2009 年 10 月 23 日 のアーカイブ

五島のはなし(53)

五島を活性化させるプロジェクト(の妄想)その1。

まずは日本中の注目を五島にがつんと集めたい。
思い切った考えだが、島名を変えてしまってはどうか、
と今日電車の中で思った。

たとえば「ウルトラ列島」。
改名したら間違いなくワイドショーをにぎわすだろう。
(五島の名を捨て去るのはいかがなものか、
 という意見が多い場合は「ウルトラ五島列島」でもいい。)
「さて何がウルトラなのか、といいますと!」
テレビのキャスターがフリップをめくりながら話す姿が目に浮かぶようだ。

そして五島市長(いや、ウルトラ市長か)は「五島ウルトラ宣言」を行だろう。
海のきれいさも、浜辺の美しさも、料理のおいしさも、
教育も、観光客をもてなす態度も、
島民みんなでウルトラ(つまり、とってもすごい)を目指そう。という宣言。
やっぱり島民ひとりひとりのモチベーションがなんてったって大事なのだ。

同時に、島へのファンづくりも忘れてはならない。
日本中の子どもたちに五島のファンになってもらう。
なぜ子どもかと言うと、小さい頃に好きになってくれれば
いつかその子どもたちが大人になって、親になったとき
そのまた子どもらを連れて五島に来てくれるからだ。

具体策としては、ウルトラ列島だけに、ウルトラマンだ。
円谷プロにお願いして、地球では3分しか活動できないウルトラマンにも
実は地球上に一か所だけ3分過ぎても活動できる安全地帯がある、
というストーリーにしてもらう。もちろんそこは五島(ウルトラ列島)だ。

そして、ウルトラマンの等身大の像を、島の真ん中に設置したい。
ウルトラマンって確か50メートルくらいあるはず。
ぜったい話題になる。
しかも、よくありがちな堂々としたかっこいいウルトラマンではない。
戦いにつかれ、手を膝についてぜえぜえあえいでいる、
地球に来て2分58秒後くらいの、ぎりぎり安全地帯にたどりついた瞬間の
ウルトラマンの姿だ。
その人間的な姿に、大人たちも心を打たれるだろう。

さらに。
このウルトラマンのあえいでいる像は
島を離れ、都会で暮らす五島出身者たちへの強いメッセージにもなる。
「都会での戦いに疲れたら、いつでも帰ってこい」

・・・どうだろう。
ハードルは高いがやってみる価値がありそうな気がする。
あ、さらにさらにウルトラマンの像であるが、
手を膝についているということは、巨大な背中は一面空に向かっていることになる。
ここをすべて太陽光パネルで覆おう。
その電力で、島のエネルギーを補う。
エコの島としても世界から注目を集めるのだ。

(妄想つづく)

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五島のはなし(52)

21世紀の幕が開けたその日、
つまり2001年の元旦、
僕の五島の実家に16年前の僕からハガキが届きました。

2001年の16年前といえば1985年。
科学万博があった年。
僕は中1でした。
記憶にないのですがその年、
五島の中学校では「21世紀の自分」に
手紙を書くイベントがあったようなのです。

2001年の正月はまだ就職もしておらず
横浜の日吉という町のボロアパートにもんもんと暮らしていて、
五島に帰省していた兄からの電話で
そのハガキの存在を知りました。
「そっちに送るけん」
そう兄は言いました。

16年前の自分からの手紙。
わくわくしました。
どんな字を書いていたのか。何を考えていたのか。どんな夢を持っていたのか。
そして、きっと思い描いていたような人間にはなれていないぞ、
16年前の僕くん・・・となんとなく切ない気分にもなりました。
そんな高ぶる気持ちでハガキを待ったわけです。

数日後。
届きました、ハガキ。
高鳴る胸の鼓動。
そしてひっくり返してみたら・・・
ひとことスケベな英単語(あえて、というか恥ずかしくて、具体的には書きません)
が書かれてました。

・・・・・・。

いやあ、情けなくてどうしようかと思いました。
「目が点」ってこういう状態なんだと知りました。
でも同時に、ほんとにほんの少しだけですが、
「やるなあ、アナーキーだなあ、13歳の俺」
とすがすがしい気分になったのも、事実。

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