2010 年 11 月 のアーカイブ

三國菜恵 10年11月14日放送



人と石/南アフリカの少年


1860年代、南アフリカ。
オレンジ川のほとりであそんでいた少年が
光る石を見つける。

それが、南アフリカ最初のダイアモンド。
のちに「ユーレカ」と名付けられる。
その意味は、ギリシャ語で「我、発見せり」。

少年の発見は、世界最大の
ダイアモンド鉱脈の発見につながった。





石について/夢の浮橋


数奇な運命をたどった石がある。

その石は、
南北朝時代に、後醍醐天皇が肌身離さず持ち歩いていた。

戦国時代には、豊臣秀吉、
江戸時代には、徳川家康の手に渡り、
「お守り」の石とされてきた。

この石が彼らの命を
本当に守ったかは定かではない。
けど、心をなぐさめていたことは間違いない。
だって、名前がとても美しいから。

石の名前は、「夢の浮橋」。
現代人の私たちは、徳川美術館に行けば観ることができる。





人と石/中島誠之助


「いい仕事してますねえ」のセリフでおなじみの
人気鑑定士、中島誠之助。
彼は、小学生たちにこんな宿題を出したことがある。


 自分の宝物を見つけて、持っていらっしゃい。


思い思いのものを持ってくる生徒たち。
彼自身も生徒に混ざり、
一番の宝物を持ってきてみんなに見せた。

それは、小さな石。
8歳のときに河原で拾って以来、ずっと大事にしてきたという。

高価なお宝はたくさん知っていても、
ほんとの宝物は石ころひとつ。

「お宝」に対する、彼の心がうかがえる。


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三島邦彦 10年11月14日放送



人と石/隈研吾


栃木県那須芦野に、「石の美術館」という名の小さな美術館がある。
設計を手掛けたのは、世界的建築家、隈研吾。
予算はほとんどないが、芦野の名産である石と、
石を扱う職人はふんだんに使える。
その条件の中で、彼はコンクリートやガラスに頼らない
石造りの名建築を生みだした。
彼は言う。


 制約は母である。制約からすべてが生まれる。
 そして自然とは、制約の別名である。






人と石/畠山直哉


「石灰石」と聞いて何を思い浮かべますか。
きっと、具体的なイメージを持つ人は少ないはず。

けれど石灰石は、
セメント、鉄、ガラス、紙、プラスチック、それに、薬品や食品、
さまざまなものに姿を変え、私たちの身の回りにあふれている。

そんな石灰石の採掘現場を
日本中で写真におさめた写真家、畠山直哉。
彼は語る。


 遥か地平線まで続くコンクリートのビルや道路が、
 すべてあの山々から掘り出した石灰石を原料としているなら、
 このビルや道路をすべて擦りつぶし、
 その膨大な量の炭酸カルシウムを慎重に元の場所に返してやれば、
 最後のスプーン一杯で、以前の山の稜線は、ぴったりと復元されることになるだろう。
 鉱山と都市はまるで写真のネガとポジのようなものだ。


