2012 年 5 月 12 日 のアーカイブ

猫は水面下で怪我をしている


猫が怪我をする。
ケンカで相手の爪が刺さったような怪我をする。
表面的にはなんともない。
しかし水面下で怪我をしている。
すると皮膚に気泡ができる。

獣医に示されたあたりの皮膚を強くつまむと
プチプチと気泡がつぶれる音がする。
まるで荷物のクッションにするあのプチプチを潰しているようだ。

気泡ができた部分は毛が抜ける。
面白いほど抜ける。
当然ながらハゲになる。

まあ、それだけですめば幸いだ。
抗生物質の注射で済む。
それだけで済まない場合は、化膿する。
傷を負って2、3日してから腫れてくる。
悪くすると切開手術になる。

猫がケンカをしてきたな、と思われるときは
カラダをちゃんと調べた方がいい。
見ただけではわからない。
さわりまくって、あちこちの皮膚をつまんで
腫れているところはないか、プチプチ音がしないか、
毛が抜けているところはないか、調べた方がいい。

猫の爪はなかなか強い。
皮膚の表面が裂ける傷はわかりやすいが
注射針のように刺さった傷は外から全くわからない。

猫が尻尾を膨らませて帰って来たり
目が血走っていたり
妙に意気揚々としていたり(勝ったな)
妙に落ちこんでいたり(負けたね、あんたは)
近所で唸り声が聞こえたりしたら要注意です。

家の中だけで暮らす猫はもちろんこの限りではありません。
ハエタローも、もう散歩をやめてもらいたいです(玉子)

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五島のはなし(176)



春の海は一気に潮が引くから、うかうかしてられない!
ぼーっとしてるとほら・・・



海に帰れなくなってしまったり。

そして、そのすきに人間たちは掘る!掘る!掘る!休んでは、また掘る!
一度掘りだすと掘るという行為の魔力にとりつかれてしまう、
潮干狩りシンドロームにあなたはかかったことがありませんか?



食べる分だけ、行けばとれる。
ずーっとそんな海だったらいいんだけどなあ。

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五島のはなし(175)




ピィピィピィとさえずるひばり
さえずりながらどこまであがる
高い高い 雲の上か
声は聞こえて見えないひばり
(文部省唱歌)

ゴールデンウィーク、五島の鬼岳は、ひばりの声がすごかったです。
超サラウンド効果。
東京に戻ってきてからも、耳から離れません。

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五島のはなし(174)



フェリーのつく大波止ターミナルから北西へ20分くらい歩くと
こんもりした山があります。通称「こんぴらさん」。

山道を歩くと、岩肌に彫りこまれた仏像を見ることができます。
磨崖仏(まがいぶつ)というらしいですね。



だれが彫ったんでしょう。
彫るという行為は、気持ちを込めることと直結してる感じがします。



五島の人が日ごろ祈りをささげる場所なんですかね。
子どもの頃は遊びまわってるだけで、あんまりそんなこと考えたことなかった。



やっぱ腹八分が大事らしいっすよ。



山頂近くには祠があって、その前に何体かの狛犬(こまいぬ)がいたのだけど、
月日がたち過ぎたんでしょう、狛犬がにらんでいるのか、笑っているのか、はたまた嘆いているのか、
よくわからない顔になってた。人間も歳とるとそうなるのかな。
なんか、いろいろ許してくれそうな顔です。
そもそもこれ・・・狛犬?

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五島のはなし(173)



五島では5月5日こどもの日に、おふろに「菖蒲(しょうぶ)」の葉をいれて、
それを頭に巻く(頭が良くなるように)、
おなかに巻く(おなかがいたくならないように)、
そのほか、健康が気になる部位に巻く、という慣例がある。
これ、全国的なこと?
五島だけ?・・・ってことはないですよね。

