小山佳奈 11年4月24日放送



西岡常一 法隆寺

昭和9年。
老朽化が進む法隆寺の修繕が、
国家プロジェクトとして決まった。
失敗したら1300年の歴史が失われる。
その棟梁に選ばれたのは
27才の宮大工、
西岡常一であった。

常一はこの抜擢に緊張するどころか
心を踊らせる。

「飛鳥から今までの建築様式をすべて
 見られるチャンスだ」

法隆寺には
その時代ごとに修理を担当した
途方もない数の宮大工たちの魂が
込められている。

この大仕事を軽やかにやってのけた常一は、
その後、困難な寺院の修繕を数々成功させ
「最後の宮大工」と言われるようになる。





西岡常一 道具

昭和の日本の寺院建築を支えた
宮大工、西岡常一。

法隆寺には鬼がいる、と恐れられた彼は
道具に関しても徹底したこだわりを持っていた。

彼はノコギリを使わない。
やりがんなやちょうなといった、
そのお寺が建てられた当時と同じ
道具を使う。

「飛鳥の人たちはよく木を知っている。
 1300年前の飛鳥の大工の技術に
 私らは追いつけてないんです。」

鬼というあだ名に反して
微笑みはやさしい。

「みんな新しいことが
 正しいことだと信じていますが、
 古いことでもいいものはいいんです。」





西岡常一 木

昭和の日本の寺院建築を支え
最後の宮大工とよばれた、
西岡常一。

彼はつねに木と向かい合う。

くせのある木を進んで使う。
むやみに穴を開けない。
鉄の鉄を打ち込むなんて
もってのほか。

1300年前に建てられた
法隆寺に使われている木は
瓦を取ると何日かかけて
元の長さに戻っていくという。
それは木が、まだ生きているという、証拠。

「木を生かすには
 自然を生かさねばならず
 自然を生かすには
 自然の中で生きようとする人間の心が
 なくてはならない。」

彼が見ていたのはいつも
1300年先。





西岡常一 土

法隆寺をはじめ数々の寺院を修繕し、
最後の宮大工といわれた、
西岡常一。

宮大工の家系に生まれた彼は
小さな頃から英才教育を受けて育つ。

特に祖父は熱心で
小学校に上がる前から
常一に仕事を教え込み
宿題などするな、その時間があれば
鉋をかけろと教え込んだ。

そんな常一が高校に上がる際のこと。
彼は何の迷いもなく工業高校を選んだ。
それに対して、祖父の常吉は
なぜか大工仕事とは関係のない
農業高校をすすめる。

土などいじくっている暇はないという常一に
祖父は烈火のごとく、怒る。

「宮大工とは木だ。
 木を育てるのは土だ。
 土の気持ちがわからなくてどうする。」

そして彼は農業高校に進み
一から土と向かい合う。

よく言われることではあるけれど、
まわり道はまわり道ではない。







西岡常一

法隆寺の修繕を一手に引き受け
昭和最高の宮大工といわれた、
西岡常一。

彼はつねに困窮していた。

法隆寺の棟梁といっても
頻繁に仕事があるわけではない。
わずかばかりの田畑を耕し
それでも足りないときは
その田畑を売って家族を養った。

しかし彼はどんなに貧しくても
ふつうの住居の建築には手を出さなかった。

「宮大工は仏さんに入ってもらうから、 
 造ってなんぼというわけには
 いきませんのや。
 心に欲があってはならんのです。」

頑固すぎるほど頑固な姿勢が
西岡常一という男だ。





西岡常一

数々の寺院をよみがえらせ
日本最後の宮大工とよばれた西岡常一には
一人だけ弟子がいた。

師匠はとにかく何も教えてくれない。
鉋のかけ方も鉋くずを渡すだけ、
道具の手入れも毎日磨く背中を見せるだけ。

そうして育ったたった一人の弟子、
小川三夫さんはいま
斑鳩に宮大工の養成所をつくり
後継者を育てている。
そのやり方は師匠と同じ。
ただひたすら背中を見せ続ける。

「教えないから
 育つんですよ。」

斑鳩工舎とよばれるその学校から
巣立った若者たちは宮大工として
全国でその腕をふるっている。

常一のこころはいまも
生きている。





甲本ヒロト

「まあるい地球は誰のもの?
砕け散る波は誰のもの?
吹きつける風は誰のもの?
美しい朝は誰のもの?
 
チェルノブイリには Ah
チェルノブイリには Ah
チェルノブイリには行きたくねぇ」

1988年に発売された
ブルーハーツの「チェルノブイリ」。
所属していたレコード会社が許可せず
自主制作となったこの歌。

甲本ヒロトは
武道館の1万人の熱狂の前で
静かにこう言った。

「この意味をわからないひとは、
 自分で調べてほしい。
 そして、
 自分の意見を
持ってほしい。」

23年前のある夏の話。





とある科学者たちの話


アメリカとソ連が
宇宙ロケット開発に
しのぎを削っていた頃。

宇宙飛行士にかかる加速重力を
少しでも緩和するために
NASAがあるシートを開発した。

このシートの評判は上々。
何かほかの物に応用できないかと考えた
スウェーデンの科学者たちがいた。
しかしコストと複雑な工程が
容易にそれを許さない。

科学者たちは
それでもあきらめきれなかった。
試行錯誤を繰り返し、
20年以上の歳月をかけて
ようやく商品は完成した。

それが、
テンピュールという枕。

人がよく眠るために
自分の睡眠時間を削らなければならなかった

科学者たちに敬意をこめて。

おやすみなさい。
明日もいい日でありますように。

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