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石橋涼子 18年10月28日放送

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パンダのはなし パンダの来日

46年前の今日は、何の日だかご存知だろうか。
それは、あの人気者が初来日をした日。

昭和47年10月28日夕方。
羽田空港に到着したのは、日中友好の動物親善大使である
ジャイアントパンダのカンカンとランラン。

当時、野生も含めて1000頭に満たないと言われた
希少動物である二匹に、日本中が夢中になった。
空港からはパトカーの先導で上野動物園へ向かい、
200人以上の報道陣が集まった。
11月の一般公開では長蛇の列が2キロも続いたと言う。

まだ2歳で、こどもっぽさの残る雄のカンカンは、
来日当時、体重たったの55キロ。
一方、雌のランランは4歳、体重は88キロ。

二頭は、日本の熱烈なパンダブームに圧倒され、
食事も進まず、すっかり疲弊してしまったという。
体調優先ということで公開時間は一日2時間に。
月曜と金曜はお休みの完全週休二日制となった。

平和の象徴であるパンダは、
40年以上前の日本でひっそりと
働き方改革の波も起こしていたのかも、とは言いすぎだろうか。

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石橋涼子 18年10月28日放送

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Photo by Blue Pylons
パンダのはなし パンダのごはん

パンダは中国の古い文献に存在を記されているが、
発見されたのは意外と最近、19世紀後半だ。
本格的な飼育が始まったのは1936年だと言われている。

謎に包まれながらひっそり生きていたパンダの
生物学的な研究が始まったのもその頃。
つまり、飼育法もこの数十年間の試行錯誤の
たまものだということ。

例えばパンダは竹や笹の葉を好んで食べる。
しかし、それ以外のものも食べるのか、
栄養にできるのか、逆に体に害を及ぼすのか。
研究とともに食事のメニューも変化している。

初めて来日したパンダの食事は、竹の他に
お粥やサトウキビ、サツマイモ、ナツメなどがあったが、
現在では竹を重視したメニューになっているという。

初代のカンカン・ランランの糞は
健康な状態で一日10キロ前後。
一方、竹をメインに食べるリーリーは
その倍、20キロ以上の糞をするそうだ。

パンダの語源は、「竹を食べるもの」を意味する
ネパール語だという説があるが、
たくさん食べてたくさん出して、すくすく育ってくれるなら
すこしくらい偏食でも、まあいいか。

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石橋涼子 18年9月30日放送

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Photo by Rob Bye
大地のはなし 母なる大地の土

「母なる大地」という言葉があるように
人は自分を育ててくれた大地に愛情を持つ。

ロシアでは古代、長旅に出る際に
故郷の土を一握り持って行ったという。

江戸時代の旅人の心得として書かれた本には
船旅の不安を防ぐ方法として
陸の土を包んで持つように書かれていた。

さて、あなたがホッとする大地はどの辺りでしょう。

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石橋涼子 18年9月30日放送

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大地のはなし ネイティブアメリカンの教え

私たちは大地に育まれている。
水や空気や栄養を、そこに実る植物を、
惜しみなく与えられていることに
私たちはあまり気づかない。

私たちは大地に支えられている。
高いところが大好きな人間や建築物やあれこれを、
大地は重いとも言わずに支えている。

私たちは足元に大地があることに何の疑問も抱かない。

ネイティブ・アメリカンに古くから伝わる
こんな教えがある。

 大地は先祖からの授かりものではなく、
 こどもたちからの預かりものである。

大事な預かりものだと考える緊張感は、
現代の私たちにこそ丁度いいのかも。

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石橋涼子 18年8月26日放送

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kazutan3@YCC
宿題のはなし 自由研究のはじまり

夏休みの宿題の定番でもある、自由研究。
それは、大正デモクラシーと同時期に起こった
大正自由教育運動から生まれたという。
それまでの一方的な教育ではなく、
こどもが主体の学びを目指そうという
現代に於いても斬新な思想を持った教育運動だ。

