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河田紗弥 20年2月15日放送


恋文のいろいろ。 〜ナポレオン〜

フランスの革命家ナポレオン。

1796年27歳のときに
彼は貴族出身のジョゼフィーヌ・ド・ボアルネと結婚した。

ナポレオンは、彼女のことを非常に深く愛しており、
こんなラブレターを送っている。

 3つのキスを贈ります。
 一つは、ハートへ。
 一つは、唇へ。
 一つは、瞳へ。



しかし、そんなナポレオンの熱い想いは届くことなく、
ジョゼフィーヌが浮気をしてしまい、
二人は離婚することになってしまった。

その後、ナポレオンは後妻をもらったが、
死の直前に呼んだのはジョゼフィーヌの名だったそうだ。


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河田紗弥 20年2月15日放送


恋文のいろいろ。 〜坂本龍馬〜

 まことにおもしろき女

これは、坂本龍馬が、自分の姉である坂本乙女へ宛てた手紙の中で
自分の妻であるおりょうのことを紹介したときの言葉だ。


筆まめで知られる龍馬は、
残っているだけでも130通もの手紙を出していたとされる。

今でも、彼を題材にしたドラマや映画でも、
やたらと手紙を書くシーンが多いように思う。

そのときの時勢から人間関係、
金品の貸し借りなど、
なにからなにまで、詳細に書き記していて、
中には3メートルにも及ぶ長文の手紙もあったとか。

妻のおりょうにも多くの手紙を出しているが、
その手紙は、おりょうの死後、
遺言によりすべて処分されたと言われている。

龍馬の愛情が、文字から、文章から、伝わってしまう恋文を、
彼女は、誰にも見せず、独り占めしたかったのかもしれない。


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河田紗弥 20年2月15日放送


恋文のいろいろ。 〜谷崎潤一郎〜

近代日本文学を語る上で、
欠かすことができない小説家・谷崎潤一郎。

彼が「創作の源泉・女神」とまで崇めた
妻・松子に
彼はこんな恋文を送っている。

 「仏さまの足をかたどった墓石より、
 あなたが履いた靴の下に埋められたい。
」と。

彼の書く小説は、
変態的な性的嗜好を描いたものが多く、
共感することはあまりにも難しい。

それにも関わらず、彼の描く
「マゾヒズム」や「フェティシズム」に
惹かれてしまう人々が多かったことも確かだ。


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河田紗弥 19年10月12日放送


百里の道も一足から。 〜ハイヒール〜

「捨てます!」と周囲に宣言すれば、
建物の2階からでも、
汚物を捨ててもいいというルールがあったほど、
16世紀のヨーロッパは街中に汚物が平然と捨てられていた。

臭いはもちろん、
路面に置き去りにされた汚物が
スカートの裾を汚してしまい、人々を悩ませていたという…。

そこで注目されたのが厚底靴である。

歩き辛さやファッション的に好まれていなかった厚底靴を
かかと部分のみを厚底にし、
歩きやすく、見た目も細く美しいハイヒールへと変化させた。

こうして
今では女性を象徴するアイテム
ハイヒールは誕生した。



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河田紗弥 19年10月12日放送


百里の道も一足から。 〜スリッパ〜

家の中で靴を脱ぐ文化は日本独自のもの。
欧米をはじめとした海外では基本的に
家の中でも靴を履いたまま生活をしている。

明治時代に海外の人が来日するようになり、
この文化の違いが原因で
至るところでトラブルが発生していたんだとか…。

そこで、誕生したのがスリッパだ。

靴の上から被せるようにして履くものが原型と言われているが
今でもスリッパの構造にはその名残があるように思う。

“つっかけ”て履く気楽さや
足も床も汚さない利便性は
日本独自の文化とぴったり。
瞬く間にスリッパは日本人の毎日に定着していった。



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河田紗弥 19年8月4日放送


