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小野麻利江 20年3月29日放送

Leeks ‘N’ Bounds
春野菜のはなし  「新」のつく春野菜

新じゃがに、新玉ねぎ。
春に出回るこれらの野菜は
水分を多く含み、柔らかい。
サラダなどの生食や、
軽く火を通して食べるのがおすすめだ。

一年を通して出回っている
じゃがいもや玉ねぎは、
貯蔵性を高めるために
十分に乾燥させてから出荷される。
しかし新じゃがや新玉ねぎは、
収穫時期の初期に出る「新物」を
貯蔵せずに出荷するため、
水分が多いというわけだ。

ちなみに、貯蔵して冬を越したじゃがいもは
「ひねじゃがいも」と呼ばれる。
「ひね」は「古くなったもの」「老成したもの」
という意味だ。
貯蔵することで糖分が増え、甘くなったひねじゃがいも。
「ひね」と言わずに「熟成」と呼びたい。


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小野麻利江 20年3月29日放送

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春野菜のはなし  つくしで味わう春

桜が咲くよりも少し前に、
河原や土手に生えてくる「つくし」。

ハウス栽培などは殆どなく、
スーパーにはなかなか並ばない。
お散歩したり山歩きをした人だけが
手に入れることができる、春の味覚だ。

硬くて食べられない「袴(はかま)」の部分を
取り除き、水で洗う。
沸騰したお湯に入れて、水にさらしたら、
下処理完了。

佃煮、卵とじ、天ぷら。
春野菜ならではの苦味を楽しめるレシピにして、
さあ、春を召しあがれ。


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小野麻利江 20年1月26日放送


白のはなし  白いウサギにまつわる逸話

真っ白なウサギが出てくる夢が、
見た人に幸運をもたらす吉夢とされているように。

古今東西、「白い」ウサギが出てくる逸話は、
善きことの象徴であることが多い。

中世ヨーロッパの宗教画の中で
聖母マリアの足元に、ウサギが白い姿で描かれている場合、
ウサギが象徴する「色欲」に、
マリアの「純潔」が打ち勝つことを示している。

ブッダの教えに近いとされる「原始仏典」の中にも、
白ウサギとして生を受けたかつてのブッダが、
弱った聖者のために、みずから火の中に飛び込み
白ウサギの肉を食べさせた、という教えがある。

我が国で真っ先に思い浮かぶのは、「因幡の白兎」。
サメに体の皮を剥かれ、
真っ赤になって泣いているウサギに
真っ白な毛皮が戻る方法を教えた大国主命は、
美しい八上比売(やかみひめ)の心を射止めることができた。

新しい1年がはじまって、もうすぐ1ヶ月。
真っ白なウサギに出会った時のような素敵な予感に、
今年、あなたも出会えるといいですね。


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小野麻利江 19年12月29日放送

MO
年の瀬のはなし  俳人と年の暮れ

ちび墨と 我とありけり 年の暮

幸田露伴が詠んだ、年の瀬にまつわる一句。
1年の終わりを、静かに過ごす様子が目に浮かぶ。

しかし、この時期に家族親戚が
集まることも多い我が国。
露伴の句のように静謐な時間を
手に入れることは、中々に難しく。

夏目漱石の場合。
 やかましき 姑健なり 年の暮

尾崎紅葉の場合。
 癇癪よ 小言よ金よ 年の暮

服部嵐雪の場合。
 いづれもの 猫なで声に 年の暮 

そんな状況に置かれると、
もはや自分ひとりの手に負えず、
ままよ、とう気持ちになるもの。

小林一茶の場合。
 ともかくも あなたまかせの 年の暮

松尾芭蕉の場合。
 なりにけり なりのけりまで 年の暮

そんな年の暮の
人の心のあり方を、
正岡子規は、冷静でいて
どこかあたたかな眼差しで、
このように詠んでいる。

 人間を 笑ふが如し 年の暮

さて、令和元年も、そろそろ終わり。


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小野麻利江 19年11月24日放送


紅葉のはなし 紅葉狩りの由来

秋の終わり。
紅葉(こうよう)を見に出かけることを
「紅葉(もみじ)狩り」と言うのを、
聞いたことはありませんか。

これは、平安貴族が紅葉(こうよう)を見に行く時、
「狩りに行く」と、
同じく”山に入る行為”と掛けて
洒落で言ったのが、由来の一つだそう。

かつては、春のお花見を
「桜狩り」と言うこともあったそう。
でも今ではあまり使われず、
秋の風物詩だけに残る、
「狩り」という言葉。

秋の終わり。
落ちた紅葉(もみじ)を手にとって
狩りの成果を自慢し合ってみるのも、
乙なものかもしれません。



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小野麻利江 19年11月24日放送


紅葉のはなし もみじの天ぷら

「もみじの天ぷら」

それは、紅葉と滝で有名な、
大阪府箕面(みのお)市に古くから伝わる
お菓子のこと。

箕面市にある箕面山には
古くから修験道の道場がある。
1300年前、修行をしていた行者が
滝に映えるもみじの美しさに心打たれ、
持っていた灯明の菜種油をつかって
天ぷらを作り、旅人に振舞った。

