つくる人のことば/國中均さん
2003年5月に地球を飛び立ち、
7年を経て地球に帰ってきた
惑星探査機「はやぶさ」。
60億キロメートルを旅し、
全長わずか500メートルの小惑星に降り立ち、
そのかけらを持ち帰った。
技術者たちの快挙に、
「奇跡」との声もあがったが、
開発担当者の一人、國中均さんは
奇跡とは言いたくない、と言った。
努力です。とても「おもしろかった」ので、みんな一生懸命努力したんです。
人間の努力が成し遂げられることは、
宇宙くらい大きいのかもしれない。
つくる人のことば/はやぶさの若き技術者たち
太陽系の星たちが
どんな風に生まれたのか。
その謎を解き明かす使命の下、
地球から遠く離れた小惑星「イトカワ」に降り立ち、
そのかけらを持ち帰った惑星探査機「はやぶさ」。
7年にも及んだその旅は、
「はやぶさ」にたずさわった技術者たちにとって
立ちはだかる困難との格闘の日々だった。
内之浦(うちのうら)宇宙センター元所長の
的川泰宣(まとがわ やすのり)さんは、
「はやぶさ」を小惑星へ着地させる世界初のミッションを回想し、
次のように記している。
5回にわたる「イトカワ」への降下オペレーションは、
思い出しても目頭の熱くなるような感動的な光景だった。
そこでは、繰り返し襲ってくる人生で初めての試練と難題に、
懸命に取り組む若い技術者たちの美しい姿があった。
困難の末に手にした
その小惑星のかけらは、
10ミクロン以下という微細なものだったけれど、
宇宙の秘密を解き明かす大きな存在となりえる。
その解明は、まだ始まったばかりだ。
2010 年 12 月 5 日 のアーカイブ
中村直史 10年12月05日放送
三島邦彦 10年12月05日放送
つくる人のことば/フランク・ロイド・ライト
20世紀建築の巨匠、フランク・ロイド・ライト。
彼の建築の手本は、毎日の散歩で観察する自然だった。
彼は言う。
自然という教科書があるのです。あるページには、成長の成果、豊かさ、
ゆとりが記されています。自然には、建築家に確信や力を与えてくれる、
素晴らしく単純で基本的な形態があるのです。
机での考えごとに行き詰ったら、
ちょっと、散歩はいかがでしょう。
つくる人のことば/オスカー・ニーマイヤー
アメリカ、ニューヨークにある国連の本部ビル。
この建物を設計したのは、オスカー・ニーマイヤー。
今年102歳にして、
今も現役を続けているブラジルの建築家である。
とあるインタビューで彼はこう言っている。
建築はそれほど重要ではない。
大切なのは、むしろ仲間や友人、家族、そして人生そのものだ。
世界をよりよくするための議論の場。
その設計者として、
国連はうってつけの人を選んだようだ。
つくる人のことば/アントニオ・ガウディ
1882年、スペインのバルセロナで、
とある教会の工事が始まった。
翌年、意見の対立から建築家が辞任し、建設は振り出しに戻る。
二代目の建築家に選ばれたのは、
まだ無名だった31歳のアントニオ・ガウディ。
ガウディは構想を練り直し、
自分が生きているうちには完成しない壮大な建築計画を立てる。
教会の名前は、サグラダ・ファミリア。
100年以上の時が経った今も未完成ながら、
世界で最も独創的な教会建築として多くの人が訪れる。
その後、いくつもの創造性に富んだ建築を作ったガウディは、
独創性についてこう語っている。
独創性を追い求めるべきではない。
追い求めると突飛なものに行き着いてしまうからだ。
普段なされていることを見て、それをより良くしようと努めるだけで十分なのだ。
ガウディにとっての独創性は、追い求めるものではなく、ついてくる結果だった。
三國菜恵 10年12月05日放送
つくる人のことば/菊池敬一
こんな本屋、アリなんだ。
そんな声が聞こえてきそうな本屋、
ビレッジバンガード。
創始者である菊池敬一さんは、
自らの店を「遊べる本屋」と称する。
棚を作っていくことを「編集」と呼んでいます。
SFマンガのとなりに、星座の本。
その隣には、地球儀。
連想ゲームのような本棚に、最初は拒絶を示す人もいた。
けれど、今では全国に300店舗。
誰かのルールで並べるのではなく、
自分のルールであたらしくつくる。
そんな本棚は、みんなの心をたのしませた。
つくる人のことば/萩尾望都
「ポーの一族」などで知られる
少女漫画家・萩尾望都(はぎお・もと)。
彼女は、漫画についてこんな考え方をしている。
少年漫画のほうが、比較的ドラマの起伏、事件が起こることが大事。
でも、心理が細かくないと女の子は読んでくれない。
彼女はきっと
男女の違いに気づいてるからこそ、
女の子のための漫画が描ける。
つくる人のことば/藤牧義夫
その人は、東京を描いた。
毎日のように、同じ場所から。
群馬県・館林生まれの版画家、藤牧義夫。
故郷を離れ、出てきた東京で
いくつかの版画を残している。
鉄橋、給油所、沈む夕陽。
その多くは、隅田川からの景色ばかり。
彼は、こんな言葉を残している。
強烈な光が、音響が、色彩が、間断なく迫るその中に、
不安な気持ちで生存する事実
それを唄いつつ 自分は常に強く行く。
生きていることを実感できる景色。
それは、故郷を出てはじめて出会うものなのかもしれない。