サイモン&ガーファンクル
二人は怒っていた。
自分たちの曲を
プロデューサーが無断で
ロック調にアレンジして
発売してしまったのだ。
一人は大学に戻り、
一人は母国に戻る。
その曲があっという間に
全米ナンバーワン・ヒットに。
サイモン&ガーファンクル、
「サウンド・オブ・サイレンス」。
そういえばいまだに
彼らはライブでこの曲を
アコースティックバージョンで
歌うことの方が多いとか。
その人間臭さもまた魅力。
吉行淳之介
作家、吉行淳之介は、
女性の気持ちがよくわかっている。
女優、宮城まり子の部屋に
初めてやってきたときに
本棚を見てつぶやく。
「僕の持っている本と似ているね」
その一言で、37年間、
彼女は彼から離れられなくなる。
男が女を口説くとき、
大仰な愛の言葉は必要ない。
皆川明
色と線を無限に組み合わせ
一枚の布に物語をつむぐ。
テキスタイルデザイナー、
皆川明はこう言う。
「短期間で魅力がなくなるのは
デザインの力が弱いからだと思うのです。」
そんな彼のブランド「mina」は
必要があれば、
何年前のコレクションの服でも
修繕を引き受ける。
「100年後にも愛される服。」
彼の辞書に、
ファストファッションなんて
文字はない。
ジョー・ストラマー
パンクというものが、
労働者階級の特権だとしたら、
彼はパンクではないかもしれない。
ザ・クラッシュのボーカル、
ジョー・ストラマー。
彼は中産階級の出身だったし、
父親は外交官だった。
ただやみくもな怒りの暴走では
世界は何も変えられない。
音楽にできることは何か。
ライブ中にウイスキーの空ボトルを投げつけられた彼は、
笑ってこう言った。
「こんなことぐらいしかできないのか。」
そして、
降り注ぐウイスキーのボトルにも、
彼は笑って歌うことをやめなかった。
林正之助
吉本興業二代目社長、
林正之助は商いの天才だ。
1959年。
新しい舞台を始める際、
作家の原稿料に悩む
社員を叱りつけた。
「書いたことある人間に
書かせるから高いんや。
うちの社員なら金がいらんやろ。
おまえが書け。」
その舞台はじわじわと評判になり、
50年たった今でも、
大阪の土曜のお茶の間を沸かせる
「吉本新喜劇」となる。
無茶もあるいは
商才のひとつ。
西健一郎
色割烹「京味」の亭主、西健一郎は
初物好きのお客をこう諭す。
「早ければいいってものじゃない。
美味しいものと、
変わったものは違います。」
素材の一番美味しい時期を知って、
料理を作る。すなわち、
「味を迎えに行く。」
脂のよくのったブリ大根、
ぷりぷりのカキと味噌の土手鍋。
さぁ今日は、
どんな冬を迎えに行こう。
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小山佳奈 10年01月23日放送
小山佳奈 09年12月12日放送
高田渡 息子
もしも子どもができたとしたら
何をしてあげよう。
フォーク史上最高のシンガーであり、
最高の酔っぱらい、高田渡。
彼は息子に歌を贈った。
「見えるものはみんな人のものだよ
見えないものはぼくらのものだよ」
いま、息子の高田漣は
父と同じくギターを弾いている。
見えなくてかけがえのないものを
たしかに奏でている。
高田渡 反骨
本当の反骨精神とは何だろう。
フォーク史上最高のシンガーであり、
最高の酔っぱらい、高田渡。
反体制をこれみよがしに
カメラの前で叫ぶ人々を横目に
高田は歌った。
「自衛隊に入ろう
自衛隊に入れば この世は天国
男の中の男はみんな
自衛隊に入って 花と散る」
一級の皮肉は
何よりも雄弁だ。
「高田渡 寂しさ」
フォーク史上最高のシンガーであり、
最高の酔っぱらい、高田渡。
寂しがりやの彼は
ツアーに出ても落ち着かず。
吉祥寺に帰ってきては
朝まで仲間とくだを巻く。
そのお酒が彼の体をむしばんで
ついにはどうにもならなくなっても
彼はやっぱり仲間を誘いつづけた。
そんな高田渡の歌は
やさしくて、
やっぱり少し寂しい。
「歩き疲れては 夜空と陸との
隙間にもぐり込んで
草に埋もれては 寝たのです
所かまわず 寝たのです」
「ジャニス・ジョプリン」
ロックの女王、
ジャニス・ジョプリン。
彼女は27年の短い人生にたくさんの恋をした。
しかし本当に愛したのは最後の恋人だけ。
世界を放浪する恋人に何通も手紙を書く。
しかしその手紙はいつも国境ですれちがい