それが、「もみじの天ぷら」の
発祥と言われている。

長い時を経て、つくり方や味に
改良が加えられているが、
原材料は、いたってシンプル。

小麦粉、砂糖、ゴマ、
そして、もみじの葉。



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小野麻利江 19年10月27日放送


銀座のはなし  銀座の柳

実は江戸時代に
東京湾を埋め立ててつくられた、銀座の街。

明治7年。日本初の街路樹として
銀座通りに松や楓、桜が植えられたが、
地下水位が高いため、
松や桜は根腐れを起こし、枯れてしまった。

そこで街路樹に選ばれたのが
湿気に強い、柳の木。

明治17年ごろには、銀座の街路樹は
ほとんどが柳に取ってかわったという。

その後、関東大震災や第二次世界大戦で
焼けてしまったり、
1964年のオリンピックに向けての
建設ラッシュで枯れてしまったりと
銀座の柳は憂き目にあっていたが、

接ぎ木した「二世柳」を復活させたり
毎年5月に「銀座柳まつり」を行うなど、

柳の風情あるたたずまいを残そうという動きは、
今も受けつがれている。



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小野麻利江 19年9月29日放送


月のはなし 田毎の月

「棚田」と呼ばれる、
階段状に小さく区切られた水田。
その棚田の一つ一つすべてに月が映るさまを
日本人は「田毎の月(たごとのつき)」
と呼んできた。

数々の浮世絵師がこの構図を好み、
俳句では、秋の季語となっている。
特に有名なのが、歌川広重による浮世絵、
「信州更科田毎月鐘台山
(しんしゅう さらしな たごとのつき きょうだいさん)」。
段々になった田んぼそれぞれに、
満月を浮かばせている。

しかし、「すべての田んぼに1つずつ月が映る」というのは、
実際には不可能な光景。
どんなに田んぼがたくさんあっても、
月が映るのは一つだけ。

創作の世界で花開いた、月の表現。
与謝蕪村の一句でも、
朧げながらも沢山の
月の光の明るさが、立ちのぼる。

 帰る雁 田毎の月の くもる夜に



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小野麻利江 19年8月11日放送


太陽のはなし 太陽が光を奪われた年

「人類史上最悪の年」。
中世を専門とする歴史家によると、それは「西暦536年」。
「太陽が光を奪われた年」だという。

その年の初め、アイスランドで噴火が起き、
火山灰が、北半球中に撒き散らされた。
その火山灰が微小な固体の粒子・エアロゾルの幕となって、
太陽の光を遮ってしまった。

ヨーロッパ、中東、アジアの一部で霧が垂れ込め、
なんと18ヶ月にも渡って、昼夜を問わず暗闇が続いたという。

夏の気温は3度近く下がり、
中国では夏に雪が降り、
東ローマ帝国の3人に1人の命を奪う
「腺ペスト」の蔓延のきっかけとなった。

東ローマ帝国の歴史家・プロコピウスは、こう記している。

1年中、まるで月のように太陽の光から輝きが失われた

人間の営みに、太陽は欠かせない。
この先、さらに、科学が進歩しても。


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小野麻利江 19年6月30日放送


半分のはなし スタンダールの恋と情熱

僕の魂は、もし燃え上がらなければ苦しむ業火なのです。

フランスの小説家・スタンダール。
『赤と黒』の作者として知られる彼の生涯は、
いくつもの情熱で彩られていた。

7歳の時に失った、母への渇愛。
ナポレオンへの、心酔。
そのナポレオンの遠征軍に参加し
ミラノの土を踏んだことで、
イタリア人のような生き方に傾倒したこと。
女優から人妻に至るまでの、数々の恋愛。
そして、ミラノでの
マチルデ・デンボウスキとの実らぬ恋…

憧れと絶望を繰り返しながらも、
スタンダールは生きて、書いて、そして愛した。
彼は、こんなことも言っている。

 情熱を持って恋したことのない人間には、
 人生の半分、それも美しいほうの半分が隠されている


美しいほうの半分も、醜いほうの半分も。
知りつくした作家だからこそ、
作品たちは、今も色あせない輝きを放っている。


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