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佐藤理人 19年3月23日放送



過去への探検  イグアノドン

世界で初めて恐竜の化石を発見した、
イギリスの医者ギデオン・マンテル。

1822年、彼は仕事の帰りに珍しい石を見つけた。
専門家に見せると、象の歯だと笑われた。

しかし熱狂的な古生物マニアだった彼は、
それが1億2千年前の爬虫類の歯だと突き止めた。

体長7mを超すその生物に、
彼は「イグアナの歯」を意味する

 イグアナドン

という名を授けた。

イグアナドンの完全な化石は現在、
ベルギーの王立自然史博物館に展示されている。

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佐藤理人 19年3月23日放送


John Cummings
過去への探検  メガゾストロドン

2億年前に哺乳類が存在した事実は、
約50年前までわからなかった。

1966年、南アフリカ博物館の研究員アイオーン・ラドナーが、
恐竜の化石を発掘中に小さな白い塊を見つけた。
拡大鏡でよく見てみると、歯がついていることがわかった。

それから数ヶ月。
かつて見たことのない小動物の全身の骨が、
細心の注意のもとに掘り出された。

体長10cm、しっぽ4cm。
トガリネズミに似たその生物は、

 メガゾストロドン

と名付けられた。

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佐藤理人 19年3月23日放送



過去への探検  ジャイアントモア

1936年、ニュージーランドの田舎道で、
荷車を引いていた一頭の馬が倒れてこの世を去った。

馬の持ち主のジョーゼフ・ボグデンという農夫が、
亡骸を埋めるために穴を掘ると、
約800羽もの巨大な鳥の骨が見つかった。

古生物学者が調べたところ、
16世紀に絶滅した

 ジャイアントモア

の骨だとわかった。

身長4m、体重250kg。
史上最大の鳥類でありながら、
翼がなく飛べなかった悲劇の鳥。

骨は古い泥に埋まっていた。
もしもモアが飛べたら、今も生きていたのだろうか。

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佐藤理人 19年3月23日放送



過去への探検  最初のアメリカ人

1947年、人類学者ヘルムート・デ・テラが、
メキシコでマンモスの骨を見つけた。

よく見ると、隣には人間の骨も埋まっていた。
彼はマンモスがいた1万1000年前、
アメリカにすでに人類が存在したと考え、その骨を、

 テペスパン人

と名付けた。

しかし彼の発見はいい加減な発掘作業によるものだと、
無視されてしまった。

5年後、同じ場所で見つかったマンモスの骨に、
矢が刺さっているのが発見され、
テラの説が正しかったことが証明された。

アメリカ大陸に存在した最初の人間は、
4万年前に移住したアジア人だった。

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佐藤理人 19年3月23日放送


Ryan Somma
過去への探検  ネアンデルタール人

1856年、ドイツのネアンデル谷で、
石灰岩を掘っていた作業員が一体の骨を見つけた。

地元の理科教師ヨハン・フールロットが、
その骨を組み立ててみると、
猫背で額の出た、二本足の生物だとわかった。
彼はそれが原始人の骨だと確信。発見場所にちなんで、

 ネアンデルタール人

と名付けた。

しかし当時、進化論は神への冒涜とみなされており、
彼の発見は怒りと嘲笑で迎えられた。

ネアンデルタール人の存在が受け入れられたのは、
11年後、フールロットが亡くなった年だった。

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佐藤理人 18年11月17日放送

181117-01

巴里の灯

1926年、チャールズ・リンドバーグは一つの夢を抱いた。

大西洋を飛行機で横断してみせる。
だが当時5800kmも飛べる飛行機はなかった。

彼は地元の実業家たちから資金を獲得。飛行機の製造を始めた。

灯りも窓も捨て、燃料タンクを目一杯積んだ飛行機は、

 スピリット・オブ・セントルイス号

と名付けられた。

1年後、セントルイスの夢をのせた翼は、
ニューヨークからパリに向けて飛び立った。

リンドバーグ、25歳の春だった。

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佐藤理人 18年11月17日放送

181117-02
Joe, Jenn and Corrilyn
巴里の灯

1927年5月20日の夜。
チャールズ・リンドバーグは猛烈な睡魔と戦っていた。

世界初の大西洋単独横断を目指し、
ニューヨークを飛び立ってから12時間。

辺りは暗くて何も見えず、下は嵐で荒れ狂う海。
一瞬でも眠れば命はない。だが疲労は容赦がなかった。

彼は眠気覚ましに海の上スレスレに低空飛行し、
夜明けまでの7時間を乗り切った。

翌日、ついにヨーロッパの海岸が見えた。
驚いたことに予定より2時間半も早く着いていた。

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佐藤理人 18年11月17日放送

181117-03
Photo by Josh Wilburne
巴里の灯

1927年5月21日の夜。チャールズ・リンドバーグをのせた
スピリット・オブ・セントルイス号はフランス国境を超えた。

人類初、大西洋単独無着陸飛行。
ニューヨークからパリまで33時間かけた
不眠不休の冒険がようやく終わろうとしている。

眠気は冷め、エンジンも快調。あとは着陸するだけ。
しかし肝心の空港が見つからなかった。

滑走路の灯を探してリンドバーグが見たもの。
それはエッフェル塔と彼の栄誉を称えるために集まった自動車の、
何万ものヘッドライトだった。

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佐藤理人 18年11月17日放送

181117-04

巴里の灯

1927年5月21日午後10時21分。

チャールズ・リンドバーグをのせた
スピリット・オブ・セントルイス号が、
パリのル・ブルジェ空港に着陸した。

世界初の大西洋単独無着陸飛行。
ニューヨークからの5,810kmを、
33時間29分30秒かけて飛びきった。

パリの上空で を見たとき、

 翼よ、あれが巴里の灯だ!

と叫んだというのは作り話。実際に発した言葉は、

 英語を話せる人はいませんか?

または

 トイレはどこですか?

だったそうだ。どちらにせよ、
パリ市民の大歓声にかきされてしまったことだろう。

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佐藤理人 18年11月17日放送

181117-05

巴里の灯

世界で初めて飛行機で大西洋を横断した、
チャールズ・リンドバーグにはもう一つの世界初があった。
それは人工心臓の開発。

彼には心臓弁膜症に苦しむ姉がいた。

 機械で全身に血液を送ることができないか

アメリカ初のノーベル賞受賞者アレクシス・カレル博士と協力し、
1935年、「カレル・リンドバーグポンプ」の開発に成功。

残念ながらその前年、姉は帰らぬ人になってしまったが、
彼は心臓病に悩む大勢の人の希望に灯をともした。

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