今、あなたがいるその街も、
遠いどこかの石灰石鉱山の映し鏡。
そう考えると、風景が少し違って見えてきませんか。





人と石/アルバート・アインシュタイン


世紀の天才物理学者、アルベルト・アインシュタイン。

このアインシュタインという名前は、
ドイツ語で「一つの石」という意味だという。

そんな彼が残した言葉は。


 私は何カ月でも何年でもひたすら考える。
 九十九回目までは答えは間違っている。
 そして百回目でようやく、正しい結論にたどりつく。


この実直さ。
いかにも、名前どおり。


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坂本和加 10年11月13日放送



写真家 荒木 経惟

20代までは、
親からもらった顔。
30代以降は、
してきたことが顔にでる。
そう聞いたことがある。

50年以上にわたり
今も精力的に活動を続ける
写真家、アラーキーこと
荒木経惟は、ここ10年近く
日本人の顔シリーズと称する
膨大な数の作品を撮っている。

顔を変えるのは、
じつは風土や時代じゃない。
まわりのひとです。
愛するひと、愛してくれるひとがいるひとは
かならずいい顔をしている。

生きているひとの、
そこに表出しているものを
アタシは撮らされていると荒木経惟は言う。

荒木経惟の撮った写真には、愛がある。





事業家 リチャード・ブランソン

ヴァージングループの創始者、
リチャード・ブランソンは
16歳で「僕が校長なら
もっとうまい経営をする」。
そう言って学校を去った。

ヴァージンの起業はハタチのとき。

今でこそブランソンといえば
メディアを手玉に取るような
派手なパフォーマンスが
よく取りざたされるが、
それは宣伝効果をねらった戦略。

創業時は、来客があれば
わざとスタッフに
外から電話をかけさせ
活況を装ったこともあると言う。

成功のためなら、なんでもやる。
けれど、とにかく楽しんで、する。

楽しんでいるひとは、つよい。





ブックディレクター 幅允孝(はばよしたか)

時代が求めれば、
あたらしい職業も生まれる。
ブックディレクター、
幅允孝さんの仕事がそうだ。

依頼されて、
しかるべき場所に
「本棚」を作りに行く。
たとえば、カフェに。
病院のリハビリ施設に。

書店が品揃えなら、
幅さんのつくる本棚は、
そこに発見と一期一会がある。
好きな本を並べるだけでは
ただのおせっかいです。
そう言う幅さんの、徹底した
取材から生まれたセレクトが、
ひとと本の、新鮮な出会いを
つくっている。

世の中には、
星の数ほど本がある。
人生は、何冊出会えるかです。





クラフト・エヴィング商會×吉田篤弘と吉田浩美

クラフト・エヴィング商會の
創業は明治30年。
吉田篤弘さんと浩美さんは
現在その3代目なのだが、
扱う品物はすべて架空の世界にある。
たとえば、「堪忍袋の緒」に「舌鼓」。
それらを軽快な文章と
イラストで綴った書籍。
あるいは、先代の残した未来から届く
へんてこな古書を紹介する書籍。
それが、クラフト・エヴィング商會の商品だ。

吉田さんご夫妻は
空想をていねいにあたため、
たしかな構想にかえて、
それを仕事にしてしまった。
それも、とびきりおもしろく。

みんながそう簡単に
まねできない仕事なら
オンリーワンになれる。





だれかのなりたい職業×バービー

小学生にきいた2010年の
「大人になったらなりたい職業」の
1位は、男子が野球選手で、
女子は食べ物屋さん。
そう聞いて、ちょっと
ほっとした気分になる。

バービーの愛称で知られる
アメリカ生まれの17歳は、
ウェブ投票で、
ことし126番目の職業、
コンピューターエンジニアになった。

リカちゃんが永遠の
小学5年生であるのにくらべたら
ずいぶんアメリカ的。

でも、バービーがこれほどの
キャリアウーマンだったとは。
驚きです。





思想家×吉本隆明

たとえば、
いまの仕事が
自分に合っているのかと、
疑問に思うひとがいる。

戦後思想家の巨人、
吉本隆明さんに言わせれば、
なりたい職業と
他人から見た向き不向きは
違うものなのだそうだ。

ならば、どうしたらいいか。
吉本さんの答えは、
「両方やってみればいい」。
できれば、それが対になるように
表と裏の関係で修練すればいい。

吉本さんの言うことは、シンプル。
働くことを、こわがるな。








翻訳家 岸本佐知子


売れっ子翻訳家、
岸本佐知子さんは、
すこしあまのじゃくなひとだ。

敬愛する谷崎潤一郎の
小説を読み、最高に内容がない。
と、ほめちぎる。
内容がないのに最後まで読めて、
何度でも新鮮で発見と驚きがある。
そこが、スゴイと絶賛する。

