薄組・薄景子

小野麻利江 16年7月31日放送

160731-02
Corn Farmer
記録のはなし イチロー

2016年6月15日。
サンディエゴ・パドレス戦。
9回2アウト。
イチローは日米通算4257本目となるヒットをはなち、
「プロ野球における通算最多安打数」の
ギネス世界記録を達成した。

マーリンズに移籍した昨シーズンは、
メジャー移籍後最低の成績に終わったが、
今季は、課題となっていた
「強い当たり」のヒットの割合が格段に上がり、
40歳を過ぎても復調する姿に、
専門家さえも驚きを隠せない。

 常に人に笑われてきた その悔しい歴史が僕にはある

パドレス戦後に開かれた会見で、
そんな想いを口にしたイチロー。
常にクールな彼のその目には、涙が浮かんでいた。

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石橋涼子 16年7月31日放送

160731-03

記録のはなし 織田幹雄

1928年のアムステルダムオリンピックで
アジア初となる金メダルを獲得したのが織田幹雄だ。

種目は陸上、三段跳び。
織田は著書の中で
私はオリンピックの穴を狙った
と語っている。

この一見すると戦略家のような言葉は、
織田幹雄にはしっくりこない。
なぜなら、なかなか記録が伸びずに
オリンピック出場も危ぶまれ、
周囲から引退をほのめかされながらも
黙々とフォームの改良や基礎の徹底を続けた
織田の愚直なまでの努力を、多くの人が知っているからだ。

今、陸上の神さまと呼ばれている彼の言葉として
しっくりくるのは、こちらだろう。

 僕は「精進」という言葉を信条にやってきた。
 これは自分なりの解釈で
 「精を出せば、必ず進歩する」という意味です。

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石橋涼子 16年7月31日放送

160731-04

記録のはなし 前畑秀子

水泳選手の前畑秀子は幼いころから数々の記録を残し、
若干18歳でロサンゼルオリンピック日本代表に選ばれた。

結果は0.1秒差での銀メダル。金は逃したが、
自分が持つ日本記録を6秒も縮めた結果に、秀子は満足したという。

ところが、日本に戻った秀子を待っていたのは、
多くの人々からの「残念だ」という反応。
4年後のベルリンオリンピックに向けての重圧はすさまじく、
何度も何度も水泳を辞めようと考えたという。
それでも彼女を引き止めたのは、亡き母の教え
「やりかけたことは最後まで」の想いだった。

そんな前畑秀子が、五輪直前を振り返った時の言葉が残っている。

 優勝できなかったら、帰りの船から飛び込んで死ぬしかない。
 しかし自分は泳げる。
 さて、どうやって死ぬか。

何事も最後までやりとげる信念を持つ彼女は、
無事、ベルリンオリンピックで優勝し、
日本人女性初の金メダリストとなった。

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薄景子 16年7月31日放送

160731-05
KUHT
記録のはなし カール・ルイス

オリンピックが生み出した
陸上競技界の世界的ヒーロー、カール・ルイス。
4大会を通じて獲得したメダルは、
9個のゴールドを含む10メダル。
走り幅飛びでは、4連覇の偉業を達成した。

そんな数々の記録を生むために
カール・ルイスは、
日々どんなトレーニングに励んだのだろう。
彼はこんな言葉をのこしている。

 楽しいと思う方法でトレーニングせよ。
 ベストを尽くせば、誇りに思える。
 自分にとってのオリンピックで
 「達成感」という金メダルを勝ち取ろう。

それは、スポーツに限らず、
目標をもつすべての人にエールを送る言葉。
楽しむ、そして、ベストを尽くす。
そうすれば、結果は必ずついてくる。

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茂木彩海 16年7月31日放送

160731-06
David W. Carmichael 
記録のはなし スルヤ・ボナリー

1991年の世界選手権。

ここで幻の4回転ジャンプが氷上に舞った。
スルヤ・ボナリー。
当時圧倒的に数が少なかった黒人の女性フィギュアスケーターである。

得意のジャンプを武器に、数々の選手権で会場を沸かせたが、
4回転ジャンプですらも、
「表現力が足りない」「回転不足」などの理由から
入賞を果たせず、その実力がなかなか評価されない選手人生が続いた。

そんな中迎えた1998年長野オリンピック。

彼女は、競技ルールでは禁止されている後方宙返りを行った。
見たことも無い大技に歓声を上げる客席。
演技終了後、彼女は審査員に背を向けて、客席に向け、笑顔でポーズを取った。

