2014 年 9 月 20 日 のアーカイブ

道山智之 14年9月20日放送

140920-01

荒城の月① ~天空の城 

「天空の城」といえば兵庫県の竹田城が有名だが、
大分県竹田(たけた)市にある岡城(おかじょう)も
壮麗な天空の城である。

325メートルの山の頂上に切り立つ石垣の上には、
本丸、家老屋敷、神社などがあり、それはまるでひとつの街のよう。
明治時代になって建物はすべてとりこわされてしまったが、
今も空に浮くような美しい石垣の上に立てば、
戦乱の世の武士たちの執念と美意識に胸を打たれる。

少年時代を大分ですごした作曲家・瀧廉太郎は、
当時訪れたこの城のことを思い出しながら、
21歳のときに名曲「荒城の月」を書いた。

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道山智之 14年9月20日放送

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Reggaeman
荒城の月② ~志賀親次 

大分県竹田(たけた)市にある「天空の城」、岡城。
山の頂上にそびえるこの城の主は、
まだ19歳のキリシタン武将、志賀親次(ちかつぐ)だった。

島津の大軍がおしよせ、父でさえも離反する窮地のなか、
城にこもって敵を撃退し、豊臣秀吉に絶賛された。
そしてこの城は、難攻不落の城として知られるようになった。
しかしその6年後には主君の不運から領地を奪われ、
この地を離れることになる。

21歳でこの城をモチーフにした名曲「荒城の月」を書き、
2年後には世を去った作曲家・滝廉太郎。
かつて年の頃も同じほどの武将が孤軍奮闘した城の、
今はきよらかに風が吹き抜ける場所に悠然と腰かける、
音楽に生きた男の銅像。
それは、うら若き武将の姿と重なるのかもしれない。

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道山智之 14年9月20日放送

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Amehare
荒城の月③ ~瀧廉太郎 

作曲家・瀧廉太郎。
わずか16歳で東京音楽学校、現在の東京藝術大学に入学。
20歳で助教授になった天才作曲家は、
「荒城の月」「お正月」など、今も歌いつがれる名曲をのこした。

21歳のとき、中学唱歌の公募で、
詩人・土井晩翠が書いた詩に曲をつけて完成した、「荒城の月」。
哀しみをおびた、深く胸にせまるそのメロディは、
1980年代になって、ベルギーの修道院で聖歌としてうたわれるようになった。

みずからクリスチャンの道を選んだが、早逝したため
讃美歌を書く機会はなかった瀧廉太郎。
時をこえて、その機会は訪れていた。

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道山智之 14年9月20日放送

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Luke.Larry
荒城の月④ ~土井晩翠 

詩人・土井晩翠。
彼が書いた詩「荒城の月」に曲をつけたのは、
8歳下の作曲家、瀧廉太郎。
曲は公募で集められたため、曲づくりのために会うことはなかった。

彼らが出会ったのは1度だけ。
曲ができてから1年後の1902年、晩翠がヨーロッパに遊学中のことだった。
ドイツのライプツィヒ音楽院で学びはじめた廉太郎は、
わずか2カ月で結核を得て帰国の途についた。
その船がロンドン郊外ティルベリーの港に寄ったとき、
晩翠は廉太郎を見舞ったのだ。

最初で最後の対面。
ふたりはどんな言葉をかわしたのだろうか。
おたがいの仕事を、たたえあったのか。
テムズ川に月は映っていただろうか。

それから40年後、この曲を聞いて音楽家を志したのは、
まだ10歳だった中村八大。
その後「上を向いて歩こう」などの名曲を書いて
戦後の日本を勇気づけることになる。

何度会えたか、会えなかったか、にかかわらず、
想いは時をこえて共感され、かたちになっていく。
そんな地上の営みを、月はしずかに照らしている。

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