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厚焼玉子 19年3月16日放送



働く猫 猫交通指導員

ワシントン州に住むモリソンさんは
今の家に引っ越してきてから
飼い猫のセーブルが仕事を始めたのに気づいた。

近くにある中学校の新学期が始まると
セーブルは交通指導員が来る時間に合わせて
雨の日も風の日も通学路にたたずみ、
生徒の登下校を見守るようになったのだ。

セーブルは名誉指導員として学校にも受け入れられ、
ニュースでも紹介されている。

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厚焼玉子 19年3月16日放送



働く猫 ネズミバスターズ

シカゴのあるビール工場は
原料である麦芽を食い荒らす
ネズミの被害に悩まされていた。

ネズミといえば当然ながら猫。
そこで4匹の猫がやってきた。

たった4匹の猫は驚くべき成果をあげた。
専門の業者が音をあげたネズミの大群を
わずか数日で駆逐してしまったのだ。

この4匹は、昼間は工場を自由に走りまわり
夜は経営者の家でゆったりくつろぎ、
ベッドにトイレ、おもちゃにおやつという
福利厚生も手厚い勤務条件でいまも働いており
その様子がホームページで紹介されている。

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厚焼玉子 19年2月23日放送



エルガーと五人のミューズ ヘレン

ミューズは芸術を司るギリシャ神話の女神だが、
芸術家が崇拝する女性もミューズと呼ばれる。

イギリスの作曲家エルガーの最初のミューズは
近所に住むヘレン・ウィーヴァーだった。
エルガーははじめての海外旅行の折に
ライプツィヒに留学中のヘレンを訪問し、
やっと婚約にまでこぎつけた。

しかしこの婚約は翌年になって
理由もわからず解消され、
エルガーは悲嘆にくれる毎日を送った。

エルガーのいくつかの作品には
彼女の愛称やイニシャルが散りばめられている。

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厚焼玉子 19年2月23日放送



エルガーと五人のミューズ 妻のアリス

ミューズは芸術を司るギリシャ神話の女神だが、
芸術家が崇拝する女性もミューズと呼ばれる。

イギリスの作曲家エルガーの妻アリス・ロバーツは
上流階級の出身で
エルガーと出会ったとき、
すでに小説家としてデビューを果たしていた。

しかし、アリスは家族の反対を押し切って結婚し、
ペンを捨ててエルガーのマネージメントに徹した。
エルガはこの献身的なミューズに尊敬と感謝を捧げ
こんな言葉を残している。

「私の作品を愛するのなら、まず妻に感謝すべきだ」

エルガーの「愛の挨拶」は妻アリスに贈られた曲である。

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厚焼玉子 19年2月23日放送



エルガーと五人のミューズ ウインドフラワー

ミューズは芸術を司るギリシャ神話の女神だが、
芸術家が崇拝する女性もミューズと呼ばれる。

イギリスの作曲家エルガーが
45歳のときに出会ったミューズは
政治家の夫人だった。
彼女は芸術の香りがした。
エルガーは彼女をウインドフラワーと呼んだ。

エルガーは彼女にピアノ協奏曲を贈ろうと考えた。
しかし新しく作曲に取りかかっても
バレエ音楽や交響曲に流用してしまい、
とうとう未完成のままエルガーは亡くなってしまう。

ミューズを賛美するにも時間が必要なのだ。

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厚焼玉子 19年2月23日放送



エルガーと五人のミューズ 謎の女性

イギリスの作曲家エルガーの変奏曲「エニグマ」は
いわば音楽による肖像画で
エルガーの家族や友人を一人づつ描く変奏曲だ。
そのモデルはひとつを除いて解明されている。

解明されていない曲のモデルには二人の候補者がいる。
謎の曲には「海」や「航海」をキーワードにする
メロディが含まれているところから
ニュージーランドへ移住した元婚約者のヘレン、
もうひとりはオーストラリアへ旅立った
エルガーのミューズ、メアリー・ライゴン。

さて、この謎が解けるのはいつのことになるのやら、

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厚焼玉子 19年2月23日放送



エルガーと五人のミューズ ヴェラ

1931年11月
イギリスの作曲家エルガーは
ロンドン交響楽団とのリハーサル中に
第一バイオリンの女性と目が合った。

女性の名前はヴェラ・ホックマン。
70代の半ばのエルガーと
30代の半ばのヴェラの交際がはじまった。

妻を亡くして以来、意欲が後退していたエルガーに
再び活力が訪れた。
オーケストラを指揮し、
オペラや交響曲の注文も受けた。

エルガーの交響曲第3番は
ヴェラがいなかったらこの世になかっただろうと言われている。
ミューズは芸術家の意欲を引き出すのである。

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厚焼玉子 19年1月12日放送

190112-01
麒麟坊
歌会始

宮内庁の記録を読むと
宮中で行われていた新年の歌会始に
一般人が参加できるようになったのは
1874年、明治7年のことらしい。
当時は歌会始ではなく
歌御会始(うたごかいはじめ)と呼ばれていた。
歌御会始が歌会始になったのは昭和3年からだ。

1962年1月12日
歌会始にとって画期的な出来事があった。
初めてのテレビ中継である。

初めて一般の参加が認められた
明治7年の応募が4139首。
いまは2万首を超える応募があるのも
テレビの影響かもしれない。

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厚焼玉子 19年1月12日放送

190112-02

歌会始

明治2年、15歳の少年だった明治天皇は
歌会始でこんな歌を詠んだ。

 千代よろづ 変わらぬ春のしるしとて 海辺を伝う 風ぞのどけき

この年のお題は
「春風来海上」(春風、海上より來る)
翌年は「春来日暖」(春来たりて日あたたかし)
漢字ばかりのお題は
意味はわかっても読み下すのがむづかしいが
当時の歌会始は天皇とその側近だけで行われていたので
格別の支障もなかった。

このお題が誰にでもわかるやさしいものになったのは
戦後の昭和22年からだ。
ちなみに今年は「光」
16歳の高校生も入選を果たしている。

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厚焼玉子 19年1月12日放送

190112-03

歌会始

歌会始に使われる言葉はむづかしい。

天皇陛下の歌は「御製(ぎょせい)」
皇后陛下の歌は「御歌(みうた)」
司会役を「読師(どくじ)」
歌を読み上げる役を「講師(こうじ)」
天皇から招かれて歌を詠む人は「召人(めしうど)」

歌会始のテレビ中継はあっても
ラジオ中継がない理由がよくわかる。

歌会始で発表される歌は
まず読み上げられ
それから節をつけて歌われる。

聞きなれない言葉やメロディは
千年の昔から伝わる文化でもある。

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