彼が受け取ることはなかった。
雑誌でジャニスの死を知った彼は
レコード屋で彼女の最後の新曲を聴き
さめざめと泣いた。
「Cry baby, cry baby, cry baby,
Honey, welcome back home.」
帰ってきて。
たったそれだけの言葉が
届かなかった。
それが、
女王という称号への代償だとしたら、
世界は悲しすぎる。
「コートニー・ラブ」
ラブという名前を持ちながら、
愛で人を救えなかった女性。
コートニー・ラブ。
夫のカート・コバーンは
カリスマの重圧に耐えきれず
ドラッグに溺れ自ら命を絶った。
コートニーは歌う。
「もしあなたが私と一緒に
この世界を生きてくれるというのなら
あなたのために死んであげる。」
その覚悟は
たしかに本物だったはずなのに。
神様は人間に、
どれほどの愛を要求すればいいんだ。
「ジャニス・イアン」
ジャニス・イアン、
「at seventeen」。
「美人でもなく醜い私は
他の人へのうらやましさで一杯になりながら、
たった1人だけで愛の語らいをつぶやく、
そんな17歳でした。」
自分のすべてが足りなくて
自分のすべてが腹立たしくて。
年を重ね、
たいていのものは
受け入れてしまえるようになった今、
ときどきあの頃に戻ってみたいと思う。
小山佳奈 09年11月21日放送
「黒澤明 ノート」
天才に努力されたら
凡人はふて寝するしかない。
だが決まって天才は
努力家だったりする。
映画監督、黒澤明は
膨大な量の本を読み
片端からノートに取る。
創造とは記憶です。
自分の経験や記憶が
足がかりになるんであって
無から創造できるはずがない。
おっしゃる通り。
やっぱり凡人は
ふて寝するしかない。
「黒澤明 ビフテキ」
ビフテキの上にバターを塗り
その上に蒲焼きをのせたような映画
1953年。
映画監督、黒澤明が
誰も見たことのない日本映画をつくろうと
頭に描いたイメージはこれだった。
ビフテキが時代劇。
バターがアクション
蒲焼きが人間ドラマ。
そう。
日本映画史上最高傑作、
「七人の侍」は
構想の時点ですでに
誰もが満腹になる
準備はできていた。
「黒澤明 主人公」
主役だけが主人公ではない。
どんな人間だって
ある角度から見れば、
そいつは主人公なんでね。
黒澤明は言う。
だから彼の映画には
どんな端役の百姓にも
名前と年齢がある。
だから存在感のある役者を
キャスティングする。
人生に端役なんてない。
「黒澤明 出会い」
映画監督にとって
つくることだけが才能ではない。
出会うことも才能。
鎖につながれた猛獣がいる。
黒澤明は通りすがりのオーディションで
異様なものを見つけた。
「笑ってみて」と言われて
「おかしくないので笑えません」。
憮然と答えるその猛獣の名は、
三船敏郎。
一度はオーディションに落ちた三船を
黒澤が拾い上げた。
その瞬間、
黒澤映画の半分は
出来上がった。
「黒澤明 三船」
時には狂った獣のように。
時には無邪気な子犬のように。
黒澤映画に出てくる三船は
縦横無尽に跳ねる、駆ける、笑う。
時にはカメラも追いつけない。
その予測不能の動きが
黒澤映画に命を吹きこむ。
黒澤はこう言っている。
映画は時間の芸術であり、
時間とは“動き”である。
“動き”がなければ映画は成立しない。
「黒澤明 スピーチ」
1990年、
映画監督、黒澤明は
史上3人目となるアカデミー特別名誉賞を受賞した。
映画人生62年目を迎えた80歳の黒澤は、
その壇上でこう言った。
ぼくはまだ、映画がよく分かっていない。
ひとついえることは
黒澤は映画に関していえば
世界一、強欲で貪欲な監督である。
そしていまでも
黒澤の大きすぎる背中を
世界中の若者が追いかけている。
小山佳奈 09年10月10日放送
司馬さんとみどりさん 「原稿用紙」
作家、司馬遼太郎と、妻みどりさん。
二人は職場恋愛だった。
同じ新聞社の同じ部で
向かい合わせに座る二人。
かぎつけるのが仕事の記者たちの中で
ひそひそと恋を育んだ。
連絡はいつも机の隙間からするりとすべり込む
原稿用紙の切れ端。
サントス亭で待ってます。
原稿用紙から始まる作家の恋なんて
順当すぎてつまらないけど、
司馬さんとみどりさんには
ことのほか似合っている。
司馬さんとみどりさん 「四天王寺」
作家、司馬遼太郎と、
妻みどりさんがまだ恋人だった頃。
四天王寺をそぞろ歩きながら
