2009 年 4 月 11 日 のアーカイブ

中村直史 09年4月12日放送



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マーク・トウェイン




100年以上も前、
ミシシッピ川に
ひとりの水先案内人がいた。


船の扱いに長けていた彼は、
言葉の扱いにも長けていた。


やがて作家へと転身。
多くの名言を残すこととなる。


 もやい綱をほどき、安全な港から船を出し、
 その帆に貿易風を受けよ
 探検し、夢を見、発見するのだ



文豪マーク・トウェイン。
彼はいまでも
人々を目的地へと
導いている。










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島崎藤村




 まだあげ初めし前髪の
 林檎のもとに見えしとき
 前にさしたる花櫛(はなぐし)の
 花ある君と思ひけり



島崎藤村の「初恋」は、
人を恋することを知った少年の
はかない気持ちに満ちている。


恋は、人に人生の喜びを教えるが
同時に癒えることのない悲しみも刻みつける。


気がついたら、春になっていました。
恋をしましょう。










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柳家小さん




落語は不思議だ。
何百年も受け継がれた話を繰り返し聞いて、
何がおもしろいのだろう。


5代目柳家小さん(やなぎや こさん)の落語は、
間違いなくおもしろかった。
「間」がたまらないのだ。


小さんの「間」には、語られない言葉がつまっていた。
生きるということの滑稽さや温かさに満ちていた。


いま寄席に出かければ、
小さんの弟子たちを見ることができる。
名人、小三治(こさんじ)、
柳亭市馬(りゅうてい いちば)
かの天才、立川談志。


それぞれの個性で
観客を魅了する彼らであるが
その声、そのしぐさの中に
小さんは生きている。


落語家はただ
落語を受け継ぐのではない。
人間を受け継いでいるのだ。





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マーラー




その曲のラストには死が待ち受けている。


グスタフ・マーラーが亡くなる1年前に書いた
交響曲第9番。
死と向き合い、闘い、最後には受け入れる。
静かに、壮絶に、死へと突き進む曲。


最終章の長いピアニシモは、
生と死のはざまを思わせる。


そして演奏が終わっても
しばらく続く無音。


それは死んだ者たちが
消え失せてしまったのではなく、
ちゃんと自分のそばにいることを
確信できるやさしい無音だ。


指揮者ブルーノ・ワルターは
この曲の終わりを
「青空に溶け込む白い雲のように」と表現した。


その曲のラストには死が待ち受けていて
恐れることはないのだと言っている。





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ハービー・ハンコック


 何がかっこいいのかを知りたければ、ハービーを聴くといい


ジャズをつくり、
ジャズを壊し、
世界を驚かし続けてきた音楽の冒険家、
ハービー・ハンコック。


彼の挑戦は、
いつも「受け入れること」からはじまった。
違ったジャンルの音を。
違った考えの人々を。


彼はこんなコメントを残している。


 私は演奏するとき、一生懸命にならないよう努力しています。
 ただ、心を開こうと思うだけです。
 そうすれば、何が起きてもオープンに受け入れられ、
 進んでその瞬間に起きていることの
 自然な流れの一部になりたいと思うようになります



