‘福宿桃香’ タグのついている投稿

福宿桃香 15年8月8日放送

150808-02

マイヤ・プリセツカヤ②

20世紀最高のバレリーナ、マイヤ・プリセツカヤ。
最高のバレリーナと呼ばれる所以は、
最高のパフォーマンスを、どんな時でも、見せてくれたからに他ならない。

フィレンツェで、「かもめ」という演目を踊ったときのこと。
左足の指を骨折していた彼女は、
1時間かけて塩化エチルで指を麻痺させ、いつもどおりに舞台へ立った。

すさまじいまでの忍耐強さが培われたのは、
スターリンの支配下で暮らした幼少期。
父親が処刑され、母親と弟が収容所へ連れていかれた絶望の中でさえも、
彼女は踊ることをやめなかった。
家族の分まで踊らなければ。それが自分の使命だと信じていた。

晩年、彼女はこんな言葉を残している。
「どんな場所にいても、なぜそこにいるのかがわかっていなければならない」
多くの人に支えられて舞台に立てる幸せと責任を、生涯忘れなかったのだろう。

topへ

福宿桃香 15年8月8日放送

150808-03
www.kremlin.ru
マイヤ・プリセツカヤ③

スターバレリーナとして、
80歳を過ぎても踊りつづけたマイヤ・プリセツカヤ。

日本との関係は非常に深かった。
公演のためにたびたび来日していた現役時代はもちろん、
引退後も日本の若手を育成するべく、何度も足を運んだ。

宝塚歌劇団の公演「王家に捧ぐ歌」では、
彼女が自らミュージカルの振付を担当している。
稽古の日に合わせて来日し、
檀れいや湖月わたる、安蘭けいをはじめ
当時のトップダンサー達に厳しく指導をした。

魂と心と技術が一体にならないと、美しさは生まれない。
彼女の教えを、日本のダンサーたちは今も覚えている。
日本の芸術への貢献をたたえて、
黒澤明やオスカー・ピーターソンにつづき88人目となる
高松宮殿下記念世界文化賞をはじめ、旭日中綬章が贈られた。

topへ

福宿桃香 15年8月8日放送

150808-04

マイヤ・プリセツカヤ④

スターバレリーナ、マイヤ・プリセツカヤの代表作といえば、
「瀕死の白鳥」。

バレリーナの個性が大きく出る踊りで、
彼女が演じる白鳥は、1度しか倒れない。
最後の最後まで死に抵抗し、突然、動きを止めるのだ。

彼女の白鳥は、彼女の人生そのものだったといえる。
自伝には、こんな言葉があった。

蔑まれたり、人間としての尊厳が踏みにじられない日は一日としてない。

ユダヤ系の家系だったことを理由に受けた差別・迫害はすさまじく、
海外公演で滞在していたホテルでは、食事がドッグフードのこともあった。

それでも彼女は、バレエを通じて抗いつづける。
「カルメン組曲」や「ボレロ」など反ソ連的な新作に挑戦を続け、
世界をよりまっとうな方向へと、変えていった。

プリセツカヤの死後、日本のバレリーナ・森下洋子は、こう語った。

自らをなげうって多くの人に喜びを届けるという聖なる仕事を終え、
マイヤさんが彼岸に渡る船から手を振っている姿が、はっきり見えるような気がします。後は任せた、と。

自伝のタイトルは、「闘う白鳥」。
彼女の一生は、長い長い闘いだった。

topへ

福宿桃香 15年7月18日放送

150718-02
kimtetsu
ホームランの話 新井兄弟

阪神タイガースの新井良太は、
同じくプロ野球選手の兄を持つ。

もともと野球を始めたのも兄・貴浩のすすめ。
肩を並べて、ただ一緒に野球をやりたい。
やがてプロでも兄と同じ阪神でプレーするまでになった。

しかし待っていたのは、兄とのポジション争い。
体格もプレースタイルも似ていた兄弟にとって、
一人が活躍することは
もう一人の居場所がなくなることだったのだ。
そのとき良太が出した答えは、
兄と同じファーストから、サードへの守備位置変更。