司馬さんはこんなことを言った。
僕たちは弱点で結ばれたんだから、
壊れることはないよ。
そうして37年。
たしかに二人は歩き続ける。
一瞬も一片も壊れることなく。
司馬さんとみどりさん 「ピーマンの皮」
作家、司馬遼太郎と、妻みどりさん。
みどりさんは料理がさっぱりできない。
晩ご飯にバナナを一房だけ買ってくる。
ピーマンの皮をむいたら
中に何も入ってないと騒ぎ出す。
そんなみどりさんに司馬さんはプロポーズする。
「そんなことはどうでもいい」。
そういえば
司馬さんの小説に出てくる女性たちも
みんな男まさりでおてんば。
司馬さんの好みは
一貫している。
司馬さんとみどりさん 「風邪」
作家、司馬遼太郎と、妻みどりさん。
司馬さんは風邪をこの世で一番怖がった。
みどりさんは、夫が風邪を引くことを
この世で一番怖がった。
たった36度5分で
司馬さんは暴君のようになった。
そばにいれば「あっちへ行け」
あっちにいると「何してるんだ」
あげくお医者さんには
「大した風邪でもないのに
うちの家内が騒ぐもので」。
やれやれ。
新型インフルエンザなんて聞いたら
司馬さんの前にみどりさんが卒倒する。
司馬さんとみどりさん 「結婚記念日」
作家、司馬遼太郎と、妻みどりさん。
二人は晴れがましいことが大の苦手。
結婚式は本当に内輪で済ませたし
結婚記念日なんて祝うどころか
思い出すことすらしなかった。
ただ一度、何十回目かのその前の日、
ソファに寝転がりながら司馬さんが呟いた。
そうか、明日は俺たちの日なんだ。
たった一言が
何十年分の愛。
司馬さんは、ずるい。
司馬さんとみどりさん 「21世紀」
1996年。
夫の司馬遼太郎が亡くなっても
妻のみどりさんは泣かなかった。
蔵書を整理し記念館をつくり財団を立ち上げ、
息つく間もなく迎えた2001年のお正月。
21世紀に酔う街並を見て
みどりさんは唐突に司馬さんを思った。
この瞬間、いっしょにいたかった。
司馬さんが、愛し、憂えたこの国の21世紀を、
二人で見たかった。
みどりさんはその日、
司馬さんが亡くなってから
初めて泣いた。
司馬さんとみどりさん 「呼び方」
作家、司馬遼太郎の妻みどりさんは、
一度も夫を「主人」と呼ばなかった。
「司馬さん」。
それがみどりさんの呼び方。
ただ司馬さんが亡くなってから
ごく近い人にごくたまに
ちがう呼び方をしてみる。
「あのひと」。
そう呼ぶと少しだけ甘い気分になれるから。
そう呼ぶと少しだけあの日に帰れる気がするから。
「あのひと」。
そう呼んだ日は
少しだけ泣きたくなる。
小山佳奈 09年9月12日放送
ツィオルコフスキー
宇宙には音がない。
あるのはどこまでも続く静寂。
ロケットが宇宙に行けることを
世界で初めて証明した
ツィオルコフスキー。
9歳で聴覚を失い
中学校にも入れなかった彼は、
ほぼ独学で宇宙と向き合い、
宇宙を手にした。
耳の聞こえない彼にとって
宇宙は誰よりも公平だと
彼は思ったのかもしれない。
フォン・ブラウン
ただ月に近づきたかった。
ただ月をその手につかみたかった。
宇宙を夢見るフォン・ブラウン少年は
ヒトラー率いるドイツ陸軍の下、
ひたすらロケットを作り続ける。
大戦後、
NASAにスカウトされ、
アポロ11号を月へと導いたブラウンは、
ナチスに協力した過去を問われた時、
こう答えた。
私は宇宙へ人間を飛ばす目的のためならば、
悪魔と手を握っても働き続けたいと思った。
夢は大きければ大きいほど
その分の覚悟を要求してくる。
糸川英夫
「太平洋を20分で横断するロケットをつくる」と宣言した時も。
23センチのペンシルロケットを打ち上げた時も。
周りの大人たちは失笑し、あるいは嘲笑した。
糸川英夫はそんな大人たちに目もくれず
せっせと宇宙に近づいた。
しかしその膨張するやっかみは
彼をすっぽりのみ込んで
憧れ続けた宇宙を彼から奪った。
いま太陽系には
イトカワという名前の小惑星がある。
糸川が死んだ後、大人たちがつけた。
その功績をたたえて。
今ごろ糸川は地球を見下ろし
何が功績だと笑っているに違いない。
ジョン・グレン
77歳で宇宙飛行士となったジョン・グレン。
彼は記者会見でこんな質問を投げかけられた。
無重力を老人に試す実験なら
上院議員のあなたではなく
66歳で現役飛行士の
ジョン・ヤングが行くべきでは。
彼はニヤリと笑って
こう答えた。
He is too young.