もとより、彼女は
自由なものを書いていい場所で
なぜこんな普通の話を書くのか。
と、長らく思っていたらしい。

だからなのか。
彼女のエッセイは、抱腹絶倒の
妄想のオンパレード。もはや、
エンターテイメントといっていい。

近ごろ笑ってないあと思ったら。
岸本佐知子さんのエッセイを。
電車の中では、読めません。

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八木田杏子 10年11月07日放送



近藤京子


 音痴な人なんて、いません。


ヴォイストレーナーの近藤京子はそう言って、
歌うことが苦手な人を変えてきた。


 あなた、それじゃあ、ただ上手いだけよ。


近藤京子はそう言って、
歌うことが得意な人を変えてきた。

音楽の授業では、音程をとる上手い下手で
成績がつけられていたけれど。

彼女は、音程よりも声量よりも、
気持ちが伝わることを大切にする。

想像力と身体のすべてをつかって、
歌に想いをのせるための
アドバイスはシンプルだ。


 話すように、歌いなさい。
 歌うように、話しなさい。






ハインリヒ・フォン・クライスト


ドイツ語による最も美しい散文と称された
クライストのエッセイ「マリオネット芝居について」。

その中で彼は、ある少年が
無垢な優美さを一瞬にして失う様を描いている。

少年が足を拭こうとして足代に足をのせた瞬間、
大きな鏡をチラと一瞥して、
自分の姿が彫刻のように美しいと意識する。

もう一度それを人に見せるために
ふたたび足台に足を上げると、
もはや違う動きになっていた。

こんなエピソードをもちいて
クライストは語る。


 意識が人間の自然な優美さに
 どんな混乱を惹き起こさせるかは心得ている。


魅力や長所は、意識した瞬間に、自惚れや気取りになる。

そのときに失うものはあまりにも大きい。





サトウハチロー

 
サトウハチローの「小さい秋見つけた」という詩には
子供の視点で発見した秋が描かれている。


 呼んでる口笛 もずの声
 
 お部屋は北向き くもりのガラス
 
 はぜの葉あかくて 入り日色


この歌を口ずさんでいた子供のころ、
秋はもっと手に取りやすいものだった。

落ち葉をふみしめながら、どんぐりを拾ったり
赤い紅葉を本にはさんだり。

もくもくしていた入道雲が、
薄くとけたような空をながめたり。

大人になって、
夏の締めくくりと冬の支度に気を取られていると、
秋はするりと逃げていく。

サトウハチローが50歳をこえてから作詞した
「ちいさい秋みつけた」は、
忙しい大人が
秋を見つけるための歌なのかもしれない。









島田紳助


「学ぶ」の語源は、「マネブ」。
「真似る」から派生したものだという説がある。

島田紳助がまだ駆け出しのころ。

彼は、過去の漫才をできる限り集めて、
面白いと思うものを2種類にわけた。

マネできるものと、マネできないもの。

面白いと思えて、
自分にもマネできそうな漫才だけを分析した。

なぜ、ウケるのか。
セリフが上手いのか、間の取り方がいいのか。

そこから紳助が創り上げた漫才は、
若い世代を虜にした。

大物芸人の最初の一歩は、
マネからはじまったのだ。





大平健


精神科医である大平健は、童話をつかって治療をおこなう。

心の病の原因や対処法を、
患者自身に気付いてもらうために、物語をつかうのだ。

たとえば、
老後のくらしが不安で眠れなくなった67歳の老婦人。
夫と老人ホームに入って、
新しい暮らしを始めるのが不安な彼女には、「ももたろう」。

子どものいないおじいさん、おばあさんが、
尋常ではない方法で子供を授かるこの物語。

年をとっていても希望はもてる、
老婦人がそう思えたとき、睡眠薬はいらなくなった。

不登校になった女子高生には、「ねむり姫」。

どんなに手を尽くして防ごうとしても
100年の眠りにおちてしまった眠り姫のように、
予想外の問題は誰にでも起こる。
それでも、最後には幸せになれる。

そう思えたとき、
不登校の女子高生と母親は快方にむかった。

先人の知恵がつまった童話を紐解くと、
絡まった心の紐のほどき方が
見えてくるのかもしれない。





アルフレッド・ノーベル


ノーベル賞は、ダイナマイトを実用化した
アルフレッド・ノーベルの遺言からはじまった。

という話は有名だが、
ノーベル賞に数学賞がない理由は、
あまり知られてはいない。

数学を重要な学問だと思っていなかった、
数学者が嫌いだったなど、諸説がある。

ノーベルの恋敵だった
