2012 年 5 月 26 日 のアーカイブ

五島のはなし(177)

五島列島、福江島。
ぼくがそこの出身だと言うと、たいていの人は、
島を一周するのに歩いて30分みたいな想像をするのだけど、実際はまあまあデカイです。
島の北側と南側では植生や景色がまあまあ違います。そのくらいのデカさ。

島の南側には、富江という町があります。
ここに只狩山(ただかりやま)というまあまあ小高い山があり、その中腹に展望所があります。
島の南側をぐるっと一望できる展望所で、最近はじめていったのですが、ここはおすすめです。
景色もいいけど、展望所の前にぶっさしてある立て札。
「苦と愛と真友達との出会い」

意味はよくわかりませんが好きです。
いっそもう五島のキャッチフレーズにしたらいいのに、とさえ思います。
「苦と愛と真友達との出会い・・・五島列島」
心がやすらぐ島、とか、ロマンあふれる島、とかウソっぽいじゃないですか。でもこのキャッチフレーズはリアルだ。
しかも、いろいろ想像してみるに、五島に来たらほんとに出会える気がします。
苦と愛と真友達に。
だからあなたもぜひ来てみませんか?
・・・なに?苦はいらない?そんな甘っちょろい気持ちじゃ、五島は楽しめないぞっ!

展望所からの眺めはこんな感じです。

富江町の観光案内です。
こんな感じです。

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藤本宗将 12年5月26日放送



ロベール・ウーダン 1

近代マジックの父と呼ばれる、ロベール・ウーダン。

彼はもともと腕のいい時計職人だった。
ウーダンのつくった機械仕掛けの人形は、
1844年のパリ産業博覧会で入賞も果たした。

産業革命の波が押し寄せた時代。
才能ある技術者には、
華々しい活躍が約束されていたはずだ。

しかしウーダンは、
40歳でマジシャンに転身する。

彼はきっと、こう思っていたのだろう。

「ただ、世の中をびっくりさせたかった。それだけさ」

そういえば、スティーブ・ジョブズも
iPadを「magical device」と呼んでいた。

テクノロジーは、いつだってマジックに憧れる。



ロベール・ウーダン 2

燕尾服にシルクハット。

マジシャンとしてはじめてこの服装を取り入れたのが、
近代マジックの父、ロベール・ウーダン。

彼はあやしげな衣装ではなく正装に身を包み、
舞台の照明を明るくして
それまでの黒魔術的なイメージを払拭した。

マジックを、純粋なエンターテイメントへと進化させたのだ。

この革新的なスタイルはたちまち世界中に広がり、
今まではマジシャンの代名詞となった。

ウーダンは、こんな言葉を残した。

「マジシャンは、魔法使いの役を演じる役者である」

役者としてのウーダンはもういないが、
彼の演出はいまも生き続けている。



ロベール・ウーダン 3

近代マジックを確立したロベール・ウーダン。

もともと時計職人だったウーダンは、
その経歴を活かしたトリックを得意としていた。

たとえば、「パレ・ロワイヤルの菓子職人」というマジック。

人形に向かって注文をすると
いったん店の中に入り、
そのお菓子を取って戻ってくる。

19世紀の人々はその精巧な動きに驚いただろうが、
カラクリはきわめて単純。
ウーダンの息子が、中に隠れて操作していたのだ。

高名な技術者でもあるウーダンが、
まさかそんな子供だましをするとは誰も思わない。

トリックは、いつも観客の心の中に仕掛けられている。



チャン・リン・スー

マジックの歴史上最も有名な死亡事故は、
1918年3月23日、ロンドンで起こった。

犠牲となったマジシャンの名は、チャン・リン・スー。

きらびやかな中国服に、長く垂らした弁髪。派手なメイク。
彼の異国情緒あふれるショーは、その日も盛況だった。

しかし悲劇は突然訪れる。
弾丸を受け止めるマジックで、銃が暴発。
銃声とともに倒れるスー。
事情を知らない観客は拍手喝采。
それがそのまま、彼の人生の幕引きになった。

だが、本当の結末はそのあとに待っていた。
運び込まれた病院で、スーが白人であることが発覚したのだ。

本名はウィリアム・ロビンソン。
いつも通訳をそばに置き、
中国人として生活していた彼のことを
誰も白人とは思わなかった。

彼の中にあったのは、
人生をかけて騙そうという覚悟だったのか。
それとも、
自分なら騙し通せるという自信だったのか。



ハリー・フーディーニ 1

死後80年以上たった今もなお
アメリカで最も有名なマジシャンと言われる
ハリー・フーディーニ。

彼が活躍した時代には、
まだスピリチュアリズムが信じられていた。

あるときフーディーニは
亡くなった母親と話したいと願い、
霊媒師のもとを訪ね歩いた。

しかし、どの霊媒師もインチキばかり。

裏切られた彼の思いは、怒りに変わる。
マジシャンとしての鋭い観察眼で
霊媒師たちのトリックをあばき、
生涯をかけて彼らを否定し続けた。

ところが死の直前、
フーディーニが妻に言い残したのは
意外にもこんな言葉だった。

「死後の世界があったなら、必ず連絡するよ」



ハリー・フーディーニ 2

数々の脱出マジックで名を馳せた、
ハリー・フーディーニ。

「脱出王」と呼ばれた天才マジシャンにも、
逃れられない運命がある。

彼の死は、1926年10月31日のこと。

フーディーニは不死身だと信じた客に
不意打ちで腹を殴られ、
急性虫垂炎を起こしたのだ。

葬儀の日、参列者のひとりはこう言った。

「賭けてもいいが、彼はこの棺の中にもういない」

マジックは、人を信じる力でできている。



ジャスパー・マスケリン

第二次世界大戦中、ひとりの男がイギリス軍に志願した。
自分の持つ技術によって、ドイツ軍を打倒できると信じて。

男はジャスパー・マスケリン。職業、マジシャン。

西アフリカ戦線に配属されたマスケリンは、
マジックを応用したカモフラージュの専門部隊を組織する。
集められたのは画家、大工、電気技師など14名。
通称「マジックギャング」。

戦争は、騙し合いだ。

マスケリンたちは
偽の戦車部隊を自在に出現させ、敵を撹乱した。
偽の建物や灯台で港をつくり、
敵の爆撃機を惑わせたこともあった。

彼らのマジックは、ドイツ軍を翻弄し続けた。

しかし終戦となったのちも、
その功績が公式に認められることはなかった。
マスケリンは酒に溺れ、失意のうちに死んだという。

戦争は、騙し合いだ。
プロのマジシャンさえ欺かれるほどの。

そこには勝者など、いなかった。

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