佐藤延夫 09年4月4日放送
アンドレイ・タルコフスキー
“水は動きを、深さを、変化や色彩を、反映を伝えます。
これは地上で最も美しいもののひとつです”
ロシアに生まれた映像詩人、アンドレイ・タルコフスキーは
人間の意識を、水や水滴で表現しました。
1972年の作品、「惑星ソラリス」。
それは、海そのものが理性を持つ惑星。
1983年の作品、「ノスタルジア」の中で主人公は言います。
「芸術を理解するには、国境をなくせばいい。」
そういえば彼の故郷には、
ロシアの母なる川ヴォルガが流れていました。
川に国境なんて、ない。
サマセット・モーム
「月と10ペンス」で有名なイギリスの小説家、サマセット・モームは
10歳のとき一家離散の憂き目に遭い、
孤独な幼少期の中で、作家になることを決意します。
作家活動を始めると、旅行好きであることを利用され、
戦争では軍部の諜報機関に配属。
のちに病気でスパイ活動をやめると
ようやく自由の身に。
アメリカ、タヒチ、日本、中国、シンガポールなど
世界中を旅してまわりました。
のちに彼はこう語っています。
“ 人生とは面白いものです。
何かひとつを手放したら、それよりずっといいものがやってくるものです ”
なるほど、そうでしたか。
川端康成
“ 別れる男に、花の名をひとつ教えておきなさい。
花は毎年、必ず咲きます ”
ノーベル賞作家、川端康成の言葉です。
もしもあなたが、別れる相手に後ろ髪をひかれる、
あるいは、ささやかな復讐心を持っているなら、
ぜひ試してみてください。
その花が咲く季節になると、
彼はあなたのことを、きっと思い出すでしょう。
でも、セントポーリアや、ストレリチアを教えるのは、
いささか意地悪かもしれません。
なぜって
一年中咲く花ですから。
レイモン・ラディゲ
“ ふたりの幸せは、砂の城だった。
ぼくは、満ち潮ができるだけ遅くやってくるように願っていた ”
コクトーに見いだされた若きフランスの小説家、
レイモン・ラディゲの作品「肉体の悪魔」。
第一次世界大戦のさなか、
魅力的な年上の女性マルトと恋に落ちる15歳の「ぼく」。
この小説は自身の体験を元にしたとも言われています。
40歳のような視点を持つと言われたラディゲは、
「肉体の悪魔」を発表した年、
腸チフスに罹り、20歳の若さでこの世を去りました。
“ 死が悲しいのは、生命と別れることでなくて
生命に意義を与えるものと別れることである ”
確かにそうですね。
アルチュール・ランボー
早熟の天才詩人と言われる
アルチュール・ランボー。
18歳のときに、詩人ヴェルレーヌとパリで出会い、
ブリュッセル、ロンドンなどを放浪。
2年後、関係が悪化したヴェルレーヌに別れを告げると、
拳銃で左手首を撃たれてしまいます。
“ 僕は自分の空想と追憶を
埋葬しなければならなくなった ”
新作「地獄の季節」を出版したのち、
ランボーは、完成した本を焼き払い
詩人としての自分と決別します。
わずか21歳だったのに。
ジェーン・グドール
東アフリカ、タンガニイカ湖のほとりに
ゴンベの森があります。
イギリスの動物学者ジェーン・グドールがこの地に立ったのは
26歳のとき。
彼女は、長い月日をかけチンパンジーと交流し
顔を見分け、ひとりひとりに名前を付けました。
“ 長い間、自然の森の中で暮らしていると
本当は「死」というものがないんだ、ということがよくわかってきます。
あるのは命の循環だけなのです ”
今、ゴンベの森に行ってもジェーンに会うことはできません。
森林とチンパンジーを保護するため
世界中で講演活動を行っています。
バーナード・ハーマン
ヒッチコックに数多くの楽曲を提供した
アメリカの作曲家、バーナード・ハーマン。
彼はヒッチコックの記念すべき50本めの映画の制作中に
監督と激しく対立し、
生涯、袂を分かつことになります。
映画のタイトルは「引き裂かれたカーテン」
使われなかったハーマンの音楽を
ためしにつけてみた映像特典つきのDVDが
数年前に発売されたようです。
アガサ・クリスティー
イギリスの推理作家、アガサ・クリスティーは
24歳で空軍将校と結婚し、
38歳のとき離婚。
亭主の浮気に腹を立て、
置き手紙を残し、失踪騒ぎを起こしています。
その2年後に一緒になったのは、14歳も年下の考古学者。
彼女は、嬉しそうに語っています。
“ 考古学者は、どんな女性にとっても最高の夫です。
妻が歳をとればとるほど、より一層、興味を持ってくれるから ”
レオポルド・ストコフスキー
ロンドンに生まれ、アメリカで活躍したオーケストラ指揮者、
レオポルド・ストコフスキーは
音楽活動の傍ら、メディアにも積極的に進出しました。
ディズニー映画への出演のほか
オーケストラで初の電気録音を行い、のちにステレオ録音にも挑戦。
本業の演奏スタイルも独創的でした。
決してタクトを振ることのなかった彼は、
口癖のように、こう語っています。
“ 1本の棒よりも、10本の指のほうが
遥かに優れた音色を引き出せる ”
納得できる言葉です。
聖徳太子
今から1400年以上も前、
推古天皇の時代。
淡路島に、ひと抱えもあるほどの香木が流れてきました。
その木片を火にくべると
なんとも良い香りがしたので
朝廷に献上したそうです。
その香木で聖徳太子が観音像をつくったとも言われています。
手を合わせると、香りでも癒してくれそうです。
4月には、お香の日という記念日があります。