やはり彼は
宇宙にふさわしい。
ジョン・ヤング
宇宙飛行士ジョン・ヤングはかねてより
チューブの味気ない宇宙食に耐えかねていた。
彼は特注のターキー・サンドウィッチを
ロケット内に持ち込むことを目論んだ。
もちろんそれは見つかって
こっぴどく叱られたけれど。
そういえば
「2001年宇宙の旅」にも
ハムやチキンのサンドイッチを
飛行士たちがほおばるシーンがある。
少なくとも人間の食欲は
無重力にも負けない。
食欲の秋。
大いにけっこうじゃないですか。
ニール・アームストロング
人類で初めて月に降り立った
ニール・アームストロング。
彼は月へと向かうアポロ11号の中で
サミュエル・J・ホフマンの
「月からの音楽」をよく聴いた。
この曲にはテルミンが使われている。
奇妙にあたたかいその電子音は、
宇宙と自分とつなぐ糸だったかもしれない。
彼は地球上のどの詩人よりも
ロマンチストであった。
毛利衛
空の美しい街に生まれた少年は
空を見上げて育った。
毎日毎日空を見上げているうちに、
少年は宇宙飛行士になっていた。
17年前の今日、
空を見上げて育った少年、毛利衛は
颯爽と宇宙へ飛び立った。
宇宙。
たったその2文字に
どれだけの時間と才能が
費やされたことだろう。
人間はそれでもまだ引きつけられる。
宇宙はやはりブラックホールだ。
今日は宇宙の日。
小山佳奈 09年8月16日放送
8月16日に亡くなった人 ~ アンリ・デグランジュ
歴史の始まりはたいてい
腰が抜けるほど単純なものだ。
「自転車レースの日は新聞がよく売れる。
だったらレースの方をつくろう。」
スポーツ紙ロトの編集者、
アンリ・デグランジュが
売上げアップのために始めたレース。
それが今では世界一有名な自転車レース
「ツール・ド・フランス」となった。
動機はあくまで
単純な方がいい。
今日、8月16日は、
アンリ・デグランジュの亡くなった日。
8月16日に亡くなった人 ~ 震洋特攻隊
ベニヤ板を接着剤で貼り合わせただけの
おもちゃのようなモーターボートを集めて
どこかの見知らぬ大人たちが「特攻隊」と呼んだ。
乗組員は人間ひとりと、爆薬250キロ。
1945年8月16日。
戦争が終わったはずの翌日に、
初めて出撃の命令が下る。
準備中、一つの船が爆発して、
111人の若者が、こっぱみじんになった。
震洋特別攻撃隊、手結基地。
東京から遠く離れた高知の海辺の小さな村で、
誰も戦争が終わったなんて教えてくれなかった。
「国のために死ぬ覚悟はできていた。
しかし犬死をする覚悟なんて持っているわけがない。」
生き残った男の目には今もはっきりと
真っ赤に染まる海が見える。
人間が始めた戦争なのに
人間はそれをうまく終わらせることができない。
なのにまた世界のどこかで
今にも始めようとしたりしてる。
どうして人間はそんなにも。
どうして人間はこんなにも。
8月16日に亡くなった人 ~ エルヴィス・プレスリー
メンフィスの小さなレコーディングスタジオに
ふらりとやって来た白人の若者。
高校を卒業しトラックの運転手をしているという18歳は、
聞けば母親の誕生日に歌を贈りたいという。
黒人初の大統領が生まれるたった50年前のアメリカでは、
人種の壁ははるかに高く、
それは音楽ですら例外ではない。
黒人はブルース。
白人はカントリー。
オーナーのサム・フィリップスが
どんな歌を歌えるのかとたずねるとこう答えた。
「僕は何でも歌えます。
僕は誰にも似ていません。」
彼の名は、
エルヴィス・プレスリー。
何かに例えようとする時点で、
それはもうロックではない。
そもそもロックなんてジャンル自体、
ロックの神様には失礼な話。
今日、8月16日は、
エルヴィス・プレスリーの
亡くなった日。
8月16日に亡くなった人 ~ 佐伯祐三
1923年。
西洋画の聖地、
パリに渡った佐伯祐三は、
狂ったように絵を描いた。
その狂気は、
画壇を鮮やかに彩るかわりに、
彼自身の心と体を黒く黒く塗りつぶしていく。
「きっと俺はやりぬく
やりぬかねばおくものか
死-病-仕事-愛-生活」
何よりも死が一番近く、
だからこそ必死で生きた。
今日、8月16日は、
佐伯祐三の亡くなった日。
8月16日に亡くなった人 ~ ベラ・ルゴシ
黒いマントと燕尾服。
オールバックに白い牙。
「魔人ドラキュラ」で一躍スターとなったベラ・ルゴシは、
その後、自ら作り上げたドラキュラ像から逃れられず、
B級俳優の烙印を押される。
彼は亡くなる直前こう言い残す。
「埋葬するときには
黒いマントを着せてほしい。」
最後までドラキュラでありつづけようとした彼が、
B級であるはずはない。
今日、8月16日は
ベラ・ルゴシの亡くなった日。
8月16日に亡くなった人 ~ マーガレット・ミッチェル
自分を書くことはひどく勇気がいる。
偽善的にも偽悪的にもすぐなり下がるから。
作家、マーガレット・ミッチェルはその点、
正直すぎるほど正直に自分の人生を書いた。
「風と共に去りぬ」の主人公スカーレットは、
