熊埜御堂由香 11年8月7日放送



「夏」のはなし 風鈴職人 篠原儀治

風鈴職人、篠原儀治(よしはる)。

大正13年、東京の下町、向島の風鈴職人の家の
長男としてうまれる。
職人たちが2交替で24時間風鈴を作る大きな工房で
儀治も12歳のころから風鈴作りを学び始めた。

戦時中は資材が手に入らず儀治の親が、
ふかし芋を売って生計を立てたりしていたが、
戦争から復員した儀治は、ガラス工房の復興に乗り出した。

職人が型を使わず空中でふくらます、宙吹き(ちゅうぶき)でガラスを成形し
汚れを防ぐため絵付けは中からする。
東京の下町の風鈴を「江戸風鈴」と名づけブランドにしたのも儀治の才覚だった。
デパートに営業し、販路を広げ、風鈴の売れない冬は、
アメリカに渡りクリスマスツリーの飾りとして売った。
儀治は頑固な職人であると同時に、
柔軟なビジネスマンでもあったのだ。

彼は言う。
 作った物を売る技術を知らないとダメだよ。
 家計が苦しいのに俺の跡をやろうって誰が思います?

12歳から風鈴を作り始めた少年は、
87歳になった今も息子たちと日本の夏の伝統を
守り続けている。



「夏」のはなし 上山英一郎と妻ゆき

 あなた!倉の中で
 ヘビがとぐろまいているの!

妻は夫のもとへ飛んで来た。
そして思いついた。

 あなた、
 蚊取り線香の形状、うずまき型はどうかしら?
 燃焼時間もかせげるし、お線香みたいに倒れないし。

KINCHOの創業者である上山英一郎とその妻ゆき。
夫婦のくらしのひとこまから蚊取り線香の
あの渦巻きの形は生まれた。

渦巻きはのばせば75センチ、6時間から7時間は燃えている。
それまでの棒のような、40分しか持たない製品とは
格段の違いがあった。

渦巻きの蚊取り線香は、
MOSQUITO COILと呼ばれ、世界中で
夏の日の必需品となっている。

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コメント / トラックバック 1 件

  1. 高橋英子 より:

     熊埜御堂由香様

    しびれる言の葉の連続です!

    今の私の胸にツーンと響きました。
    神経を研ぎすまして精進し続ければ必ずや結果がついてくるのでしょうね。

    今更ながらしばしば立ち止まってしまう
    甘ちゃんの自分が気恥ずかしいけど

    そんな私にとって素敵な文章でした。

    ありがとう!

    いつも何時も貴女からのメッセージを楽しみにしています。

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