その時代に、特に多くの新教育を実践したのが、
東京府立第五中学校の初代校長をつとめた伊藤長七だ。

当時では珍しい課外活動や実験を重視し、
学生の自由な発明工夫を集めて展示する
創作展も開催した。
それまでの権威主義的な教育や教師を嫌い、
学生の意見をつねに聞く姿勢を崩さなかった。
先生は偉い、教育は権威だ、という時代に
伊藤長七の学校には自由と活力が溢れていたという。

夏休みの最後に残りがちな自由研究。
肩の力を抜いて向き合ってみると、
自由なひらめきも沸いてくるかもしれません。

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石橋涼子 18年8月26日放送

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宿題のはなし 遊牧民の進み方

8月最後の日曜日。
夏休みの宿題とにらめっこをしている人も
多いかもしれない。

厳しい自然や天候と常に向き合いながら生きる
遊牧の国モンゴルにはこんなことわざがあるらしい。

 山が高いからといって戻ってはならない。
 進めば越えられる。

 仕事が多いからといってひるんではならない。
 行えば必ず終わる。

宿題だって、一問ずつ、1ページずつ。
ゆっくり進んで行けば必ず終わるもの。
焦りも、その後の解放感も、この夏の思い出です。

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石橋涼子 18年6月24日放送

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Bundesarchiv Bild 183-H28795
空のはなし トーマス・マンと夜空

ドイツのノーベル賞作家、トーマス・マン。

自分に厳しく、小説を書くにあたっても
周到な下調べや、細かな根拠づけを欠かさなかった。
文章を書くときは書斎にこもり神経を研ぎ澄ます。
家にいる子供たちにも静寂を求めたという。

なんだか堅物な印象のトーマス・マンだが、
こんな言葉も残している。

 いま、私が一番好きな仕事は
 夜に星空を眺めることです。
 なぜと言って、
 この地上から、
 この人生から眼を逸らすのに
 これほど良い方法があるでしょうか。

偉大な父も時には、やれやれ、と息をつきながら
星空を眺めたものか。
もしくは、もっと視野を広げなければなどと、
堅苦しいことを考えたりしたものか。

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石橋涼子 18年6月24日放送

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National Museum of the USAF
空のはなし ライト兄弟の飛んだ空

1903年と言えば、
機械が空を飛ぶことは不可能、と考えられていた時代。
そして、ライト兄弟が世界で初めて飛行機に乗って空を飛んだ年。

今、何かに限界を感じている人に、彼らの言葉を贈ります。

 いま正しい事も、
 数年後 間違っていることもある。
 逆にいま間違っていることも、
 数年後 正しいこともある。
 そして我々は、飛行機はきっと空を飛ぶと確信していた。

さあ、広い空を見上げて、まずは一歩、踏み出そう。

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石橋涼子 18年5月27日放送

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うたのはなし ペギー葉山とドレミのうた

いいうたって、なんだろう。

小学校でも習う「ドレミの歌」は、
元はブロードウェイミュージカルの劇中歌だった。

ジャズシンガーでもあるペギー葉山が
アメリカの劇場で聴いて感動し、
帰りの飛行機で翻訳をしたという。

実は、オリジナルにはドーナツもレモンも出てこない。
ドーナツからはじまる歌詞に関して、彼女は
戦争中にいちばん食べたかったものが
ドーナツだったと新聞のインタビューで答えている。

日本中のこどもに愛されているうたには、
意外な想いがこめられていた。

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石橋涼子 18年5月27日放送

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うたのはなし 口ずさむうた

いいうたって、なんだろう。

歌詞もメロディもうろ覚えのうたは、
いいうただろうか。

ひとりで運転しているとき、
料理をつくっているとき、
誰かを待っているとき、
口ずさむ、うた。

うまくもない、正しくもない
けれど、100%自分のためのうた。

心理学者であり哲学者でもある
ウィリアム・ジェームズはこんな言葉を残した。

 人は幸せだから歌うのではない。
 歌うから幸せなのだ。

今日、あなたはどんなうたを口ずさみましたか。

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