彼女そのもの。
結婚した男は粗暴で不埒で魅力的。
それでも昔の恋が忘れられずに傷つき別れる。
「Tomorrow is anotherday.」
それはきっと彼女が
自分自身に言い聞かせ続けた言葉。
今日、8月16日は、
マーガレット・ミッチェルの
亡くなった日。
8月16日に亡くなった人 ~ セルマン・ワクスマン
正岡子規からショパンまで
世界中の才能を奪い続けた死の病、結核。
その特効薬を発見しノーベル賞を受賞した、
セルマン・ワクスマン。
しかし実際にこの抗生物質を発見したのは
彼の研究室にいた23歳の研究生だった。
部下の栄誉を横取りした非道な上司とみるか。
部下に資金と機会を与えた偉大な上司とみるか。
今日、8月16日は、
ワクスマンの亡くなった日。
8月16日の送り火
盆地を囲む五つの文字が
京都の空を赤く燃やす。
今夜、京都では
亡くなった人を偲ぶ、
大文字五山送り火が行われている。
今日、8月16日に亡くなった、
プレスリー、ミッチェル、佐伯祐三。
あぁ。
あなたたちの残したもののおかげで
こんなにも私たちは
泣いたり笑ったり驚いたりできます。
「人を思う」と書いて
「偲ぶ」。
さて、
あなたは今日、
誰を思いますか。
海のむこう、広告のむこう。 〜 細田高広篇
もう本当にカンヌって何だっけ、
かもしれませんね。
こうなったら来年のカンヌまでやって
リアルタイムのフリをしたいです。
今回は少し趣向を変えまして。
前回、ホテルでばったり出くわした
ヤングカンヌ代表の古田組・細田さん。
日本代表。
ジャパン。
そんな貴重な話を聞かないなんて。
ということで、
その激戦の模様をつづっていただきました。
どうぞ、お楽しみください。
〜・〜・〜
カンヌのホテルで小山さんに出くわしたとき、
僕が「うわっ。何でここに!」と大げさに驚いてるのに、
小山さんたら「あ、ども。」と軽く会釈するだけ。
まるで渋谷あたりですれ違ったかのよう。
あまりの自然さに「まだ夢でも見てるのかな」と混乱したほどです。
それにしても、あのときの僕の姿と言ったら。
寝癖そのままの爆発ヘアーに、ださいパジャマ、
ひしゃげたメガネに、むくんだ顔。
あぁ、お恥ずかしい。
でも無理もないのです。
あの時は、コンペに負けた悔しさで
およそ1日半「ふて寝」した直後だったのですから。
そう。今回僕はカンヌでヤング・ライオンという若手(28歳以下)の
コンペに参加していました。
ヤング・ライオンにはフィルム、プレス、サイバー、メディアの
4部門があり、僕が出場したのはメディア部門。
雑誌とか、テレビCMとか、屋外広告とか、ウェブとか
メディアを自由に組み合わせてひとつのキャンペーンを提案します。
スケジュールは以下の通り。3日間にわたります。
1日目 16:00 オリエン(課題発表)
2日目 08:00−20:00 (制作作業)
3日目 プレゼン 各チーム5分 スライド10枚
今年のクライアントは、WFP(国連世界食料計画)。
世界の発展途上国の小学校に給食を送る活動を行っている団体です。
お題は、「先進国の子どもたちに活動の意義を伝え、自分ごと化させ、
寄付をさせるためのコミュニケーションを考えよ」というもの。
想定予算はおよそ5000万円。
25カ国の代表が一部屋に集まって話を聞くのですが、
みんな28歳以下に全然見えません。
「あの男強そう」とか「ケンカしたら負けるよね」とか
もうひとりのパートナーと、意味も無くブルブル怯えていました。
オリエンが終わると、皆、一斉に作戦会議を始めます。
会場の中で考えると煮詰まりそうだったので、
僕たちは会場側のカフェに移動し、とりあえず
お互いのアイデアを練ることにしました。
カンヌの心地よい風が眠気を誘います。
なんと仕事に向かない幸福な気候なのでしょう。
それをエスプレッソと日本から持ってきた
粉末ユンケルでやっつけながら、およそ2時間後。
2人のアイデアを元に議論開始。
徐々に日が落ち始めた頃、ようやく提案の筋が見え始めます。
僕はコンセプトやメッセージやらを詰め、
パートナーはキャンペーン展開をするメディアを考え、
再び持ち寄って・・・と繰り返しているうちに
あっという間に夜が明けました。
さぁ、2日目はいよいよ制作作業です。
皆さんなら、どんなキャンペーンを考えますか?
【つづく】
海のむこう、広告のむこう。~vol.5
そろそろカンヌってなんだったっけってなっている頃かと思いますが。
めげずに書きます。
今のところ、ただ飛行機に乗り遅れて荷物をなくしただけの
間抜けな日本人ですものね。
広告の話まったくしてないし。
それにしてもこんな大仰なタイトルつけるんじゃなかった・・・。
ホテルについた翌朝、
そういえば広告祭を見にきたんだったとホテルのエレベーターを降りると
見た顔が。
Visionの細田さんです。
ヤングライオン日本代表だったという細田さん、すごいですね。
コンペの翌日だったそうで、その顔色が壮絶な戦いを物語っていました。
