2012 年 のアーカイブ

渋谷三紀 12年9月29日放送



乗りこえたひと/菅井きん

日本のドラマで、映画で、
おばあさん役と言えば、このひと。
女優、菅井きんさん。

若い頃、「女優になりたい」と父に相談した、きんさん。
「それは美人がなるもんだ」
としかられた。

しかし、根っから負けず嫌いのきんさん。
負けるものかと女優への一歩を踏み出す。
生涯の当たり役となる、
おばあさん役を初めて演じたときは、
まだ30代だった、というから驚く。

それから半世紀にわたって、
おばあさん役を演じつづけた、きんさん。
82歳で映画初主演。
最年長初主演女優として、ギネスブックに認められた。

とびきりの美人でなくても、女優になれた。
とびきりの美人でないからこそ、いい女優になれた。

自分の欠点を愛せたら、
それは、あなたの個性になる。

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宮田知明 12年9月29日放送



乗り越える人/松井裕樹

今年の、夏の甲子園を沸かせた、
桐光学園の2年生エース、松井裕樹。

準々決勝までの4試合で積み上げた、
68個の奪三振は、板東英二・齋藤佑樹に次ぐ、
歴代3位。

準々決勝、猛打の青森・光星学園から、
毎回そして全員からの、計15奪三振。
しかし、惜しくも敗戦。

準々決勝で敗れた後のインタビューで、
泣き崩れながらも「来年は甲子園で優勝します」と誓った。
甲子園の土は持ち帰らなかった。

来年の夏の甲子園まで、まだあと10カ月。
彼が乗り越え、そして優勝を手にするのを
待ち遠しい人は、きっと多い。

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宮田知明 12年9月29日放送



乗り越える人/松井裕樹

今年の、夏の甲子園を沸かせた、
桐光学園の2年生エース、松井裕樹。

準々決勝までの4試合で積み上げた、
68個の奪三振は、板東英二・齋藤佑樹に次ぐ、
歴代3位。

準々決勝、猛打の青森・光星学園から、
毎回そして全員からの、計15奪三振。
しかし、惜しくも敗戦。

準々決勝で敗れた後のインタビューで、
泣き崩れながらも「来年は甲子園で優勝します」と誓った。
甲子園の土は持ち帰らなかった。

来年の夏の甲子園まで、まだあと10カ月。
彼が乗り越え、そして優勝を手にするのを
待ち遠しい人は、きっと多い。

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黒兵衛死ス

1999年4月2日生まれの黒猫黒兵衛(♀)
2012年9月26日午前1時過ぎに生体としての反応がなくなった。

先月あたりから食欲が落ちたので
獣医で検査したのだが
血液検査に異常は認められず
点滴でいったん食欲を回復していた。

3日前からまた食べなくなり
昨日は家のなかを意味なく徘徊。
19時ころ玄関にボーッと座り込み
そのまま横になり
バスタオルの上に引き取って寝かせた。

四肢はこわばっていても
撫でるとまだ反応があった。

猫の死というものを
たいへん科学的に見せてくれた猫だった。

老衰は生きているときから
細胞が少しづつ死んでいくのだと何かで読んだが
まさしくそういう死にかただったと思う(玉子)

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0歳2カ月の育児のはなし。

 ◇生後44日目のタイムテーブル

0時   おっぱい
1時
2時
3時   おっぱい オムツ(小)
4時
5時
6時
7時   おっぱい  オムツ(小)
8時
9時
10時  おっぱい  オムツ(大)
11時
12時  おっぱい  オムツ(小)
13時                 お散歩
14時
15時         オムツ(大)
16時  おっぱい  オムツ(大)
17時
18時
19時  おっぱい  オムツ(大)
20時  おっぱい  オムツ(大)  おふろ
21時
22時  おっぱい  オムツ(小)
23時

はい、ほとんどおっぱいあげてるかオムツ取り替えてるかです。
忙しいような、そうでもないような。
今(1歳2カ月)思い返しても、おっぱいあげてた記憶と
オムツを替えていた記憶しかありません。

文字にするとたった四文字の「おっぱい」ですが、
実際は、泣く→あげる→ちゅっちゅっちゅっちゅっちゅっちゅ・・・
で気づくと一時間経っています。いやホントに。

一日のうち9時間おっぱいあげてたんですね。
そりゃ記憶に「おっぱい」の四文字しか残らないわけです。

そしてオムツ!

尾籠な話で恐縮ですが。
おっぱいしか飲んでいない赤ちゃんは
うんちゆるゆるです。(臭くないよ!)

なので一日に何回もうんちが出るのですが、
ときどき、オムツを取り替えた瞬間に
「ぷりっ」てやるんです。
ああーやられた!
と思ってさらにもう一回オムツを取り替えると、
「ぷりりっっ」
おかわりかっ!!
いわゆるわんこオムツ(我が家の用語です)。

「・・・にこっ」
そういう時に限って、いい笑顔をサービスしてくれます。
こちらもオムツの替えがいがあるというものです。

というわけで、この頃までは毎日
「おっぱい」「オムツ」の日々です。
が、手際も良くなってきて、
ぼちぼちおでかけしたり友だちを家に呼んだりして
育児生活をエンジョイし始めた頃でもあります。

そう、みんなに美少年赤ちゃんすーさんを
お披露目する時がきたのだ・・・!!