せめて自分らしく終わろうと、彼女なりに決意した瞬間だった。

委員会の正式な記録では、この11年後、
女性で世界初の4回転ジャンプが成功したとされている。

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茂木彩海 16年7月31日放送

160731-07

記録のはなし 刈屋富士雄

「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ」

体操ニッポンが大活躍を果たした2004年アテネオリンピック。

男子団体、最終演技者の冨田洋之が鉄棒から降りた瞬間の
実況は、いまでも名実況として記録されている。

テレビ放送史に残る実況を行ったのは、
アナウンサーの刈屋富士雄。

実はこの時、刈屋はもともと別の言葉を用意していた。
「体操ニッポン、日はまた昇りました」。

しかし直前で、ローマ大会から実に28年ぶりの金メダル獲得を
過去の栄光と、これからの未来をつなぐ「架け橋」
という言葉で表現することを選んだ。

刈屋は言う。

 言葉は不思議で、その瞬間に出たから伝わる。
 1分ずれると伝わらない。命があるんですかね。

その瞬間を、言葉で記録する。
その言葉が、観る者の記憶をつないでいく。

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小野麻利江 16年6月26日放送

160626-08
papadont
童謡のはなし たなばたさま

 ささの葉さらさら
 のきばにゆれる
 お星さまきらきら
 きんぎん砂子(すなご)

七夕に欠かせない童謡、「たなばたさま」。

2番までしかない短い唄だが、
歌詞の中には、数々の色彩がつめこまれている。

「きんぎん砂子」の「砂子」は
金箔や銀箔を細かい粉にしたもので、
天の川の細かい星屑のたとえ。

「五色」は、短冊の色の多さを表したものだが、
七夕の発祥・中国の五行説に由来する、
自然現象を抽象化した、五つの色とも考えられる。

 五しきのたんざく
 わたしがかいた
 お星さまきらきら
 空からみてる

梅雨の灰色の曇り空が続いても、
七夕は、どことなく心はずむもの。
さあ、7月はもうすぐ。

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薄景子 16年6月26日放送

160626-07
s.sawada
童謡のはなし あめふり

 あめあめ ふれふれ かあさんが
 じゃのめで おむかい うれしいな

作詞、北原白秋、作曲、中山晋平、「あめふり」
この歌を口ずさむと、憂鬱な雨が
なんだかちょっと楽しくなる。

歌が発表されたのは、1925年。
当時はテレビの天気予報などなく、
空を見て自分で天気を予測した時代。

朝晴れていても、学校の終わりには雨が降りだす。
そんなとき、校門に傘をもって迎えに来る母親の姿は、
どんなに子どもたちをよろこばせたことだろう。
突然の雨は、親子でひとつの「じゃのめ」にはいれる
それはそれは幸福な時間だったのだ。

 ピチピチ チャプチャプ ランランラン

ほら、雨粒まで歌っています。

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石橋涼子 16年6月26日放送

160626-06
dinephoto
童謡のはなし 林柳波の憧れのうみ

海に行くと、海の歌をうたいたくなる。

日本には、静かな海も、激しい海もあるけれど
どの海でくちずさんでも似合うのが、
童謡の「うみ」ではないだろうか。

 うみは ひろいな おおきいな
 つきはのぼるし ひはしずむ

この童謡をつくったのは、
作詞家の林柳波と作曲家の井上武士。
実はこの二人、海のない群馬県の出身なのだ。

だからだろうか。
海の持つシンプルでおおらかな魅力が
すーっと染み込んでくる気がしませんか。

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石橋涼子 16年6月26日放送

160626-05
TAKUMA KIMURA
童謡のはなし 岡野敏明とかえるの合唱

 かえるのうたが きこえてくるよ
 クワ クワ クワ クワ
 ケケケケケケケケ
 クワ クワ クワ

こどもたちの声が重なる輪唱でおなじみ
童謡「かえるの合唱」。
この曲を広めたのは、音楽家の岡野敏明だ。

当時、音楽講師として勤めていた学校に
スイスの教育者ヴェルナー・ツィンメルマン博士が滞在し、
こどもたちにスイスやドイツの音楽を教えていた。
その際に、輪唱を耳にしたのがきっかけだったという。

声の重なりの美しさとおもしろさに心を奪われた岡本は、
作曲が本業だったものの、
試行錯誤して日本のこどもたちに歌いやすい歌詞を考えた。
こうして「かえるの合唱」は日本各地で愛される童謡となった。

メロディはドイツ民謡と言われているが、
不思議なことに、原曲の具体的な存在は謎のままだ。
バッハやチャイコフスキーの楽曲に
似たようなメロディがあるとも言われている。

もちろん、こどもたちはそんなことおかまいなしに、
今日もどこかで歌のおいかけっこを楽しんでいる。

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