小林慎一

山田英理人 15年8月9日放送

150809-06

ナンシー・ハンクス

ナンシー・ハンクスは、
貧しかった。
学もなかった。
それでも息子に教育を、と
毎日聖書を読んで聞かせた。

聖書の御言葉通りに、
神を愛し、隣人を愛しなさい。

そう日々教え続けてきた彼女だったが、
不幸にも風土病にかかってしまった。
この世を去る間際、
まだ9つの息子にこう言った。

 汝は、100エーカーの農場を持つよりも、
 一冊の聖書を持つものとなれ。

息子の名はエイブラハム・リンカーン。
のちに彼は古い聖書を手に、
第16代大統領就任を宣誓する。

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山田英理人 15年8月9日放送

150809-07

金栗四三

昭和42年、
マラソンランナー金栗四三(かなぐりしそう)のもとに
一通の手紙が届いた。

 第5回ストックホルムオリンピック日本代表、金栗四三選手。
 あなたはスタート後一切の報告がありません。
 ぜひ、ゴールすることを要請します。

レース中に意識を失くした日本人を
委員会はリタイアと見なさなかったのだ。
金栗はゴールし、大会の全日程が終了した。

 タイムは、54年と8ヶ月 6日と5時間 32分20秒3だった。

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山田英理人 15年8月9日放送

150809-08

ジョンソン博士

「ジョンソン博士曰く」
スピーチやディスカッションで
このセリフが持つ効果は大きい。

世界で初めての英語辞典を編集した、
サミュエル・ジョンソン博士の威厳を
借りられるのだから。

キューブリック監督作品 『突撃』にも博士は登場した。

第一次世界大戦のとある戦線。
ドイツ軍基地を狙うため、
将軍は無謀な突撃作戦を敢行した。

「愛国心があれば突破できる。」と言う将軍に、
カークダグラス演じるダックス大佐は、
「将軍、ジョンソン博士は別の考えを披露されています。」
と言ってから、次の成句を引き合いに出す。

 愛国心は悪党の最後の隠れ蓑だ。

ことばに勝る武器は、きっとない。

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坂本弥光 15年7月12日放送

150712-01

チョコレート① ヴァン・ホーテン

世界中の人々が愛するチョコレート。
その誕生の裏には、4つの大きな革命があった。

1つ目が、オランダの化学者
C・J・ヴァン・ホーテンによる「ココア」の発明だ。

それまで、ざらざらとした口当たりの悪さで、
おいしくなかったチョコレート。

しかし1828年、彼がカカオ豆から
ココアパウダーとココアバターを分離製造する機械を開発。
これにより、簡単に飲めるチョコレートドリンク、いわゆるココアが生まれた。

200年弱が経ったいまでも、ココアと言えばヴァン・ホーテン。
すべての人が親しむ、唯一の味になったのだ。

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坂本弥光 15年7月12日放送

150712-02

チョコレート② ジョセフ・フライ

チョコレートを誕生させた、4つの革命。
その2つめはイギリスで起こった。

1847年まで、チョコレートは飲みものとされていた。
なぜなら、当時の製法でつくられたチョコレートは
とても砕けやすく、固めることができなかったからだ。

しかし、イギリスのジョセフ・フライがその歴史を変える。
ココアの粉末とココアバターを分離して混ぜ合わせ、
ペースト状にして、簡単にバーの形にできるようにした。
この技術によってチョコレートを成形することが可能になったのだ。

2年後、ジョセフは『おいしい食べるチョコレート』という名の板チョコを発売。
これが現在の板チョコのはじまりとなった。

そんなジョセフのチョコレートは
いま、キャドバリーと看板を変え、
全世界で40種類以上のチョコバーを売る人気ブランドとなった。

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坂本弥光 15年7月12日放送

150712-03

チョコレート③ ダニエル・ペーター

4大チョコレート革命の3つめは、
1876年、ダニエル・ペーターのミルクチョコレートの発明だ。
これまで香辛料のように苦みの強かったチョコレートが、
ミルクを加えることによって、まろやかな味に生まれ変わったのだ。