ハッピー・バースデー、ハービー。
今日は、ハービー・ハンコック69回目の誕生日。





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ガガーリン




48年前の今日。
「ボストーク1号」で
世界初の有人宇宙旅行に成功したパイロット
ユーリイ・ガガーリンは
こんな言葉を残していた。


 地球はみずみずしい色調にあふれて美しく、
  薄青色のまるい光にかこまれていた



要約すると
「地球は青かった」という有名な言葉になりますね。


今日は人がはじめて宇宙を旅した日です。





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川崎宗則




先日閉幕を迎えたWBC、
ワールドベースボールクラシック。


前回につづきメンバーに選ばれるも、
出番の少なかった選手がいた。


ソフトバンクホークス、川崎宗則(かわさき むねのり)。


ようやくスタメン起用された大会終盤の試合後、
「久々の試合でしたが?」という問いに、こう答えた。


 僕は、ベンチの中ですべての試合に出ていました


おめでとう、
WBC日本代表。
チームワークという言葉が
古臭くも恥ずかしくもないことを
あなたたちは教えてくれた。





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与謝野晶子




それは明治30年代のこと。


たった31個の言葉が
押さえつけられていた
女性の感情を
大胆に解き放った。


 やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君


詠み人、与謝野晶子。


彼女の歌には
女性として生きる喜びがあり、
そして覚悟があった。


「そぞろごと」という詩は、
こんな叫びで終わっている。


 人よ、ああ、唯(ただ)これを信ぜよ
 すべて眠りし女(おなご)今ぞ目覚めて動くなる



4月10日から16日は、女性週間です。




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中村直史





大塚製薬ラジオCM「前世の妻」

ナレーター:岡本マミ・マギー

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小山佳奈 09年4月11日放送



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中原中也 十六歳


 おもしろいじゃないの。


長谷川泰子が中原中也に言った、そのひと言で
中也は恋に落ちる。


田舎から身ひとつで出てきて、
文学という魔物と対峙しようとしている少年にとっては、
誰かひとりでも
「おもしろい」と認めてくれる人がいれば、
人生は確かな輪郭を持つ。


 あゝ 恋が形とならない前、
 その時失恋をしとけばよかつたのです。



気づいたときには、もう遅い。
それが、恋。


中原中也、16歳の春。










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中原中也 十七歳

桜の咲く御所を横目に今出川通りを東へ進み、
河原町にぶつかるその角、
古びた木造アパートの二階に、
中原中也とその恋人、長谷川泰子は、
小さな居を構えていた。


 春風です。
 よろこびやがれ凡俗!
 アスフアルトの上は凡人がゆく。
  顔 顔 顔。



下宿の窓から春を見おろしていた
中原中也17歳。


恋人と初めて迎える春でした。





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中原中也 十八歳




その日は夕方から雨になった。
中原中也と長谷川泰子が暮らす高円寺の家に、
中也の親友、小林秀雄がやってきた。


 その人は傘を持たずぬれながら軒下に駆け込んでき ました。
 私はハッとしました。
 その人は雨の中から現れ出たようで、
 雨にぬれたその人は、とても新鮮に思えたのです。



すぐに二人は恋に落ち、
長谷川泰子は中原中也の元を去る。


その日に、雨さえ降っていなければ。
その日が、4月でなかったならば。


4月は案外と雨が多い。


中原中也、18歳の春。










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中原中也 十九歳




デビュー作というものすべてが、
一瞬の初期衝動で生み出されるものと思ったら、
ちょっとちがう。
どんな天才であっても、
デビュー作には特別な想いがあり、特別に骨を折る。


中原中也が、初めて文壇に発表した詩、「朝の歌」は
わずか14行に3ヶ月以上の月日をかけている。


 ひろごりて たいらかの空
 土手づたい きえてゆくかな
 うつくしき さまざまの夢



恋人は去った。
友人も去った。
故郷も去った。


それでも気がつけば、たったひとつ
詩、という名の夢が残った。


中原中也、19歳の春。





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中原中也 二十三歳




 僕が死んだらあいつに見せて欲しい


そう言って、中原中也が友人に渡した分厚い原稿用紙の束は
別れた恋人長谷川泰子への愛の詩だった。


 女よ、美しいものよ、私の許にやっておいで。
 どんなに私がおまえを愛するか、
 それはおまえにわかりはしない。



未練のある男は、女々しいが
未練のない女は、男らしく
気づいても気づかないふりをする。


中原中也、23歳の春。










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中原中也 二十八歳




今この瞬間を生きることしか考えてこなかった中原中也が、
未来というものの存在に気づいたのは
はじめての子供を持ってからだった。


 自分の未來と子供の未來を合わせれば
 何か大きな仕事ができそうだ



その子がたった2歳で急逝することを知らず….


喜びに満ちていた
中原中也28歳の春。





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中原中也の声




4月生まれの詩人、中原中也は、
亡くなる直前、こう言った。


 今に分かるときが来ますよ


喧嘩っ早くて、
酒を飲むとすぐ大声で、議論をふっかける。


中也は激しい気性ばかり注目されて
魂の底にある悲しみに気づいてもらえなかったことが
多かったけれど。


それでも死の翌年には
たった一人の理解者だった小林秀雄の手で
最後の詩集「在りし日の歌」が
出版されている。


 今にわかるときが来ますよ


中原中也の声が聞こえますか。





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小山佳奈





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