名雪祐平 11年6月26日放送



北原白秋 1

二歳の男の子が
腸チフスにかかり、高熱にうなされた。

忙しい母の代わりに、
乳母がつきっきりで必死に看病した。

男の子の命は助かったけれど、
乳母が腸チフスに感染し、
亡くなった。

自分から出た、凄まじい熱で、
代理の母親を焼き殺してしまった。

いつか、
本当の母親にもそうしてしまうのか…。

母殺しの恐怖とコンプレックスを抱えた男の子、
北原隆吉は、やがて、
北原白秋となる。



北原白秋 2

文学に熱中する息子を
父親はけっして許さなかった。

酒造りの商売を継がせるために、
商業高校に進学させなくてはならない。

文学書を読むことを一切禁じてしまった。

それでも息子は、
石垣のすきまや砂の中に
本をかくして読んだ。

けれども、限界はくる。
父親に無断で卒業間近の中学を退学し、
福岡の柳川の家を出たのだった。

行き先は、東京。

北原白秋、十九歳の旅立ちだった。



北原白秋 3

二十二歳の北原白秋が、
師事する与謝野鉄幹、晶子夫婦を訪ねた。

便所を借りたとき、
信じられないものを見た。

自分たち若手の没原稿が、
落とし紙として箱に積まれていたのだ。

人が心血をそそいた原稿で、
あの夫婦は尻をぬぐっていたのか!

白秋は激しく怒った。

鉄幹に対しては、
ほかの疑惑もふくらんでいた。

若手が身を削って表現した中心部分が、
いつのまにか鉄幹に流用されているのではないか。

もう、冒涜されるのはたくさんだ。

白秋ら7人の若手は
鉄幹が主宰する文学雑誌から
一気に脱退したのだった。

世の中の、
師匠と呼ばれるみなさまへ。

こんな
紙のリサイクルと、表現のリサイクルは
最低です。

つつしみましょう。



北原白秋 4

 母の乳は枇杷より温く
 柚子より甘し

という出だしから、

 母はわが凡て

と結ぶ最終行まで。

北原白秋の詩『母』には、
母の愛を求める情熱が示される。

けれども、白秋には
トラウマがあった。

幼い日、自分の病気が伝染し、
愛する乳母を死なせてしまったトラウマ。

自分の情熱によって、
相手を破滅させてしまうのではないか。

白秋にとって、恋愛の相手もそうだった。



北原白秋 5

明治時代、東京・原宿に
松下俊子という人妻がいた。

その隣りに暮らしていた、
独身、北原白秋。

憧れの美しい人妻と、
新進気鋭のハンサムな詩人。

恋に堕ちないわけがない。

けれど俊子の夫から、姦通罪で告訴され、
逮捕されてしまう。

輝く文壇から、
暗い牢屋の中へ、まっさかさま。

あとで示談が成立し、
二人は正式に結婚することになるが、
事件後の白秋は半狂乱になり、死まで考えたという。

 雨は降る降る 城ヶ島の礒に

白秋作詞の『城ヶ島の雨』は、
俊子との新生活を
三浦半島の三崎でおくっていたころのもの。

雨のなかで、
失意と希望が混じり合う。

白秋の心情が浮かぶ。



北原白秋 6

 君と見て
 一期の別れする時も
 ダリアは紅し
 ダリアは紅し

不倫スキャンダルの直後、
北原白秋は歌集『桐の花』で
再び評価をえる。

けれど、正式に結ばれた
松下俊子との結婚は長く続かなかった。

自分の情熱は
相手を破滅させてしまうものなのか。

いや自分のほうも
相手に疲れ果てていたのだった。

それは、相手にさめる
という破滅の1種。

もう、ダリアは紅くない。



北原白秋 7

二度失敗した北原白秋の
三度目の正直。

その相手が、
佐藤菊子だった。

童謡『ゆりかごのうた』は、
二人の間に生まれてくる
わが子を思って
作ったとされる。

数々の童謡の傑作をのこした白秋。

菊子夫人の温かい人柄や
2人のこどもに恵まれたことが
動機ともいわれている。



北原白秋 8

青より白。
春より秋。

北原青春より、北原白秋。

白秋とは、
青春の逆の方位、逆の境地を
意味するといわれる。

ものすごく早熟な中学生は、
青春まっただ中で、
自分のペンネームとして
白秋とつけたのだった。

そして晩年に、
青春前の
童謡をたくさん書いた白秋。

五十七歳という若さで亡くなったが、
最期の言葉は、

「ああ素晴らしい」

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コメント / トラックバック 2 件

  1. michiru より:

    「ああ素晴らしい」の後には、彼の見た、感じたたくさんの情景があるのでしょうね。
    別れの挨拶ではなく、自分の思いを最期に残せるって、やはり詩人なのですね。
    会いたかったな〜白秋さんに。
    もちろん若い頃からのリアル同世代で…

  2. 名雪祐平 より:

    michiruさん、コメントありがとうございます。
    おっしゃる通り、最期の一行詩ですね。
    詩人がスーパスターであり得た時代が、うらやましく感じます。
    キラキラしていたでしょうね。
    もしかしたら、現代の白秋がどこかにいるのかもしれません。
    詩というスタイルではなくとも、言葉が待望されていることは確かだと思います。

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