2010 年 12 月 26 日 のアーカイブ

名雪祐平 10年12月26日放送



チャールズ・M・シュルツ1


子どもの頃の自分をモデルに、
ストーリーを作り続けることは、
楽しいだろうか。
苦しいだろうか。

それを50年間続けた漫画家がいる。

チャーリー・ブラウンと
スヌーピーの生みの親、
チャールズ・シュルツ

描き続け、
彼自身が老人になればなるほど
どんどん子どもに戻って
漫画の中で遊んでいたのだとしたら、

やっぱり、なんだか楽しそうだ。





チャールズ・M・シュルツ2


スヌーピーの生みの親、
チャールズ・シュルツは、
内気でダメな子どもだった自分を
忘れていなかった。

漫画に登場する
小学生チャーリー・ブラウンたちは、

やれやれ。

お手上げだよ。

と、よく愚痴や弱音をこぼす。

でも必ず、
困った問題を乗り越えようと悩んだり、
一歩一歩進もうと、がんばるのだ。

スーパーマンはいない。
でも、内気だった漫画家だけが描ける
主人公たちは、
世界中のアイドルになった。





ムハマド・ユヌス1


バングラデシュの大学教授が、
貧しい農村に調査に行った。

42人の村人の話を聞き、
いま必要なお金はいくらかを
訊ねてみた。

合計、たった27ドル。

竹のカゴをつくる材料を買うための、
わずかな現金さえなかったのだ。

教授はポケットマネーから
27ドルを貸した。
少しずつ返してくれればいい、と。

のちに全額きれいに返済された。

お金を借り、貧しい人たちは
自分の仕事と活力を手に入れた。
食料を買った。
石鹸や鉛筆も買えたかもしれない。

これはとても良いことだ。
貧困を救うための画期的な銀行を作ろう。

ムハマド・ユヌスは大学教授を辞め、
グラミン銀行を創設した。








ムハマド・ユヌス2


そんなもの、誰も見向きもしない、
ということに世界で初めて取り組む人がいる。

ムハマド・ユヌスはグラミン銀行を作り、
ほんの少ないお金を貧困に苦しむ人たちに
無担保で貸すことを始めた。

どうせ返せっこないさ。

そんな偏見も、見事にひっくり返った。
返済率は99%に達するほどだった。

グラミン銀行は
世界の貧困で苦しむ人々の向上心を信じ、
救い続けている。

誰も見向きもしなかった事業に、
いま、世界中が注目している。




ムハマド・ユヌス3


世界一尊敬されている銀行家は誰か。

数百億円という年収をふところに入れた
アメリカの銀行家より、
数ドルがなくて困っている人たちを救った
この人かもしれない。

ムハマド・ユヌス
グラミン銀行総裁。

彼の言葉がある。


 どんなことでもいい。
 きみのすぐ目の前にある問題から
 はじめればいいんだよ。
 どんなことでもいい。
 きみの手の届く範囲ではじめればいい。


目の前の貧しい人たちに自分の27ドルを貸したこと。
その小さな一歩が、
グラミン銀行のきっかけとなり、
いま、約10万カ所に上る相談センターで
貧しい人たちにお金を融資している。





ハーブ・リッツ1


ある日、無名の2人の若者が
ドライブに出かけた。

途中、タイヤがパンクしてしまった。

修理中のひまつぶしに
1人がもう1人を撮影した写真が
全米の雑誌に掲載されることになった。

写真に写った若者、リチャード・ギア
写真を撮った若者、ハーブ・リッツ

俳優としてギアが成功するにつれ、
リッツも大人気のプロカメラマンとなった。

タイヤのパンクから、
運が走り始めた。




ハーブ・リッツ2


クリスマスから一夜明けた
何でもない、12月26日。

アメリカの写真家ハーブ・リッツが
50歳で他界した。2002年のこと。
エイズだった。

「最も写真を撮ってもらいたい写真家」
そう呼ばれた。

ずばり、それは
自分を美しく撮ってくれるから。
マドンナを筆頭に、
セレブたちからオファーが殺到した。

逆にリッツが
「最も写真を撮りたかったモデル」は、
誰だったのか。

未発表の彼の傑作を
モデルとなった恋人だけが、
眺めているかもしれない。





ゴルバチョフ


クリスマスから一夜明けた
何でもない、12月26日。

ソビエト連邦は崩壊した。1991年のこと。


 蒔けるだけ種を蒔いておきたい。


その言葉の通り、
国家改革ペレストロイカを進めていた
ゴルバチョフだったが、
ソ連崩壊前日には大統領を辞任した。

それが本望でなくても
怒濤の時代の真ん中に彼はいた。

40年以上続いた冷戦を終結させた
その名前は、
とっくに教科書に載っている。




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