2009 年 のアーカイブ

Vision収録見学記 part3-(1)

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 熊埜御堂由香-遅刻しました!

10月17日、薄組の原稿収録に立ち会ってきました。
ほんの一瞬ですが・・・。
15時くらいから日曜分を撮るとディレクターのCさんからお伺いしていた
のですが、ついたらほとんど撮り終えていていたんです。
でも、じつはちょっと遅刻もしたんです。
その日は東京国際映画祭のオープニングで六本木は、人人人。
レッドカーペットならぬグリーンカーペットが、けやき坂に敷かれていました。
人を、かきわけ、かきわけ、スタジオについたら、
Cさんが、もう終わっちゃうよーと笑っていました。
今日はほぼ1発撮りですいすい進んだそうです。

なので、今回は、収録記というよりはVisionよもやま話に切り替えさせて
頂いていいでしょうか?いいですよね!?

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五島のはなし(58)

みなさまお元気でしょうか。
私は一昨日から鼻水が止まらず
いまもキーボードにぼたぼた落としながら書いてます。
それでも書くのは五島への愛の深さだと実感しています。

ほんとどうでもいいことですが、
(日々どうでもいいことばかりですが)
文章を書くときに
一人称をどうするかで毎回悩みます。
その悩みのせいで、五島のはなしをもう断念してしまいたいくらいです。
「私」だとかたくるしいし、
「僕」だと気恥ずかしく、村上春樹気取りかっ!って自分につっこみ入れたくなるし、
「俺」だと男気ある人みたいだし、かといって
いきなり五島弁で「おっが」と言い出すと
わけがわからなくなるし。

このさい新しい一人称を開発しようかと思います。
なんかこうイヤらしくない、風のような、
限りなく透明に近い一人称。

よし、次回からそれで書いてみます。

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五島のはなし(57)

人類ではじめて宇宙を旅した男
ガガーリンは「地球は青かった」という名言を残しました。
この言葉に匹敵するくらい
僕の中で重みがあり、かつ日本中いや世界中の人に
もっと広まってほしい言葉があります。
それは僕の父がかつて発した言葉です。

「あらかぶは、黒いほうがうまい」

あらかぶとは、カサゴという魚の五島での呼び名です。
僕のあらかぶへの偏愛については
以前も書きましたが、まだまだあらかぶについて
伝え切れていないところが多いと実感しています。

あらかぶは、同じあらかぶでも
住んでいる場所などの要因で
体色に違いがあるのです。
大まかに言うと、浅いところに住んでいるほうが色が濃く、
水深が深くなるほど体色が赤くなっていく。
そして、浅いところで釣れた、色の黒っぽいあらかぶこそが
いちばん味わいのよいあらかぶだ、という、
これはもう長年の経験、
五島の人の間で連綿と受け継がれてきた暗黙知の発露なのです。
ぜひ皆さんの毎日にも、この知恵をお役立てください。

「あらかぶは、黒いほうがうまい」

赤いあらかぶ。

赤いあらかぶ。

赤黒いあらかぶ。

赤黒いあらかぶ。

これが黒いあらかぶ。

これが黒いあらかぶ。

ちなみに黄色っぽいのも。

ちなみに黄色っぽいのも。

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五島のはなし(56)

五島と聞いても、
たいていの人には聞いたことあるようなないような、
な島ですが、
ある特定の人々に限っていうと
すごく有名です。
それは釣り好きの人たち。

「趣味が釣り」という人に出会うと、
もうウキウキしちゃいます。
「へえ、釣りが好きなんですかあ」と言ってるときにはもう
「僕は五島列島出身なんですよー」
「えっ、あの五島!?」
「そうなんですよ~(でへへ)」
「うらやましい。さぞ釣れるでしょう」
「いやあ、まあ、はい、釣れますよ~」
という一連の会話を期待していて、
そして必ず、話をその流れに持っていきます。
「さぞ大物が釣れるでしょう」という質問に対しては、
釣り師の習性で、ついつい上方修正されたサイズを語ってしまいます。