あと会場でも佐藤さん(事務局長)に会いました。
カンヌの光を浴びて、一層さわやかな佐藤さん。
さすがです。
Visionの人たちにはたくさん会ったんですが、
今年のカンヌはみなさんもご存知のとおり、本当に人が少なくて。
5年前に初めて来たときには、
日本人も外国人も外国人みたいな日本人も、みんなみんな
道端にあふれ返っていたし、
夜になると歓声や奇声があちこちのパーティーから聞こえていたのに、
今年は普通の観光客しかいなくて
あぁカンヌってリゾート地だったんだな、と改めて思いました。
会場内も、
スクリーニングの会場に3人しか見ている人がいなかったり、
地下のグラフィックが並んでるフロアも冷え切ってたりと
どうも様子が違います。
とはいえ、女子トイレに並ばなくても入れるし、
微妙に知ってるけど微妙にしか知らない会社の人とかに会って
まごついたりしなくてもいいので、
意外と悪くないです。
地味カンヌ。
フィルムのグランプリもインターネット、
やれ時代はサイバーだなんだといってるのに、
そんな流れとはまったく関係ないPRESS部門を真っ先に見にいきます。
英語がわからないので、ずいぶん時間がかかる。
好きだったのは、GOLDだったFIATの環境広告。
車の衝突実験でエアバッグがバーンって開いてるんだけど
運転席にいるのがパンダとか絶滅危惧種。
「Engineerd for a Lower Impact on the environment.」。
たしかフィルムでもSILVERだった気が。
あとは、
これもGOLDのMiller「High Life Innovation.」シリーズ。
「ミラーを飲むとき足を組まないようにしとく装置を開発しました」
「ミラーを飲むとき小指を立てないようにしとく装置を開発しました」
ばかばかしくっていいなぁ。
グランプリのWrangler「We are animals.」は
コピーがいい的なことを外人が言ってました。
その隣にはOUTDOOR部門やMEDIA部門のボードが並んでいます。
カテゴリーの違いが今いちよくわかりません。
目を引いたのは、
たしかOUTDOORのグランプリだった
「TRILLON DOLLAR BILLBORAD」っていうお札でできたポスター。
ジンバブエの新聞の広告で、
何万枚という本物のお札でできたポスターに
「こんなにたくさんのお金でもこの一枚のポスターが刷れません」
というようなことが書いてある。
ジンバブエは今ものすごいインフレで
1兆ジンバブエ・ドルとかになってるらしく。
この手の経済ネタは結構あって(夕張もそうですよね。)
「来年までは経済ものはイケるから、貧乏な街を探しにいこう」って
さっき打合せで古川さんが言ってました。
その日はほぼ一日、地下にいて
夜はブイヤベースをいただきました。
うまーい。
高崎さん、タダさん、阿部さん、ありがとうございます。
ようやく、わたしカンヌにいるんだと、実感。
海のむこう、広告のむこう。~vol.4
みなさまあたたかいコメント、
本当にありがとうございます。
そして相変わらず一向に広告の話になっていません、
すみません。
カンヌに到着した午後。
3日ぶりくらいにシャワーを浴びます。
カンヌで買ったシャンプー「After Shampoo」ってシャンプーじゃなかったり、
リンスだと思ったら「After Dry」ってリンスじゃなかったり
そんなぐらいのことではもうめげません。
すっきりしたのかしなかったのだかわからないまま、
なんとか受付だけでも済ませようと会場に急ぎます。
通行手形みたいなパスをもらうのですが、
そのパス用の写真をその場で撮ってまぁびっくり。
死相とか悲壮感とかいっぺんに出ています。
受付のお姉さんも若干失笑。
これからのカンヌでこれをずっと提げていなくちゃいけないなんて。
ごはんを食べ終えると鬼のような眠気が襲ってきます。
なんといっても5時から起きてますから。
ホテルに戻るとフロントの女の人がにこやかに指差します。
なんと。
荷物が届いているではありませんか。
「エールフランスはロストバゲージに慣れてるから対応が早い」
のだそうです。
慣れる前に荷物なくすなよ。
でもよかった。
その日はあんまり疲れていたので、すぐに眠ってしまいました。
海のむこう、広告のむこう。〜vol.3
シャトルバスに20分ほどゆられて
着いたホテルは薄暗いB&B。
玄関前にはアラブ人の若者たちが何かよくわからないものを吸いながら
うろうろしています。
こわごわフロントに行くと美人のお姉さんが、
4人部屋しか空いてないとにべもない態度。
絶対ウソだよ。
思いながらも、抵抗する気力もなく1人で4人部屋へ。
とにかくシャワーを浴びようとすると、
そこにはタオルもシャンプーも石けんすらない。
手荷物しかないんですけど、私。
仕方なくドロドロのままベッドで丸くなる。
あぁ日本が遠い。
翌朝5時。
全く疲れも取れないままホテルを出、
