2009 年 5 月 2 日 のアーカイブ

宴のメニュー

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マリー・アントワネットがフランスに出発するにあたって
ウイーンのベルヴェデーレ宮殿で催された祝宴のメニューを
お知らせします。
招待客4000人に出されたこのメニューは
当時のフランクフルトの新聞に掲載されました。

◉ボイルドハム100本、塩漬けハム100本、雉の肉入りパイ40枚、
しゃこの肉入りパイ40枚、山鳥の肉入りパイ40枚、
やましぎの肉入りパイ40枚、七面鳥の肉入りパイ40枚、
去勢雄鶏の肉入りパイ50枚、ひき肉入りパイ50枚、
仔牛のもも肉入りパイ50枚、燻製のタン100本、
塩漬け肩先肉400ポンド、
ボローニア風ソーセージ100本。

◉肉類:七面鳥100羽、去勢雄鶏250羽、仔牛のひき肉80ポンド、
肥育鳥400羽、雌仔豚80頭、兎の肉入りゼリー50本、
ソーセージ風雌仔豚の香味漬け詰め物の煮物100個、
豚肉入りゼリー100本。
雉250羽、えぞ山鳥200羽、しゃこ250羽、やましぎ200羽、
のろ鹿の背肉ともも肉120頭分、七面鳥120羽、去勢雄鶏400羽、
肥育鶏と鶏の秋雛200羽、仔羊100頭、仔牛の丸100頭。

◉ケーキ:チーズケーキ50ダース、マドレーヌ風焼き菓子50ダース、
オリオール風焼き菓子50ダース、ショートケーキ50ダース、
愛の泉ケーキ50ダース、
ファルノーヌ50ダース、ショード60ダース、シュークリーム類60ダース、
ブリオッシュ50ダース、アーモンド入りショートケーキ50ダース、
ビスケット50ダース、ピスタチオの実入りショートケーキ50ダース、
平鉢100皿、計9,480個。

◉スペイン風雑炊とスープ20,660杯分

◉喫茶:コーヒー16,360杯分、チョコレート・ドリン14,592杯分、
紅茶3,840杯分、レモネード2000マース、ポメランツァーデ1200マース、
アーモンド・ジュース入りミルクセーキ1,160マース。

◉冷たい飲食類…レモン皮砂糖漬け1,600マース、だいだいの砂糖漬け220マース、
メラーローゼ80マース、ベルガモットオレンジの砂糖漬け80マース、
バニラ入りミルク80マース、肉桂入りパピーナ60マース、
あぶり砂糖60マース、イチゴジュース50マース、
チョコレート40マース、ミルクコーヒー50マース、
ドランジェー類750ポンド、だいだい8,000個、ベルガモット3,000個、
マシャンツカーりんご6,000個、タンタセルル1,600個、
はこね草の葉のシロップ180本、

◉パン他:クロワッサン8,000個、パンケーキ類2,440ポンド、
チョコレートとオリオ用ゼンメルパン6,000個、
パンケーキ類2,440ポンド。

◉ワイン類…トカイ産1,990本、マスカット301本、スペイン産452本、
シャンペン1,462本、ブルゴーニュ産赤ワイン1,080本、
ライン産白1,068本、モーゼル産白940本、
ラッツェンドルフ産820本、オーフェン産712本、エアウラ産570本、
ウィーン産602本、オーストリア産50アイマー。

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佐藤延夫 09年5月2日放送

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岡本一平 偶然

偶然。

その言葉は、どこか曖昧でありながらも、
不思議な説得力を持つ。

大正時代の漫画家、岡本一平は
偶然にも、ひとりの娘と出会う。

大貫かの子、のちの岡本かの子である。

肉感的な立ち居振る舞い。
その反面、
ときおり見せる、あどけなく可憐な仕草。

一平はやがて、かの子の虜になっていく。
かの子は、多くの男を虜にしていく。

偶然と運命は、いつも折り重なって存在するのか。

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岡本一平 恋愛

恋愛。

その関係は、いつでも対等の立場であるはずがない。

手紙のやりとりから始まった
岡本一平とかの子の恋。

かの子の筆遣いは大胆にして
生きた感情を包み隠すことなく、ぶつけてくる。

あらためて一平は、かの子の魅力に引き込まれていった。
したためる言葉も、変わっていった。

“これは僕が落とした涙の跡です”
“かわいそうだと思って、会ってくれ”

一平はすでに、かの子の奴隷になっていた。

服従。それも恋愛の、ひとつの形。

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岡本かの子 才能

才能。

ときにそれは、努力では覆いきれないほどの力を持つ。

画家の卵として、細々と仕事を続ける岡本一平。

妻のかの子は、すでにその限界を察知していた。

“一平は人間としては誠に面白いかはり、到底一生凡俗以上に
 なり得ないと見極めが付いたやうに感ぜられます”

兄に宛てた手紙には、そう綴られていた。

一平が、洋画家ではなく、漫画家として脚光を浴びるのは、
ほんの少し、先の話になる。

“お父さんは、絵が下手だねえ”

のちにそう言ったのは、長男の太郎。
岡本太郎だった。

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岡本一平 立場

“総理大臣の名前は知らなくとも
岡本一平の名を知らぬ者はいない”

洋画家から漫画家に転向した岡本一平は
世間にそう言わしめるほどの売れっ子になっていた。

そして1921年の今日、5月2日。
日本初の物語漫画「人の一生」の連載を始める。

“この仕事は、僕にとって、僕の生涯を掛けた芸術の一大投機です。”

その後、一平は「第二の夏目漱石」と評され、
絶対的な地位と名声を手に入れる。

しかし妻かの子との関係は
もはや修復できないほどになっていた。

新しい立場と、消えゆく立場が揺れていた。

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岡本かの子 奇妙

奇妙。

それは一般的な常識や概念とズレが生じたものを指す。

たとえば岡本一平とかの子の夫婦関係は、
奇妙と言わざるを得ない。

一平のほかに、
かの子が愛した男たちは皆、岡本の家で暮らしていた。

早稲田大学の学生、堀切茂雄。

二十年にわたり
身の回りの世話を買って出た恒松安夫。

かの子の手術を執刀した医師、新田亀三。

三人とも、亭主である一平の許可のもと、
半生をかの子に捧げた。
いくつもの奇妙な愛が、岡本家を包んでいた。

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岡本一平 変化

変化。

それはときに、思いもよらない結果をもたらす。

昭和13年の春、意識不明となった岡本かの子は、
翌年、帰らぬ人となった。

夫の一平は、こう語っている。

“ああ、何で人生にはこんな酷い出来事が構へられてあるんだ”

そんなとき、一平の体を気遣う娘がいた。
かの子の兄の忘れ形見、鈴子だった。

一平は、鈴子に心惹かれ、結婚を願い出たが
認められる筈もなかった。

かの子が亡くなった、その秋の出来事である。

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岡本太郎 巴里

巴里。

岡本太郎は、18歳から29歳まで、
この地で暮らしている。

ある日、ラ・ボエッシー街の画商でピカソの絵を見たとき
太郎は、溢れ出る涙を、抑えることができなかった。

“これこそ、自分が突き詰める道だ”

私生活では、生涯独身を通している。
両親の影響を受けたのかと思えば、そうでもない。

“世界中にこんなに沢山すばらしい女性がいるのに、一人だけ指定席に。
 あとはシャット・アウトなんて。そんなことできない。フェアーじゃない”

彼が生涯の伴侶にしたものは、
芸術だけ、だったのかもしれない。

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