ミッターク・レフラーが数学者だから、
という説もある。

想い叶わず生涯独身を通した彼は、
ノーベル賞が恋敵に贈られるのはたまらなかった。

だから数学賞が、存在しないのだ。

そう考えると、
ノーベル賞のいかめしさが消えて
親しみやすくなる。





村上隆


芸術に、評価基準なんてない。
そう思うのは、素人なのかもしれない。

村上隆は、美術界の歴史を読み解いて、
次の手を戦略的にうつ。

新しい、美しいだけでは、作品は売れない。
過去の評価基準の先にある新しい価値を
プレゼンテーションして、売るのだ。

彼は、こう語る。


 世界基準の文脈を理解するべきである。

 価値をうむのは、才能よりサブタイトル。


それが東京芸大の博士課程をおえたあと、
コンビニの賞味期限切れ弁当を食べて暮らしながら
作品をつくりつづけた村上の結論。

若いうちに奔放にのばした才能を、
戦略的にパッケージングしたから1億円で売れたのだ。





カラカウワ王


フラダンスは踊りながら、話している。

ひとつひとつの動きに意味があるフラダンスは、
まるで手話のよう。
踊りながらハワイの自然の美しさを称え、
恋人への想いを伝え
古い伝説も語り継いでいく。

今では癒しの象徴とされるこのダンスは、
アメリカ人の宣教師たちに
異教の踊りとして半世紀近くも禁止されていた。

フラダンスを復活させたのは、
外交に長けていたハワイ王国のカラカウワ王。

近ごろでは日本でも学ぶ人が多いフラダンス。
滅びなくて本当によかったと思う。


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11月6日の長崎新聞(ベベンコビッチ)




ベベンコビッチオーケストラの記事発見。
こちらに元記事があります。
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20101106/10.shtml

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佐藤延夫 10年11月06日放送



莫山先生と土

大正時代の最後に生まれた書家、榊莫山先生は
「土」という字を好んで書いた。

土の二つのヨコ棒は
地面と地中を表している。
そして一本のタテ棒は、
植物の種が芽を出してくる姿、だそうだ。

わたしの土は、地の豊饒。
五風十雨(ごふうじゅうう)に野も山も、青く染まれ、と祈りつつ

ある展覧会の図録にそう記していた。
「土」という字の中には壮大な宇宙の神秘が宿っている、という。

莫山先生のように
四十年も五十年もひとつの文字を書いた人でないと、
その意味は、きっとわからない。








莫山先生と女

莫山先生は「女」について考えた。

彫刻にせよ、絵画にせよ、写真にせよ、
芸術は、二千年も女の神秘を追いかけている。
それなのに、なんで書の世界で「女」をイメージしてあかんのや。

十数年が過ぎたころ、
莫山先生の書く「女」に命が宿り始めたという。
見る人は、ひとつの文字から、女の姿を想像することができた。

わたしの女は、生の豊饒。
ふくよかな女神の笑みに、露は光って

莫山先生は語る。
「女」は夢のオブジェだと。





莫山先生と墨

莫山先生は、墨の話をするのが好きだ。

書道に使われる墨は、
煤(すす)とニカワと香料でできている。

肝心な墨の色は、煤が決める。
かつて墨づくりの名人たちは、
菜種油や松脂(まつやに)からとれる煤に執着したそうだ。
莫山先生は語る。

墨は、生まれて二十年から六十年ぐらいが働きざかりである。
ちょうど人間と同じである。

時の流れとともに墨は老いていくが、
いったん紙にえがかれると
軽く千年は光を放ち続けるという。





莫山先生と良寛和尚

良寛さんの生き方は純粋だ。
その純粋さが書に宿っている、と莫山先生は言った。

良寛和尚の生きた時代。
江戸幕府の政治は頽廃を極め
役人たちは私利私欲を貪った。
良寛はそんな世俗に背を向け
ただひたすらに経をあげ
詩を書き、歌をつくった。

莫山先生は、良寛の詩を独自にこう解釈する。

心は水のようなもの 誰にもわかるはずがない
心に邪念がわいたなら 何も見えなくなるんだな
あれよこれよとこだわれば ほんとのことは遠ざかる
こだわり心に酔ううちは 救いもくそもあるものか

そういえば、32歳ですべての肩書を捨て
野に下った人がいる。

莫山先生が良寛和尚を好んだ理由。
それは権威を嫌うあなたの生き方にそっくりだったから、ではありませんか?





