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澁江俊一 19年8月18日放送


田附宏秀
たちねぷた

たちねぷた
という祭りの名を
聞いたことがあるだろうか?

青森市のねぶたは
おそらく見たことがあるだろう。
あのねぶたが立ち上がった…
そんな姿を想像してみてほしい。
それが、たちねぷただ。

高さはおよそ20m。
青森県五所川原市の祭りである。
明治から大正にかけて
どんどん高さを競い
山車が巨大になっていったが
やがて街に電線が張りめぐらされ
たちねぷたは、一度は消え去った。

それが1996年
わずか一枚の写真をもとに
およそ80年ぶりに
市民たちのボランティアにより見事に復活。
今もなお多くの人々を魅了している。

ヤッテマレ ヤッテマレ
たちねぷたに鳴り響くこの掛け声こそ、
地元の人々の誇りなのだ。

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澁江俊一 19年7月21日放送


foilistpeter
寒さと生きる法則

暑い夏こそ、寒い話。

ベルクマンの法則をご存じだろうか。
北極や南極など寒い地域に行くほど
動物の体が大きくなる、という法則である。

確かに
ホッキョクグマやヘラジカなど
北に行くほど巨大になる。
体温維持のためには体が大きく
放熱するためには小さく
それが生きるために有利だから
というのが理由のようだ。

さらに
逆ベルクマンの法則というのもある。
ヘビやトカゲは南に行くほど大きくなる
というものだ。

さて、人間はどうだろう。
大きく太った人が多いのは
北か? 南か?

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澁江俊一 19年7月21日放送


yoppy
アイスクリーム頭痛

暑い夏こそ、冷たい話。

かき氷を食べると
頭がキーンとする経験。
誰もが一度は味わっているはず。

あのキーンには
れっきとした名前がある。
それが「アイスクリーム頭痛」。

実はこの現象
ほんの数分で治ってしまうため
なかなか原因が
解明できていないらしいのだが・・・
世の中には解明できない悩みも
少しくらいあったって
いいんじゃないだろうか・・・
そう、アイスクリーム頭痛のように。

それにしてもナイスなネーミング。
すべての頭痛がアイスクリーム頭痛だったら
しあわせな世の中になりそうだ。

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澁江俊一 19年6月16日放送


yoshing_BT
弁慶とどら焼き

今日は和菓子の日。

日本人が大好きな
和菓子のひとつが「どら焼き」だ。

その丸い形。
しっとりとした茶色の生地に
包まれた甘いあんこ…
こしあん派もいれば粒あん派もいて
クリームを愛してやまない者もいる。
いずれにせよ誰もがつい、
いい顔になる和菓子である。

さてどら焼きだが
その発祥には諸説ある。
おもしろいのは武蔵坊弁慶が
傷を負った時に助けてくれた民家で
持っていた銅鑼を熱して生地を焼き
どら焼きをふるまったという説。