「釣り人同士で話をするときは、両手をひもで縛っておけ」・・・ロシアのことわざ。

五島の釣魚でたぶんもっとも有名なのが「クロ」。
全国では「メジナ」と呼ばれる魚です。
黒いから「クロ」というんでしょう。
でも釣り上げたときは青みがかったキレイな色をしています。
(細かいことを言うと、クロには「クチブト」と「オナガ」の2種類があり、
「オナガ」のほうがより青みがかった色をしている)
冬の荒磯に立ってクロを釣るのは至福の時間です。

写真は今年の正月に五島の磯で釣ったクロ。
大きさは、そうですね4、50センチ、いや60か、
いやいや70か80センチくらいはあったかな。

クロ(オナガ)

クロ(オナガ)

 

こういうとこで釣る。

こういうとこで釣る。

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五島のはなし(55)

私のこの10年来の悩みは、
ふたりの愛する女性の間で
ひきさかれるような思いをしていることです。

ひとりは、私の結婚相手。仮に「T」と呼びましょう。
Tは魅力的な女性です。
知的好奇心を刺激し、夢を見させてくれて、経済的援助までしてくれます。
Tにはおもしろい友人たちがいて、その人たちへのあこがれが
さらにTへの愛を加速させます。

そうしてTとともに、日々の暮らしを送っているわけですが
同時に、いつも私の心の中には「G」がいます。
Gは初恋の相手であり、
やさしくておおらかで、ぎすぎすしていない。
このところ年に1、2回しか会えず、会えたとしても短い時間なので、
会えないときはついつい彼女の良いところばかりがふくらんでしまい、
それがGへの思いを募らせる原因でもあったりします。

悩ましい。
Gのことを思いながら、Tとの結婚生活を送ることは
Tに対して失礼な気がして罪悪感を覚えます。
同時に「いつか君のもとに帰るから待ってて」と約束したGを
長い間ほっぽらかしにしているのにも、罪悪感を覚えます。

Tは東京です。Gは五島です。
・・・「アホくさ」って感じですよね。
わかりますわかります。
恋の悩みはいつも、他人にとっては「知るか」っていう話です。すみません。

ああでも苦しい。
苦しすぎて、こないだ会社の上司に思い切って相談しました。

「Gのことが忘れられません。
 でもTとの関係もダメにしたくない。
 というわけで、これからはGのもとで暮らし、
 でもTとの関係もそのまま・・・特に仕送りとして
 今Tからもらってるお金をGの家に送ってもらうわけにはいかないでしょうか」

上司は言いました。
「虫が良すぎるだろ」

私は言いました。
「ですよねえ」

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渋谷三紀 09年10月25日放送

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パブロ・ピカソ

生涯に15万点近くの作品を残したピカソは、
世界一多作な芸術家として
ギネスブックにも記されている。

晩年はますます自由で大胆な作風になり
87歳でこんなことを言っている。

 この歳になって、やっと子どもらしい絵が描けるようになった。

一人の天才が一生をかけてたどりついた「子供らしさ」を
じっくり鑑賞してみたい。

今日はピカソが生まれた日。

02_okamoto


岡本太郎

1960年、大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」。
シンボルタワーのデザインを引き受けたとき、
岡本太郎は言った。

 馴れ合いの調和は卑しい。
 ぶつかり合って生まれるものが、本当の調和だ。

太郎がデザインしたのは、
先に計画された建物の大屋根を突き破る、
高さ七十メートルの太陽の塔。

万博は終わり、建物は取り壊された。
でも太陽の塔だけは大阪のシンボルとして
今日も空に両手を突き上げている。

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葛飾北斎

江戸の浮世絵師、葛飾北斎は、九十まで生きた。
人生四十年の時代に、異例の長寿である。

北斎が脚光を浴びたのは四十代も後半。
滝沢馬琴とのコンビでベストセラーを連発した。
しかし彼に言わせれば、

七十までに描いた作品はとるに足らないもの。

であるらしい。
その言葉どおり、かのゴッホにも影響を与えた代表作
「富嶽三十六景」を完成させたのは、七十五歳のとき。

年を取っても絵に対する意欲は衰えることがなかった。
七十九歳で火事に遭い、すべての写生帳を失っても
まだ絵筆が残っていると言い
八十九歳にしてなお気迫に満ちた極彩色の竜を描いている。