喉が渇いたなら。 〜炭酸飲料〜

世界三大美女として知られるクレオパトラ。
そんな彼女の美への熱き探究心から生まれた飲み物がある。

ある日彼女は、
真珠のような輝きや光沢を手に入れたいという想いから
飲んでいたワインビネガーに
真珠のイヤリングを落とした。

すると、真珠から
たくさんの泡が湧き出てきたのです。

真珠のミネラルがたっぷりと含まれた
その魔法のような飲み物を
クレオパトラは美容と不老長寿の秘薬として
好んで飲んでいたんだとか。

これが炭酸飲料のはじまりと言われている。


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河田紗弥 19年8月4日放送

ツヨポン
喉が渇いたなら。 〜ラムネ〜

夏になると、なんだか飲みたくなるラムネ。
味はもちろん、あのビー玉が妙に恋しくなる。

この方法は、
約150年前にイギリスで誕生したと言われている。
ワイン瓶などで使用されるコルクは、
高価なことと時間が経つと炭酸が抜けやすいことから生まれた。


幕末に米国のペリーが率いる黒船が来航したときにも、
船にはビー玉で栓がされた
炭酸のレモネードがたくさん積まれていた。

この飲み物を江戸幕府の役人に渡すと
「ポン!」と大きな音で栓があけられた。

その音を聞き、役人は
「これが新しい鉄砲か!」と
思わず、腰の刀に手をかけたんだとか。


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河田紗弥 19年8月4日放送


喉が渇いたなら。 〜スポーツドリンク〜

1960年代中頃、
ダムやプラントの建設現場で
炎天下のもと作業していた作業員が
脱水症状を防ぐために
自由に水を飲むことが許されていたにも関わらず、
相次いで倒れる事件が多く発生していた。

また同時期に、
アメリカではアメリカンフットボール選手の発汗による
脱水症状や熱中症による死亡者が
年間平均で約20名という数字を記録…。

この事態を受けて、調査と研究が行われ、
水を飲みすぎると体内の塩分濃度が薄まり、
体内の電解質バランスが崩れてしまうという
人体のメカニズムが明らかにされたのであった。

そこで、フロリダ大学のアメリカンフットボールチーム
「ゲータレード」全面協力のもと、
ロバートケード博士によって、
世界ではじめてスポーツドリンクが誕生した。

このスポーツドリンクをきっかけに、
水分だけではなく、ミネラルも同時に補給することが重要視され、
さまざまなスポーツドリンクが生まれることとなった。


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河田紗弥 19年8月4日放送


喉が渇いたなら。 〜ミルク〜

お釈迦さまがインドの小さな国の王子だった頃。
山奥に篭り、1週間に1食しか食べないという
厳しい絶食修行を行った。

弱り切った体で下山をした釈迦に
村の少女スジャータが
牛乳でつくられた乳粥を捧げた。

その乳粥を食べた太子は
これほど美味しいものが
この世にあったのかとたいそう感動し、元気を取り戻した。

そして、菩提樹のもとで瞑想し、
悟りを開くことができたと言われている。

そのため、釈迦は
牛乳や乳製品のことを
食料となり、気力を与え、
皮膚に光沢を与え、
楽しみを与えるものとして讃えている。


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河田紗弥 19年8月4日放送


喉が渇いたなら。 〜ミルク〜

日本人が牛乳の知識を得たのは、
6世紀中頃のこと。
朝鮮半島から帰化した智聡という男が
仏典や医薬書と一緒に
牛乳の効果や乳牛の飼育方法が書かれた書物を持って帰ってきたことが
きっかけと言われている。

大化の改新の頃、
天皇に牛乳を献上したところ、
「牛乳は体をよくする薬である。」とたいそう喜び、
牛乳を飲むという文化を日本に持ち込んだ智聡の子に
「和薬使主(やまとくすりのおみ)」の姓を与えた。

その後、
朝鮮からの渡来人が増えるにつれ、
次第に乳搾りや乳加工が広まり、
奈良時代には、当時の乳加工品が朝廷に献上されていたという。


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