完成に至るまでは、長い道のりだった。
ダニエルは本来、ろうそく職人。
義父の経営するチョコレート会社の様子を見るうちに
職人魂に火が付いたのか、味の改良に取り組むようになる。

しかし、ただミルクを入れればよかったわけではない。
溶けたチョコレートに水分を混ぜると、
砂糖が油と分離するために食感が悪くなってしまう。
試行錯誤を繰り返していたダニエルは、
隣に住むベビーフード業者、アンリに相談を持ちかける。

二人は、昼夜を問わず研究に没頭。
ついにアンリがチョコレートに合う「粉ミルク」をつくり上げ、
ダニエルはミルクチョコレートを完成させるのだ。

アンリの本名は、アンリ・ネスレ。ネスレ社の創業者だ。
いまもチョコレートとコーヒ―がぴったりと合うのは、
彼らの友情の証かもしれない。

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坂本弥光 15年7月12日放送

150712-04
Chocolate Reviews
チョコレート④ ロドルフ・リンツ

4大チョコレート革命。
その最後の革命は、スイスで起きた。

発明者は、ロドルフ・リンツ。
誰もが知るリンツ社の創業者だ。
父親とお菓子屋を営んでいたロドルフは、
ある日、間違えてチョコレートを一晩中ミキサーに掛けたままにしてしまう。

一晩練り上げられたチョコレートは、
口あたりはなめらかで、
溶けるほどに、アロマと甘さが口いっぱいに広がる。
まさに、とろける美味しさだったという。
それが後に「コンチング」と呼ばれる、
チョコレートに欠かせない製法になる。

私たちの知るチョコレートは、
25歳の青年の、おっちょこちょいによって完成したのだ。

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廣瀬大 15年7月12日放送

150712-05
Clint Koehler
物語を愛した河合隼雄

「人間」そしてその「こころ」に興味を持ち、
優しい眼差しで人々の「こころ」の研究を続けた
心理学者・河合隼雄。

日本におけるユング派心理学の第一人者である彼は
夢の分析により人の「こころ」を恢復する手法や、
箱庭療法を日本に紹介した。

夢分析も箱庭療法も
その人の「こころ」の奥底に眠る
物語を発見し読み解くことからはじまる。

彼は幼いころから物語が大好きだった。
また、同時に数学が大好きな理論派でもあった。

当時学校で教わるのは
軍国主義の影響下にある日本神話など。
軍隊が嫌いだった彼は、
物語のおもしろさに気づきつつも、
それを認めたくない。
そんな複雑な気持ちを持っていたという。

「なに言うとるんや、あほな」という
軍国主義に対する気持ちと
夢中になって読み漁っている物語に対する愛情が、
隼雄少年にこんなことを言わせている。

「人間の先祖が猿やったら、
進化論的にいうと、アマテラスは
いちばん猿に近かったのと違うか」

自分の見た夢を忘れてしまうように、
この発言を河合隼雄は覚えていないという。

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廣瀬大 15年7月12日放送

150712-06

物語を愛した河合隼雄

心理学者・河合隼雄のいちばん最初の記憶は
弟が兵隊ごっこをしている姿だという。

「トッカーン、トッカーン!」と突撃の喊声を上げる弟。
弟の年齢はおそらく3歳ぐらい。

記憶が鮮明なのは、その弟がそのあと、すぐに亡くなったからだ。

「捨てたらあかん、捨てるな」、
そう言って泣きながら弟の出棺を止めた。

「その泣いている思い出を、
ほんとうは覚えていないのです。
しかし、母親がよくその話をしたから
なんかやっていたような気がするんですね。
それはぼくにとってすごく大事な思い出になっています」

と後年、彼は優しく語った。

その現実と想像の間にある思い出は
彼の人生を支える大切な物語である。

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廣瀬大 15年7月12日放送

150712-07
Icely88
物語を愛した河合隼雄

心理学者・河合隼雄は言う。

心の病をかかえる患者さんが
治っていった話をそのまま書いたら、
都合のええ偶然が起こりすぎて
小説にならない。

でも、僕の患者さんが治っていくときには
奇跡のようなことがよく起きる。
こんなおもろいことないですよ。

世界は小説より
圧倒的に、都合がいい物語で
できているようだ。

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