中村組・三島邦彦

三島邦彦 14年12月28日放送

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keith Allison
さようなら2014 デレク・ジーター

ニューヨークの貴公子と呼ばれた野球選手、デレク・ジーター。
今年、その華やかな野球人生に幕を閉じた。
宇宙飛行士が宇宙からメッセージを贈るなど、
この上なく豪華な引退セレモニー。
そのスピーチで、彼はこう語った。

  思うに私は世界でもっともすばらしい仕事に就いてきました。
  たった一つしかないニューヨークヤンキースの遊撃手になる
  チャンスに恵まれたのです。

どんな重圧をも楽しめる心。
それが彼の何よりの武器だった。

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三島邦彦 14年11月23日放送

141123-03

藤野英人と投資

1602年、オランダで
世界初の株式会社「東インド会社」が生まれた。
多くの人々の株式投資によってリスクを分散するこの仕組みは、
今も会社の基本的な形となっている。

しかし、
誕生から400年以上がたった今も、
投資と自分は縁がないと考える人は多い。

そんな世の中に対して、
投資ファンドを経営する藤野英人(ふじのひでと)は、
すべての人は「投資家」なのだと言う。
藤野は、投資をこう定義する。

投資とは、いまこの瞬間にエネルギーを投入して、未来からのお返しをいただくこと

お金をかけなくても、
時間をかければそれは投資だと彼は言う。

本を読むことも、
友人と会話をすることも、
そして、いま、ラジオを聴いていることも。

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三島邦彦 14年11月23日放送

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Francisco Anzola
ナラナヤ・ムルティとIT

インドでIT会社を経営するナラナヤ・ムルティには夢がある。

それは世界の格差をなくすこと。

いまだにカースト制度が残るインド。
貧困にあえぐアフリカの国々。

そんな世界の格差をなくすため、
まず教育の格差をなくしたい。
これは、彼の言葉。

教育格差をなくすためには、僕たちネット企業が頑張らなければいけない。
世界中に土管を埋めてケーブルを引き、いたるところにサーバーを置く。
ものすごい低価格でインターネットが見られるようにする。
アフリカで学校をつくるよりも、インターネットの学校をつくるほうが早いんだ。

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三島邦彦 14年11月23日放送

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早野龍五と科学

原子物理学者・早野龍五(はやのりゅうご)は、
子どもたちに科学の授業をする時に
こんな話をするという。

138億年前の
ビッグバンで生まれた
水素が私たちの身体にも入っている。

身体の中の、138億年前の水素原子。
その存在を意識するだけで、
世界は、すこし違って見えて来る。

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三島邦彦 14年8月31日放送

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ぜっとん♪
あの人の夏 阿久悠

「怪物」と呼ばれたヒットメーカー、阿久悠。

作詞家としてこれ以上ない多忙を極める中でも、
毎年夏の15日間は特別な仕事のために空けられていた。

その仕事は、夏の甲子園を見て、一日に一篇の詩を書くこと。

大会期間中の阿久は、
一日四試合、片時もテレビの前を動かなかった。
画面から目を離さずに食べられるよう、食事はいつもどんぶり飯。
グラウンドの球児たちにも負けない気迫で一球も目をそらすことなく、
自己流のスコアブックに色鉛筆で結果や印象を綴っていく。
そして感じたドラマに対し、一回戦で敗退したチームにも、
優勝したチームにも、惜しみない称賛を送り続けた。

1979年から2006年まで足かけ27年、
その間に生まれた詩は、360篇を超える。

これは、その中の一節。

甲子園は去る人の闘いで
だから
熱狂の底に感傷がある
大物も去る 普通も去る
敗者も去る 勝者も去る
たとえ 優勝しても
終る人 去る人に変りはない

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三島邦彦 14年8月31日放送

140831-02

あの人の夏 いわさきちひろ

淡く幻想的な色彩で
こどもたちの姿を
描き続けた画家、
いわさきちひろ。

1945年8月。
ちひろ26歳の夏。
戦争が終わった翌日からつけはじめた日記が残っている。

 青草がそっと足になびいてたまらなくいとしい。
 この草草の色、山のあおさ、日本の大空よ!!

青春をまるごと戦争に奪われてしまった女性は、
その五感で、これまでとは違う夏を感じていた。

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三島邦彦 14年8月31日放送

140831-03

あの人の夏 中田喜直

夏が来れば思い出す

名曲「夏の思い出」の作曲家、
中田喜直(なかだよしなお)。
その父、中田章(なかだあきら)は、
春の代表曲「早春賦」の作曲家だった。

春の歌に関しては自分は父の『早春賦』にまさる曲を作ることはできない

父への敬意と対抗心。
息子は、夏を代表する歌を生んだ。

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三島邦彦 14年6月22日放送

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雨の季節に マンダン族の雨乞い師

19世紀のアメリカ。
画家のジョージ・キャリントンは
先住民に伝わる雨乞いの風習を見ようと
ミズーリ川の上流に住むマンダン族を訪ねた。

村の青年から選ばれる雨乞い師は、
一日祈りを捧げて雨が降らないとその職を解かれる。
初日、2日目、3日目の青年は失敗に終わった。
そして4日目の朝、稲妻が描かれた盾と弓矢を持った青年が現れた。

朝から呪文を唱え続けた夕方、にわかに黒い雲が湧きあがる。
その雲を見るや、青年は、
「マンダン族の頭上とトウモロコシ畑に雲の中身をぶちまけるのだ!」
と言って矢を放った。

やがて、静かに雨が降りだした。
雨は深夜まで続き、村のトウモロコシ畑は乾きから救われた。
青年は雨乞い師としての能力を認められ、村を救った名誉を手にした。

これは、この体験からキャリントンが得た雨乞いに関する教訓。

 マンダン族が雨を降らせようとする時、失敗することは決してない。 
 なぜなら、雨が降り出すまで絶対に儀式をやめないからだ。

なお、マンダン族では一度雨乞いに成功した者は、二度と雨乞いをすることはないという。

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三島邦彦 14年6月22日放送

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Janne Moren
雨の季節に 藤原咲平(ふじわらさくへい)

明日の天気予報はいかがでしょう。

お天気博士の愛称で国民に親しまれた
戦前の中央気象台長、藤原咲平。

1933年に藤原が
気象台で働く人々に向けて記した
天気予報の心得が残っている。
その中にある一節。

 必ず空模様を見ること。朝夕、日中、夜中も常に見ること。
 窓からでは不十分で必ず全天が見える場所で行うこと。

虚心坦懐に空と向き合う。
そうすれば、
わたしたちにも見えて来るものがあるかもしれません。

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三島邦彦 14年6月22日放送

140622-03

雨の季節に 黒澤明

雨が印象的な映画は多いけれど、
黒澤明監督の映画には、
ひときわ印象的な雨が降る。

『羅生門』での黒澤は、
どしゃぶりの雨の勢いを表現するため、
水に墨汁をまぜた。

羅生門の雨

この言葉はすぐに、
世界の映画人の
共通言語になった。

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