と思ったら、なんか美少年がデブになってた。

◇生後2カ月の体重:6200グラム

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古居利康 12年9月23日放送



次男がつくった日本 ①坂本龍馬

坂本龍馬は次男だった。

坂本家は、
呉服商や酒造業など手広く営む
土佐の豪商、才谷屋の分家で、
龍馬の曾祖父の時代に、武士に取り立てられた。

父の死後、
坂本家の家督を継いだ長男・権平の下に、
3人の妹と、弟が1人いた。
21歳年の離れたその弟が龍馬だった。

家は、兄が守っている。
末っ子の龍馬は、
藩にも家にも縛られることなく、
やがて広い世界に飛び出していく。

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古居利康 12年9月23日放送



次男がつくった日本 ②坂本龍馬・続

坂本龍馬は、次男だった。

10代の終わりと20代の初め、
二度にわたって江戸に出て、
剣術修行に励んだ時期、
費用はすべて実家の兄が負担した。

神戸で海軍の学校に入ったり、
土佐を脱藩したり、
長崎で海外貿易の結社をつくったり、
京都で薩長同盟に奔走したり…。

坂本龍馬は、
武士という身分にいささかもとらわれず、
土佐藩という枠組みも超え、
この国の古い価値観から自由だった。

故郷土佐で坂本家を継いだ
兄・権平の経済的援助。
そして、3人の姉たちの慈愛。
家族の存在がなければ、
坂本龍馬の、確信にみちた行動は
なかったかもしれない。

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古居利康 12年9月23日放送



次男がつくった日本 ③吉田松陰

吉田松陰は、次男だった。

父は長州藩の下級武士、杉百合之助。
長男は家を継ぎ、次男は養子に出される。
それが、この時代の倣いだったが、
松蔭も例外ではなく、6歳のとき、
叔父・吉田大助の養子となる。

幼少時から学問に励み、神童とうたわれた
松陰は、12歳のとき、アヘン戦争の結果を知って、
危機感を覚える。日本も中国のように
西洋列強に蹂躙されてしまうのではないか、と。

23歳のとき、黒船来航に衝撃をうけ、
二度外国への密航を企てるが、二度とも頓挫。
鎖国の御法度に触れ、幽閉の罰を受けることになる。

思い立ったらすぐさま行動に移さずには
いられない血の気の多さ。
武家社会の枠組みを軽々と超えてしまう大胆さ。

やがて実家・杉家の敷地内にひらいた
松下村塾では、学問だけでなく、
登山や水泳などの授業もおこなったという。
松陰の好奇心は、つねに、書物をはみだしていった。

そんな師匠に薫陶を受けた弟子が、
行動的にならないわけがない。
高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋…。
松下村塾から、幕末の活動家が巣立っていった。
30年に満たない短い生涯において、
吉田松陰は、この国に革命の種を蒔いたのだ。

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古居利康 12年9月23日放送



次男がつくった日本 ④近藤勇と土方歳三

近藤勇は、三男だった。
土方歳三は、10人兄弟の末っ子だった。

どちらも長男ではなかった。
そして、どちらも武士ではなく、
農民の子として生まれた。

長男以外は家を出て、
新たに一家をなさねばならない。
武士も農民も事情は同じだった。
無為に過ごせば“穀潰し”、と罵られかねない、
ということで言えば、武士よりも
農民の方が苛烈かもしれない。

2人の強烈な上昇志向は、
幕末の混乱期を生き抜く原動力となった。
たとえそれが旧体制を守ろうとする、
負のエネルギーだったとしても。

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古居利康 12年9月23日放送



次男がつくった日本 ⑤福沢諭吉

福沢諭吉は、次男だった。

下級武士の家に生まれ、思うがままに
他国へ旅立ち、信ずるところに従って
学問に励んだ、という点で、
その経歴は吉田松陰や坂本龍馬に極めて近しい。

いささか異なるのは、
1860年の時点ですでに、この若者が米国を
旅していた、ということだ。

日米修好通商条約の批准のために、
幕府が米国に使節を派遣することになった。
オランダに発注してつくらせた咸臨丸という
蒸気船に、96名の使節団が乗り込んだ。
その中に、中津藩士の諭吉がなぜかいた。
艦長・木村摂津守の従者として、渡航を許されたのだ。

さかのぼること6年前、
闇にまぎれて小舟で外国船に近づき、
強引に乗船を迫って逮捕された
吉田松陰にくらべて、なんと恵まれた境遇。

福沢諭吉、25歳、渡米。

アメリカの初代大統領ワシントンの
子孫の所在を誰も知らない、ということに
衝撃を受ける。それがデモクラシーというものか、と。

選挙。法律。株式会社。
アメリカ社会のしくみをつぶさに見聞した
諭吉は、日本という国がいかに立ち後れているか、
痛感せざるをえなかった。

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