中村直史 12年1月22日放送



立川談志という男

2007年1月。渋谷パルコ劇場。
落語をやり終えた立川志の輔は、
割れんばかりの拍手を受けながらも、いまだ緊張しているように見えた。

客席に師匠、立川談志が来ていた。
談志が弟子の落語を客席から見るのは極めてまれ。
しかも芸に厳しい談志。
客の前であろうと、何を言い出すかわからない。

「本日は客席に私の師匠、立川談志が来ております」
志の輔が紹介をした。

談志はすっと立ち上がると
ステージの志の輔に向かって、無言で親指を立てグーサインを出した。
深々とおじぎをする志の輔。
どれほどの賛辞か、本人が痛いほどわかっただろう。

立川談志は死んだ。
けれど、談志は生きている。
たとえば、志の輔の落語の中にも。



立川談志という男

精神に肉体が追いつかない。
病と老いに、談志はとまどった。
いらだち、眠れない日々がつづいた。

ヒツジを数えて寝ようとすると、無限に数えてしまう。
だから、キリのあるものにしようと思って
鈴木と名のつく人を挙げてみる。
すると記憶のひだの中から
有名人、無名人、過去の人、いまの人、いくらでも名前が浮かび上がる。
そしてまた眠れない。

ずば抜けた記憶力が
天才、立川談志の芸を支え、
同じくらい苦しめていたかもしれない。


Jaidn
立川談志という男

立川談志が落語に追い求めた「イリュージョン」を受け継いでいる。
そう評されたのが、弟子、立川志らく。

志らくは最後に談志を見舞った日、
心の中でお別れの言葉を言ったという。

 師匠、私がいるから、落語は大丈夫です。

立川流を名乗る者として、
それ以上の別れの言葉はなかった。

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