そして試合に揃って出場するようになったふたりは、
2012年7月29日の対横浜戦で快挙を達成する。
4回、まず良太がバックスクリーンに飛び込む特大3ラン。
そして7回には貴浩がダメ押しの2ラン。
じつにプロ野球史上31年ぶりの
兄弟アベックホームランだった。

topへ

福宿桃香 15年5月10日放送

150510-02
fred baby
母を生きた人 オードリー・ヘップバーン

銀幕の妖精オードリー・ヘップバーンが
映画より愛したもの。
それは、二人の息子と過ごす時間だった。

よき女優である前に、よき母であろうと努力した。
息子たちを毎日学校まで送り迎えし、
一夜漬けの勉強にも付き合った。

息子・ショーンが劇に出たときには、
台詞の覚え方を伝授した。

「夜、明かりを消す前に台詞を読むの。
 それで朝、目を開けたときにもう一度読むのよ」

名女優のアドバイスを胸に、ショーンは完璧に役を演じた。
本番当日のオードリーは
仕事を入れずに劇を見に行っておきながら、
ショーンを動揺させないように遠くでそっと見守ったそうだ。

二人の息子にとってオードリーは、
ほかの誰にも演じることのできない
すばらしい母親だった。

topへ

福宿桃香 15年5月10日放送

150510-03
audrey jotekonykodik
母を生きた人 オードリー・ヘップバーン

女優オードリー・ヘップバーンは、
自らの子育てが落ち着くと
今度はその愛情を世界中の恵まれない子供たちに注いだ。

わずか1ドルの報酬でユニセフ親善大使の役目を引き受けると、
深刻な食料危機に陥っていたエチオピアやソマリアなど十数カ国をめぐり、
63歳でこの世を去るまで国際社会に支援を訴え続けた。
訪れた先々でオードリーは子供たちを
そっと抱きしめ、手を握った。母親がそうするのと同じように。
そのうち、彼女のまわりには自然と子供たちが集まるようになった。

オードリーの息子・ショーンによれば、
ユニセフの活動は彼女にとって
「自分自身の傷ついた子供時代を癒すチャンスでもあった」という。

オードリーは6歳で父親に捨てられ、
10代で第二次世界大戦を経験している。
食べ物にも、愛情にも飢えていた幼少期。
そんな幼い頃の自分と貧困で苦しむ子供たちを
重ねあわせていたからこそ、
人一倍、支援活動にのめりこんでいったのだろう。

オードリーは晩年、こんな言葉を残している。
「愛は行動。言葉だけですんだことなど、一度だってなかったわ」
その言葉の通り、彼女は命をかけて行動した。
すべての恵まれない子供たちの母として。

彼女が亡くなって、今年で22年。
その強い想いは「オードリー・ヘップバーン児童基金」という支援団体に形を変えて、
今もなお子供たちを支え続けている。

topへ

福宿桃香 15年4月11日放送

150411-01

ヴィクトリア女王

1837年。
弱冠18歳にしてイギリスの女王となったヴィクトリアは、
いとこのアルバートにひとめで恋に落ち、
すぐに結婚を決意してしまった。

王族の恋愛結婚が珍しい時代。
自らの思いを貫いた彼女が選んだウェディングドレスは、
王室の伝統にのっとったきらびやかなものではなく、
白いサテンのシンプルなドレス。
飾らず、誠実で、純粋。
まさに彼女の人柄を象徴する結婚だった。

晴れて夫婦となった後も、
アルバートを生涯愛し続けたヴィクトリア。
そんな女王の生き方に憧れた女性たちのあいだに、
純白のウェディングドレスを着る
習慣が広まっていった。

生涯、この人と添い遂げたい。
今日も世界中の花嫁たちが
ヴィクトリアと同じ願いを身にまとう。

topへ


login