2009 年 10 月 10 日 のアーカイブ

バリ島見聞録(5)

IMGP3974IMGP4024IMGP4002IMGP3789

塀の向こうに見える塔はいったいなんでしょうか?
そもそもこの場所はなんなんでしょう。お寺?
こういった、街の風景が島中に見受けられます。

IMGP3975

実は普通の民家なんです。
塀から除く塔は、バリ・ヒンズー教の“どの民家”にも建てられている
家族のお祈りの対象となるトゥングン・カランと呼ばれる社(やしろ)です。

どんなに貧乏でもバリ人であるかぎり、この信仰の場所確保しなくては行けない。
木の枝を四隅に立てて、竹で編んだお供え置きを載せるだけでもいいらしいです。

この社の役目は、外の邪悪な力から、屋敷の中に居るものを守ることで、
その中にはカラ神というヒンズー教の神様が祭られています。
破壊を強いる神のようですが、そこにお供え物をすることで神はなだめられ、
屋敷の中に居るものを守ってくれるというのです。

バリ人の信仰っぷりは凄まじく、お金を得たバリ人たちは、
お金が入った分だけ次々とトゥングン・カランを敷地内に立てていきます。
すると、そこがお寺であるかような風情を醸し出すようになってしまうのです。

バリはもともと肥沃な土地で飢えるという心配がありません。
日本と同じく稲作が盛んですが、2期作から3期作行なっています。
木々は様々なフルーツを実らしており、外に出れば何か食べ物にありつけます。
そこに観光産業が入ってきたので、基本的にバリ人は豊かです。

土地を海外の資本家に貸し、莫大なお金を得る人達もでてきてます。
でも、彼らはお金を使う必要があまりありません。
なので、社をどんどん立ててしまうのです。

バリ人の実直さ、信仰心の厚さを表す現象と言えます。

一部の地域にはそれがありません。
つまりその地域はヒンズー教でないといえます。
特に繁華街は、外国やお隣の島、ジャワ島からの出稼ぎが多く来ており、
バリ・ヒンズー教でない人々が多く住むようになりました。

旅の恥はかきすてではないのですが、
心ない事件はバリ島以外からきた人が行なっていることが多いようです。

バリ人は信仰心が厚く、カースト制度がある村社会でもあり、
近隣の監視があるので、悪いことをしてもすぐにばれてしまいます。

バリ人が恐れているのは村八分になることです。
そしてバリ人の村八分はおそろしい。。。らしいです。

なのでなかなか悪いことしません。
しませんよ。

topへ

小山佳奈 09年10月10日放送

1010_1

司馬さんとみどりさん 「原稿用紙」

作家、司馬遼太郎と、妻みどりさん。
二人は職場恋愛だった。

同じ新聞社の同じ部で
向かい合わせに座る二人。
かぎつけるのが仕事の記者たちの中で
ひそひそと恋を育んだ。

連絡はいつも机の隙間からするりとすべり込む
原稿用紙の切れ端。


 サントス亭で待ってます。

原稿用紙から始まる作家の恋なんて
順当すぎてつまらないけど、
司馬さんとみどりさんには
ことのほか似合っている。

1010_2

司馬さんとみどりさん 「四天王寺」

作家、司馬遼太郎と、
妻みどりさんがまだ恋人だった頃。

四天王寺をそぞろ歩きながら
司馬さんはこんなことを言った。


 僕たちは弱点で結ばれたんだから、
 壊れることはないよ。

そうして37年。
たしかに二人は歩き続ける。
一瞬も一片も壊れることなく。


1010_3

司馬さんとみどりさん 「ピーマンの皮」

作家、司馬遼太郎と、妻みどりさん。
みどりさんは料理がさっぱりできない。

晩ご飯にバナナを一房だけ買ってくる。
ピーマンの皮をむいたら
中に何も入ってないと騒ぎ出す。

そんなみどりさんに司馬さんはプロポーズする。
「そんなことはどうでもいい」。

そういえば
司馬さんの小説に出てくる女性たちも
みんな男まさりでおてんば。

司馬さんの好みは
一貫している。


1010_4

司馬さんとみどりさん 「風邪」

作家、司馬遼太郎と、妻みどりさん。
司馬さんは風邪をこの世で一番怖がった。
みどりさんは、夫が風邪を引くことを
この世で一番怖がった。

たった36度5分で
司馬さんは暴君のようになった。

そばにいれば「あっちへ行け」
あっちにいると「何してるんだ」
あげくお医者さんには
「大した風邪でもないのに
うちの家内が騒ぐもので」。

やれやれ。
新型インフルエンザなんて聞いたら
司馬さんの前にみどりさんが卒倒する。


1010_5

司馬さんとみどりさん 「結婚記念日」

作家、司馬遼太郎と、妻みどりさん。
二人は晴れがましいことが大の苦手。

結婚式は本当に内輪で済ませたし
結婚記念日なんて祝うどころか
思い出すことすらしなかった。

ただ一度、何十回目かのその前の日、
ソファに寝転がりながら司馬さんが呟いた。


そうか、明日は俺たちの日なんだ。

たった一言が
何十年分の愛。

司馬さんは、ずるい。

1010_6

司馬さんとみどりさん 「21世紀」

1996年。
夫の司馬遼太郎が亡くなっても
妻のみどりさんは泣かなかった。

蔵書を整理し記念館をつくり財団を立ち上げ、
息つく間もなく迎えた2001年のお正月。

21世紀に酔う街並を見て
みどりさんは唐突に司馬さんを思った。

この瞬間、いっしょにいたかった。
司馬さんが、愛し、憂えたこの国の21世紀を、
二人で見たかった。

みどりさんはその日、
司馬さんが亡くなってから
初めて泣いた。


1010_7

司馬さんとみどりさん 「呼び方」

作家、司馬遼太郎の妻みどりさんは、
一度も夫を「主人」と呼ばなかった。

「司馬さん」。
それがみどりさんの呼び方。

ただ司馬さんが亡くなってから
ごく近い人にごくたまに
ちがう呼び方をしてみる。

「あのひと」。

そう呼ぶと少しだけ甘い気分になれるから。
そう呼ぶと少しだけあの日に帰れる気がするから。

「あのひと」。

そう呼んだ日は
少しだけ泣きたくなる。

topへ


login