こどものためにやるものなんですが、
切なる願いをこめて、ぼくは、自分の頭に何度も巻きつけてきました。

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佐藤理人 12年5月12日放送


ミニ① 特命

1956年、スエズ動乱が勃発すると、
ヨーロッパに深刻な石油危機が広まった。
特にイギリスではガソリンの価格が高騰、
配給制度が敷かれた。

そんなある日。
当時イギリス最大の自動車メーカー
BMCの設計者アレック・イシゴニスは、
会長直々に特命を受けた。

燃費が良く経済的な
4人乗りの小型車を早急に開発せよ。


車体はできるだけ小さく、でも室内は広く。
この無理難題を解決するためにイシゴニスがまずしたこと。
それは常識を捨てることだった。

彼は部品の一つ一つまで全く新しい視点で考え直し、
革命的な車を作り上げた。

イギリスの国民的名車「ミニ」は、
石油不足という大きな制約が生んだ
小さなヒーローだった。






ミニ② 数学

数学が苦手でも、
カーエンジニアの夢をあきらめる必要はない。

イギリスが生んだ世界的名車「ミニ」。

その設計者アレック・イシゴニスは数学が大の苦手だった。
大学のテストで3度も落第しているほどだ。
彼は数学を

すべての創造的な天才たちの敵

と呼んで毛嫌いした。

ミニのあの愛くるしいデザインは、
実はカーデザイナーの手によるものではない。

イシゴニス自身が、
リゾート地のホテルでジンを飲みながら
ナプキンに手描きしたものだ。

車のコンセプトと構造を熟知した
設計者自身の手によるデザインは、
機能に直結した合理性に富むもので、
そのまま生産できるほどの完成度の高さだった。



hashmil
ミニ③ 文化

誰にでも手が届く経済的なファミリーカー。
そんなコンセプトで生まれたイギリスの名車「ミニ」。

その斬新で機能的なスタイルに真っ先に飛びついたのは、
庶民ではなく、新しモノ好きなセレブだった。

例えばビートルズ。
元々はアビイロードスタジオの駐車場が狭いために選んだ車だったが、
その愛くるしい個性にメンバーはみな一目ぼれしてしまった。
ジョン・レノンは免許を取る前にミニを購入し、
リンゴ・スターはミニ・クーパーを愛用し、
ジョージ・ハリスンは車体にオリジナルで
サイケデリック模様のペイントまで施した。

ミュージシャンでは他にデビット・ボウイ、エリック・クラプトン。
ファッションデザイナーのポール・スミス。
俳優のスティーブ・マックイーン。
そして女王エリザベス二世。
当時世界で最もクールなセレブ達が、
自分の個性を表現する手段としてミニを選んだ。

もはやミニは単なる大衆車ではなかった。
大きくて強いことこそ正義とされた当時の価値観に対抗する
カウンターカルチャーの象徴だった。

それは奇しくも
ミニが生まれた1962年に、
イギリスのファッションデザイナー
マリー・クワントが発明した

「ミニ」スカート

と同じことだった。




ミニ④ 勝負

フェラーリのレーシングカーなどを製作し、
現在のF1カーの基礎を築いた男、ジョン・クーパー。

1960年代はじめ、彼は市販車レースに夢中になった。
しかしレーシングカーと市販車のレースでは、
求められる性能も走るコースも何もかも勝手が違う。
レーシングカー製作者に贈られる最高の賞を
2年連続で受賞した彼もなかなか勝利をつかめずにいた。

ある日のこと。
クーパーは友人の設計者アレック・イシゴニスに
ミニの試作車を見せられた。
その驚異的な性能をすぐさま見抜いたクーパーは、
イシゴニスと共同で機敏で燃費がよく、
しかも安価な車を製作した。
そうしてできたのが、今やミニの代名詞ともなった車、

ミニ・クーパー

である。

そして1964年。
クーパーは早速、世界最古の自動車レースであり、
世界三大レースの一つでもあるモンテカルロ・ラリーに参戦。
険しい山道、凍結した路面、そして雪という
最悪のコンディションにもかかわらずいきなり優勝を飾った。

続く1965年、67年にも優勝。
ポルシェやアルファロメオなど大パワーのライバルたちを打ち破り、
世界で最も権威のあるレースで3回も勝ち星をあげたミニ。

この勝利は「速さにはパワーが必要」という
それまでのモータースポーツの常識も打ち破った。




ミニ⑤ 映画

イギリスが生んだ歴史的名車「ミニ」。
その活躍は日常やレースの世界に留まらなかった。

1969年に公開された

The Italian Job

邦題「ミニミニ大作戦」という映画で、
ミニはついに映画初「主演」を果たす。

強盗団がマフィアから金塊を奪って逃げる
という何ともB級な話だが、カーアクションはA級だ。

狭く入り組んだトリノの街を
縦横無尽に駆け回る三台のミニ。

階段、下水道、屋根など
走れるところはどこでも走り、
ビルからビルへジャンプする。
ジャガーなど超のつく高級車たちを、
軽々と手玉にとるその姿は実に痛快だ。

それは小さくて軽くて、しかも速い、
ミニならではの名演技だった。



J Mark Dodds a shadow of my future self
ミニ⑥ 時代

うまくいっているなら、何も変えるな。
うまくいかなくなるまで続けろ。


設計者アレック・イシゴニスの言葉通り、
1959年の発売当時とほぼ同じ姿のまま、
今も世界中で愛され続ける車「ミニ」。

その生産が終了したのは2000年10月のこと。
世界中で高まる衝突安全性と排出ガスの基準を
もはや満たすことができなくなったのだ。

40年の間に、
ミニより先に世界が変わってしまった。



Okko Pyykkö
ミニ⑦ 長寿

20世紀最高の名車を決める
「カー・オブ・ザ・センチュリー」で
2位に輝いたイギリスの世界的名車「ミニ」。

ある日、
イタリアが生んだ世界最高のカーデザイナー、
ピニンファリーナが、
ミニの設計者アレック・イシゴニスに尋ねた。

いつになったら
あなたの車をデザインさせてもらえますか?


イシゴニスは答えた。

デザインなど2年もすれば流行遅れになるものだ。
でも私の車は、私が死んだ後も流行っているだろう。


事実、ミニは2000年10月の生産終了まで、
40年もの長い間世界中で愛され続けた。
その数、実に530万台。

1988年に亡くなったイシゴニスより
12年も長生きだった。

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