またどこをシャトルしているかわからないシャトルバスに乗り、
1時間前からゲートの前に座ってニース行きの飛行機に乗り、
ようやくカンヌだ、と思ったら甘かった。
ニース空港。
いくら待っても自分の荷物が回ってこない。
「ロストバゲージね。」
いま一番聞きたくない英単語を平然と言い放つ空港のお姉さん。
(何だってフランスの女の人はあんなに美人で
あんなにぶっきらぼうなんでしょう。)
さすがにがまんしていた涙が頬をつたいます。
そのまま手荷物一つでカンヌに到着。
一番に行ったのは、
会場でもなく、ましてやビーチなんかでもなく、
下着を買うためのスーパーマーケットでした。
「サマータイムマジック。」
渡辺美里さんにぜひ歌ってほしい。
みなさん、カンヌに行かれる際はお気をつけください。
小山佳奈 09年7月5日放送
ペリー
1953年。
黒船で浦賀に乗り込んだペリー。
彼は幕府の役人を船上に招き、
「土色をしておびただしく泡立つ酒」を、
大いにふるまった。
役人たちは、
この魅惑的な泡にすっかり飲まれ、
西洋万歳、われらは同士と肩を抱き、
その後、やすやすと不平等条約を
結んでしまった。
ビール。
いまもむかしも
絶望的にうまい。
ペリーは有能な
外交官だ。
蔦監督
日本の夏は、
高校生にとって
すこぶる不公平だ。
どんな部活も差し置いて、
野球部だけが脚光を浴びるなんて。
その原因の一つは、
高野連でもNHKでもなくて、
池田高校元監督、蔦監督に
あるのかもしれない。
彼は、
無名高校のたった11人の生徒が、
強豪校を打って打って打ちまかし、
ついには甲子園を制するという
あざやかな魔法を日本国民にかけた。
あぁ、蔦監督。
今年の夏もまた。
日本中の高校生が、
地団駄を踏んでいます。
高村光太郎
詩人、高村光太郎。
たいていの人がそうであるように。
彼の好きになる女性は、
みんな顔かたちがよく似ていた。
恋焦がれた若太夫に捨てられ、
智恵子と初めて出会ったとき、
つい、口走った。
「若太夫。」
言葉で生きる詩人ですら、
失言はある。
彼がベッドで思わず
前の彼女の名前を呼んでも
一回なら大目に見てあげよう。
ルイ・レアール
1946年、自動車工ルイ・レアールは
ある一つの水着を思いついた。
そのあまりにも大胆なデザインには、
それに見合う大胆なネーミングが必要だ。
そんな彼の耳に飛び込んできた、
「ビキニ環礁原爆実験成功」のニュース。
これだとヒザを打ったレアールは、
その水着を「ビキニ」と名づけた。
水着と原爆。
人間を狂わせるという意味では、
どちらも正しい。
今日はビキニスタイルの日。
エリック・ハイドシェック
ピアニストには、
もう一つ向いている職業がある。
エリック・ハイドシェック。
兵役でアルジェリア内戦におもむいた際、
軍の通信部に配属された。
そこで彼は、
その研ぎすまされた耳と自慢の指遣いで
モールス信号を自在に操り、
あっという間に伍長に昇格。
その時、
モーツァルト・コンツェルト大賞受賞の知らせを
受けていなかったら。
危うく私たちは、
20世紀最高の音楽を取り逃がす
ところだった。
夏目漱石
いまどきの子どもは物を知らない。
魚は切り身で泳いでいると思っている。
そんな紋切り型の大人の嘆きに辟易したら、
夏目漱石大先生に登場してもらおう。
彼は田んぼに生えている稲が
いつも食べている米だということを、
大人になるまで知らなかった。
百の知識より、
一のおいしさを
知っていればいい。
稲ぐらい、
とは思いますが。
トリュフォーと春樹とそんなようなこと
トリュフォーの映画みたいに、
家を飛び出してみたけど、
寂しくなって
夕飯の時間より前に
家に帰った。
村上春樹の小説みたいに、
昼間からビールを飲んで
ピーナッツの殻を
床に落として
母にものすごく叱られた。
平凡だから、
平凡じゃないことを楽しめる、
平凡な私の
平凡な喜び。
茨木のり子
好きだった顎すじの匂い
やわらかだった髪の毛
皮脂なめららかな頬
水泳で鍛えた暑い胸廓
茨木のり子が
亡き夫を思って詠んだ詩、
「部分」。
曖昧な全体を無理に見ようとするから、
愛はむつかしくなる。
地球もきみも絶望もひまわりも、
全部、部分。
海のむこう、広告のむこう。~vol.2
事件は、行きのパリ、シャルルドゴール空港で起こりました。
飛行機を降りる時に確認したトランジットは3時間。
携帯の時刻をパリ時間に合わせ、
飲めないエスプレッソを飲みながら、
優雅に時間をつぶしておりました。
ようやく出発の30分前になってカウンターまで行ってみると、
何か様子がおかしい。
乗るはずの飛行機は20時15分発ニース行き。
しかし見上げた掲示板に表示されているのは、
21時15分発のマドリッド行き。
おかしいなと思いつつ、
ゲートのお姉さんにチケットを見せます。
お姉さんは一ミリも眉を動かさずこう言いました。
「You missed.」
あぁなんということでしょう。
飛行機が出ています。
でも、なぜ?
私の携帯は19時40分ですよ?