その北斎が息を引きとる間際に残した言葉がある。

 あと五年生きられれば、本当の絵描きになれるのに。

まったく…
天才はどこまで行くつもりだったのだろう。

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岸田劉生・麗子

子どもが子どもでいる時間はみじかい。
だから親はそのあいらしい瞬間を残そうと、躍起になる。

岸田劉生もまた
70点を超える娘の肖像を描いた。

娘の名前は麗子…

5歳から16歳まで
油絵、水彩画、また日本画やデッサンとして
さまざまな麗子像が描かれた。

麗子像を説明するのはむづかしい。
ときには肩幅ほどもある大きな顔
あるときは怒ったような表情。
どの絵も暗く、ねっとりと濃厚で湿っている。
子供の頃に怖かった暗がりを見る心地がする。

でも、それこそが
劉生が「デロリの美」と名づけ、極めようとした美の世界。
麗子像について当の麗子はこう語っている。

 あの絵は、私を通して違うものを描いているの。

なるほど、麗子は画家の娘であった。

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伊藤若冲

色鮮やかな花鳥画で知られる画家、伊藤若冲。

若冲は肉を一切口にしなかった。
仏教を篤く信仰していた彼は、
頭も丸く剃っていた。

ある日のこと。
肉屋ですずめが売られているのを見つけた若冲は、
数十羽すべて買いとり、庭に放してしまう。

その節はありがとうございました。
美しい娘に姿を変えたすずめが、若冲の前に現れた。
なんて後日談は、残念ながらないけれど。

若冲の絵には
群れをなしてうれしそうに空に飛び立つすずめの絵がある。
もしかしたら、この絵のアイデアが
すずめの恩返しだったのかもしれない。

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土居ナンシー美由希 09年10月25日放送

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カート・ヴォネガット

アメリカの作家、カート・ヴォネガットは言った。

恋人たちが諍いを起こしたときには、
お互いにこう言って欲しい、と。

 「愛をちょっぴり少なめに、ありふれた親切をちょっぴり多めに」

秋も深まってきました。
ますます長くなる夜を 後悔の涙で濡らさないように
覚えておきましょう。

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宮田知明 09年10月25日放送

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古今亭志ん生

五代目、古今亭志ん生。
高座に座る姿そのものが、一枚の絵であり、
落語である、と言われた名人。

彼はこんな言葉を残した。

 他人の芸を見て、
 あいつは下手だなと思ったら自分と同じくらい。
 同じくらいだなと思ったら、かなり上。
 うまいなあと感じたら、とてつもなく先へ行っている。

「芸」という文字を「仕事」に置き換えると・・・
なるほど、と思う。

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市川崑

ビルマの竪琴、野火、炎上、おとうと、
黒い10人の女、犬神家の一族・・・

長編映画だけでも70本を越える作品を残し、
短編やテレビ、CMに舞台と、
さまざまなジャンルで活躍した映画監督、市川崑。

2006年、その市川崑が、
犬神家の一族のセルフリメイク作を発表したときの、
記者会見の言葉がある。

 もう少し長生きして、もうちょっとちゃんとした映画を作りたい。

90歳のこの謙虚さに
映画に対する執念を感じてしまう。

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五島のはなし(54)

Visionは古今東西の人物にフォーカスをあてる番組です。
それぞれの人物にまつわる事実(とか記憶)に基づいて
話を組み立てるのだけど、
書く人によって事実とか記憶に対するアプローチが違う。
性格が出ちゃうんでしょう。

そんなわけで、
毎回ほんの1分程度の番組ですが、
単なる人物紹介じゃないおもしろさがあると思います。
Jwaveが聴ける場所にいる人は、ぜひ聴いてみてください。
毎週土日の夕方~夜、
だいたい、〇〇時54分あたりからやってます。