信憑性にはやや欠けるものの
日本を代表する剛力の弁慶が
大きな体で甘いお菓子を焼いている姿は
なんとも微笑ましい。

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澁江俊一 19年6月16日放送


yoshing_BT2
季節の呼び名

今日は和菓子の日。

「たなぼた」のことわざでも知られ、
昔から日本中で親しまれるぼた餅。

江戸時代から庶民の味だった
ぼた餅の別名は、おはぎ。
小豆のあんこともち米でつくるのは
ぼた餅もおはぎも同じだが
ではなぜ、呼び方が違うのだろう。

どちらも一年でもっとも
あの世とこの世が近づくといわれる
お彼岸で供えられ、食べられる。
そしてお彼岸は春と秋。
つまり春分と秋分の年2回。

春に咲くのは牡丹。だからぼたん餅。
秋に咲くのは萩。だからおはぎ。
どちらも季節の花に見立てた呼び名なのだ。
厳密にいうとその形も
花に合わせていくぶん異なる。

その呼び名にも
季節への想いを込める。
和菓子というのは
なんと風流な食べものだろう。

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澁江俊一 19年5月19日放送



渋沢の理想

1万円札の新しい顔になるのは
経済人では初めて日本のお札になる渋沢栄一。

日本資本主義の父と言われる渋沢。
彼が目指していたのは
「道徳経済合一」というしくみだ。

国や社会のためになる道徳と
しっかりお金を稼ぐという経済が
どちらも実現されている状態。
その理想を貫いて渋沢は
500社もの企業の立ち上げにかかわった。

道徳と経済。
ついお金ばかり追いかけてしまう企業が
まだまだ多い現代日本。
偉大な父の理想のように
会社が果たすべき道徳の大切さに
思いをはせてみようじゃないか。

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澁江俊一 19年5月19日放送



渋沢の描いた未来

1万円札の新しい顔になるのは
経済人では初めて日本のお札になる渋沢栄一。

日本資本主義の父と言われ
500社以上の企業の
設立にかかわった渋沢。
日本赤十字社や東京慈恵会、
一橋大学などの設立にも尽力した。

渋沢が大切にしていたのは
「論語」と「算盤」。
道徳と経済の両立。
いまでこそSDGsという言葉が生まれ
企業による社会課題解決が問われているが
まさにこれこそはるか昔に
渋沢が目指していた姿なのだ。

実はノーベル平和賞にも
二度も候補に選ばれている渋沢栄一。
海外の経済人からも
その実績と人間性は高く評価されている
日本経済の偉大な父である。

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澁江俊一 19年5月19日放送



渋沢の温情

1万円札の新しい顔になるのは
経済人では初めて日本のお札になる渋沢栄一。

明治25年。
53歳の時に渋沢は暴漢に襲われた。
幸いにして軽いけがで済んだが暴漢は逮捕された。
彼らは金で雇われただけと
裁判官に寛大な処置を願った渋沢。
しかし暴漢は有罪となり刑に服した。

後に出獄してからその男が
生活に困っているという話を聞くと
渋沢は商売の資本にでもなればと
いくばくかの金を送り届けた。
男は恐縮して渋沢に
礼を言いにやってきたという。

日本資本主義の父と言われ
500社以上の企業の設立にかかわった渋沢。
彼が立ち上げた企業の多くが
今もなお活動を続けているのは
渋沢が名もなき民の心を
誰よりもわかっていたからかもしれない。

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澁江俊一 19年5月19日放送



渋沢のライバル

1万円札の新しい顔になるのは
経済人では初めて日本のお札になる渋沢栄一。

明治11年8月、
隅田川の屋形船に渋沢を誘ったのは
財界の大物だった三菱の創始者、岩崎弥太郎。
その夜岩崎は渋沢に、
一緒に手を組まないかと持ちかけたが
渋沢は三菱が会社と言いながら岩崎家の家業であり
利益を独占していたことを批判したのだ。

この後2人はビジネスという戦場で
争いをくりひろげるライバルとなる。
渋沢は三菱のような巨大財閥をつくらず
道徳と経済の両立を人生の理想とした。

道徳と経済の両立。
それができていると言いきれる企業は
今、世界にどのくらいあるだろう。

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澁江俊一 19年4月21日放送



命がけのお茶

戦国時代の日本で
大流行していた茶の湯。

戦国武将にとって
狭い茶室で茶を点てて
ゆっくり味わうことは
命を懸けて戦い
死ぬことが身近にある日々の中で
なによりの癒しだった。

明日死ぬかもしれない。
というあまりに過酷な状況で
花や茶菓子に移ろう季節を感じながら
味わう茶の味。
いま私たちが仕事の合間に飲むお茶とは
密度がまったく違っていただろう。

時々でいい。
私たちも武将たちに倣い
いま生きていることに感謝しながら
いつものお茶を命がけで
味わってみたいものだ。

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