しくなると思う。

出発のはなし4 先人たちの言葉
芸術家、岡本太郎は言った。
金と名誉を否定したところに、
人間のほんとうの出発点がある。
哲学者、アンリ・ベルクソンは言った。
どこまで行けるか、確める方法は唯一つ。
すぐにでも、出発して、歩き始めることだ。
先人たちは教えてくれる。
すべての出発は、新たな自分への
旅立ちだということを。

出発のはなし5 広岡浅子の推進力
大阪屈指の両替商、加島屋の若旦那の花嫁は、
京都の豪商三井家のお嬢さんだった。
広岡浅子、17歳。
世が世なら、坊ちゃん育ちの夫と一緒に
おかみさんとして優雅に暮らしたのかもしれない。
しかし、時は明治維新まっただなか。
幕末の混乱とともに両替商は軒並み倒産した時代だ。
数字に強く、時代を読む能力にもたけ、
なによりも負けず嫌いな浅子は、
のんびり屋の夫に代わり店を切り盛りした。
借金を踏み倒そうとする大名や武家には
武士道を説いて諭し、
事業拡大した炭鉱経営では護身用のピストル二丁を手に
荒くれ男たちと寝食をともにしたという。
歴史の中で潰れる運命にあった加島屋は、
浅子によって銀行・商社・保険業まで手がける
大企業へと成長した。
波乱の時代に臆することなく前進し続けた彼女の、
出発に対する持論。
何でも初めから無理と思うたら、
結果もそのようになります。
無理でも目的を立てて、どないしたら完遂でけるか、
焦点を絞っていくことが大切どす。

colin.bischoff
出発のはなし6 植村直己
冒険家、植村直己。
「山はやめる」と妻に誓って
結婚したにもかかわらず、
「これは山じゃないから」と
子どものような言い訳をし、
生涯冒険家として、新たな目標へ旅立ちつづけた。
そんな植村が残した言葉。
出発するとすぐ、帰ることばかり考えるんですよね。
それがある一定のところまで進むと、
もう引き返しのきかない状況までくるわけです。
そこで初めて、先に進むことだけしか考えなくなるんです。
不安のない出発など、きっとない。
しかし、自分で踏み出す一歩一歩が、
やがてとてつもない力になる。
Copyright ©2009 Vision All Rights Reserved.