・・・いつも五島列島の紹介しかしてないので、
たまには(本筋である)番組の紹介をしてみようと思った次第です。

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八木田杏子 09年10月24日放送

CHANEL 1

「ココ・シャネル」

シャネルの創始者ガブリエル・シャネルは、
お針子をしながら歌手になることを夢みて
キャバレーで歌っていた。

舞台に立っていたときの持ち歌は
「Ko Ko Ri Ko」
それから
「Qui qu’ a vu coco」

そのタイトルにちなんで、ファンは
「ココ!!」と呼んで声援を送った。

歌うことを諦めたあとも、ガブリエルはずっと、
その呼びかけを愛した。

自分の足で立とうとしたときに
拍手と一緒にもらった名前「ココ」
シャネルはそれを一生使いつづけた。

CHANEL2

「シャネル・スタイル」

孤児院で育ったココ・シャネルが
社会へ一歩踏み出したとき
最初に首をかしげたのは
ドレスの長い裾、フリルやリボンなどの過剰な装飾。

本当に必要なのは
着飾るための服ではなく
生活するための服ではないかしら。

そう信じたシャネルは、
当時、下着の素材だったジャージーを使って
大胆なドレスを発表する。

そのドレスは
女性のカラダを動きやすく解放した。
そのドレスには短い髪とシンプルな帽子が似合った。

シャネルのファッションは
女性の生きかたに影響を与えはじめる。

CHANEL 3

「シャネルの解放」

どんなに苦しい時代でも、
女はファッションを諦められない。

戦争がはじまって戸惑う女性を、
シャネルは、ファッションでリードする。

身分のある女性が、負傷兵の看護をするために
品のいい看護服を仕立てあげた。

ドレスの紐をしめるメイドがいなくなったから、
コルセットのいらないドレスをつくった。

自動車や馬車ではなく、自分の足で歩くために、
踵を隠していたスカートも短くした。

誰の手も借りずに服を着て、
颯爽と街を歩くようになったパリジェンヌ。

第一次世界大戦が終わると、
その姿は世界中に知れ渡る。

chanel4

「シャネルの恋」

打算のない恋をするためには、
女は自立しなくてはならない。

ココ・シャネルは、そう信じていた。
恋人の援助で仕事をしていることが、もどかしかった。

「僕をほんとうに愛している?」と彼に聞かれると、
シャネルはこう答えた。


 それは私が独立できたときに答える。
 あなたの援助が必要でなくなったとき、
 私があなたを愛しているかどうかわかると思うから。

恋人と肩をならべて歩くために、
シャネルは仕事に生きる女になる。

彼がほかの女性と結婚したあとも
再び彼女のもとへもどってきたときも
そして、彼がシャネルを残して亡くなってからも…

仕事に支えられたシャネルは、
彼を愛しつづける。

CHANEL5

「シャネルの恋のおわり」

シャネルは女友達にこんなアドバイスをしている。


 愛の物語が幕を閉じたときは、
 そっと爪先だって抜け出すこと。
 相手の男の重荷になるべきではない。

終わりかけた愛情を、友情に変えるために。
シャネルは、きっぱりと言い切る。


 男とはノンと言ってから本当の友達になれるもの。

もしかしたら
彼女は恋のいちばん美しい部分だけを
相手の記憶にとどめたかったのかもしれない。

シャネルのように恋を終わらせるのは度胸が必要だ。
もしかしたら、これが本当の意味で
自分を捧げるということなのかもしれない。

Misia_Sert_by_Renoir

「シャネルの親友」

ココ・シャネルの一生の親友は
パリの社交界の女王、ミシア・セールだった。

惹かれあいながらぶつかりあうふたりの関係を
シャネルは、こう語る。


 わたしたちは二人とも他人の欠点しか
 好きになれないという共通点をもっている。

口当たりがいいだけでは、
一生の友情はつくれない。

chanel7

「シャネルのカムバック」


 退屈しているときの私って、千年も歳をとってるわ。

ココ・シャネルは、仕事のない人生に飽きていた。

大きくなり過ぎた店は
第二次大戦の直前に閉めていた。
シャネル自身も引退したつもりだった。

それなのに
70歳の彼女は、また服を創りはじめた。

15年ぶりのコレクションは、酷評されたけれど
その1年後
酷評された服がアメリカで大ブームになった。

女性の社会的進出がめざましい国で
シャネルは再び受け入れられたのだ。

それから87歳までシャネルはブティックに立ち続け
こんな言葉を残した。


 規格品の幸せを買うような人生を歩んではいけない。

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