掲示板の時計を見ると、
時刻は20時40分。
何度も目をこすりました。マンガみたく。
そして私はすべてを合点したのです。
サマータイム。
「夏の季節だけ標準時刻を進めて、日照時間を有効に使おうとする制度。
日本では昭和23年(1948)から昭和26年(1951)まで実施。
夏時間。夏時刻。」(yahoo辞書)
くらくらしました。
平成21年の日本から来たのですから、
そんな単語を発音したのは中学の基礎英語以来です。
思えば、
「世界時刻自動補正機能」なんていう漢字だらけの機能に、
「サマータイム」なんていう舶来の思想が理解できるはずもない。
わざわざ成田空港で交換したソニーエリクソンを
心の底からうらみました。
(後から見たらちゃんとそういう機能はついてました。ぬれぎぬ。)
そうして飛行機に乗り遅れた私は、
死ぬほど美人で死ぬほど無愛想なフランス人の空港職員から渡された
ホテルのリストに片端から電話をかけ
10件以上断られた後ようやく取れたB&Bに
どこをシャトルしてるのかわからないシャトルバスで
半べそをかきながら向かったのでした。
つづく。
海のむこう、広告のむこう。~vol.1
2009カンヌ広告祭が終わって早や1週間。
カンヌから帰ってきた人もきちんと仕事に戻り、
そうでない人にはもはや何かそんなものあったかしらという頃合いでしょう。
そんなタイミングで、
カンヌ滞在記。
即時性の時代に10日以上遅れた日記。
もはや滞在記でもなんでもありませんし、
速報も何もありませんので、
おひまな方だけお付き合いください。
とりあえず名前だけそれっぽくして
ごまかしています。
そもそも。
なぜこんなことになったのかというと、
カンヌの広告も景色もトップレスも、
ちゃんと目に入ってきたのが、
広告祭も終わりかけのころだったのです。
カンヌより。
「マイケルが死んだ」
というニュースはここカンヌでも衝撃で。
お店ではマイケルの歌やビデオが繰り返し流れ、
みな広告の話そっちのけで語らっています。
マイケルについて。
そしてマイケルと共にあった自分の青春について。
それらを話す時、みんな悲しいんだけど少し楽しそうなのは、
マイケルの曲が必ずその人の
ちょっと恥ずかしくて、でも、ちょっとまぶしかった記憶と共に
あるからなんでしょうか。
申し遅れましたが、
いまカンヌにいます、Team visionの小山です。
カンヌ滞在記を書かないか?
と言われてうっかりそのまま最終日を迎えてしまいました。
初回にして最終回。
かもしれない。
しかも全然レポートじゃない。
本当にすみません。
これからフィルムの表彰式。
そしてグランドフィナーレです。
小山佳奈 09年6月14日放送
湯川秀樹
いじわるな人のことを
京都の人は「いけず」という。
日本人で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹。
京極小、京都一中、京大と根っから京都育ちの彼は、
科学者としての心得を聞かれて
こう答えた。
科学者というものは、
女の足の指を舐るようなところがなくては
あかんのです
戸惑う相手に、
ほくそ笑む湯川。
なるほど彼は科学者の前に
「いけず」な京都人だった。
ボナンノ・ピサーノ
彼は焦っていた。
「大聖堂建築」という、
国家プロジェクトを担った矢先。
あろうことか、建物が傾き始めた。
欠陥工事の建築家。
世紀を超えた汚名を残すところ。
しかし彼には運があった。
その後の学者たちが
それぞれの時代のありったけの科学で傾いた塔を支え、
今では立派な世界遺産、
「ピサの斜塔」となった。
ボナンノ・ピサーノ。
歴史上もっとも、
幸運な建築家である。
野口英世
偉大なる医学者、野口英世。
彼は、偉大なる借金王でもあった。
田舎から留学費だと
金を借りては毎夜の放蕩。
死後80年がたった今でも
未払いの督促状が舞い込むという。
彼はいま、
お金を貸してくれた人たちへ頭を下げに
日本中を飛び回っている。
1000円札になって。
ほら、
あなたのお財布にも
折り曲がった野口英世が。
ロバート・メープルソープ
自分の名声を見届けるまでは死ねない。
ニューヨークのロングアイランドで生まれた
ロバート・メープルソープは、
カメラを右手に、野心を左手に、
70年代のアートシーンを
一気に駆け上った。
パトロンの金と人脈は
惜しみなく使う。
有名になりたくて何が悪い。
メープルソープの写真は、
だから今でも、
残酷で完璧だ。
パティ・スミス
例えばある女の子に
憧れの人がいたとする。
愛人でもいいからその人に近づきたい、
匂いを嗅ぎたい。
パンクロックの女王、
パティ・スミス。
彼女は元々グルーピー。
ストーンズにあこがれ、
ボブ・ディランに恋をし、
ジミヘンを愛した。
そして、
少女は憧れの世界に愛され、
自ら憧れの人となった。
女の子って、
時々そういう生き物。
丸山薫
梅雨。
空にのしかかる雨雲が
あなたの顔をそんなにもくもらせるなら
丸山薫の詩を読もう。
汽車に乗って
あいるらんどのやうな田舎へ行かう
彼がアイルランドを訪れたことは
一度もない。
想像力だけで出来た言葉は、
新たな想像力を無限に呼べる。
日が照りながら雨のふる
あいるらんどのやうな田舎へ行かう
ディック・ブルーナ
赤、青、黄、緑、茶、グレー。
たった6色と単純な線で出来たうさぎが、
今日も世界中の子どもたちを虜にする。
ミッフィーを50年描き続ける
ディック・ブルーナは、
今でも1枚のミッフィーを描くのに
100枚のミッフィーを描くという。
単純が一番、難しい。
恋も人生もなんだって、
複雑にしたがるのが
人間だから。
中島らも
中島らもは、言う。
僕は、楽園だなんて話は信じない。
そこに好きな人たちがいるところ、
守るべき人がいてくれるところ、
戦う相手のいるところ。
それが楽園なのだと思う。
つまり、
たいていの人にとって、
いま必死で生きているこの場所こそが、
楽園なのだ。
さぁ、明日からまたがんばろう。
おやすみなさい。






