莫山先生と詩

書家、榊莫山先生は、
あるときから詩と書と絵がひとつになった作品を多く作った。

これは詩書画三絶(ししょがさんぜつ)と呼ばれるもので
古くは池大雅や与謝蕪村が名作を残している。

莫山先生の場合は、
教訓めいた言葉など書かない。
他愛のない言葉を、思いつくままに添える。

  山へ ヤブレタ夢ヲ 拾ヒニイッタ。
  夢ハドコニモ落チテヰナカッタ。
  ワタシハソット ソノ虹ヲポケットニ入レテ帰ッタ。
  虹ハツブレテヰナカッタ。

優しい言葉が置いてあるから、
見る人は難しい顔をしない。ただ、ほほ笑むだけ。
これでいい。





莫山先生と夢二

竹久夢二のファンだった莫山先生。
あるとき、夢二の詩が気になった。

煙草のけむりが きれてながれる これが別れか

それもそのはず、心臓の病をきっかけに、
一日100本吸っていた煙草をやめた。
莫山先生は、夢二の言葉を噛みしめて、こう嘆く。

ああ、あ。わたしの別れは煙草との別れ、やった。
だが、夢二の別れは、女との別れ。えらいちがいや。





莫山先生と筆


白いザンバラ髪がトレードマークの莫山先生。
今から30年近く前に、
ある名案を思い付いた。

これまで羊やイタチ、馬、タヌキ、牛など
あらゆる動物の毛の筆を試したが、
自分の髪で筆を作ったらどうだろうか。

白髪混じりの一握りをハサミでちょん切り、
馴染みの筆屋に送る。

「せんせ、このゴマシオの毛、いったいなんだんね」
「わしの頭の毛ぇや。筆になりまっしゃろ。二、三本。」

そんなやりとりがあり、しばらくして筆ができた。

アトリエに並ぶ数百本の筆の中で、
抜群に可愛いけど
ひとつも主人の言うことをきかないのが、
自分の頭髪でつくった筆だそうだ。

今年の9月、莫山先生は
その筆を手に、長い長い旅へお出かけになった。


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五島のはなし(121)

審査員の言葉。

 「歌よし、演奏よし、明るさよし、
  でもいちばんの決め手になったのは、
  審査員全員が五島に行きたくなったことです。」

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ベベンコビッチ準グランプリおめでとうございます

皆さま、お疲れさまでした。
おめでとうございます。

<グランプリ>
BAD SIGN(札幌)

<TOYOPET SESSION賞>
ベベンコビッチオーケストラ(長崎)

<ヤマハ賞>
ソラウオ(東京)

<ナイスミドル応援団賞>
Porto(秋田)羽川 毅郎様

ベベンコビッチオーケストラブログ:http://blog.goo.ne.jp/bebencobicci

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ベベンコビッチのユーストリーム

昨日は忙しい一日だった。
打ち合わせが終わってからベベンコビッチの五島物産展を
ちょいとのぞくつもりが身動きもできず
五島うどんも買えなかったし、五島の陶磁器を見ることもできなかった。

なにをやっていたかというと
Visionの執筆者に配るVisionのCDを焼いてCDジャケットをつくって
さらにTokyo Copywriters’ Streetの執筆者とナレーターに配るCDを焼いて
ジャケットをつくって
さらに、ここに掲載している原稿に貼付けるyoutubeの動画をつくって
アップして貼付けて…

と、まあこんな雑務なのだが
この雑務はきっちりやっておかないと本業の仕事に取りかかれない。
こんなことに追われて会社のメールも開かないまま
20時の約束に飛び出していって、終わったのが21時半。
途中電話をくれた人とそれから会って飯を食って
仕事はたいして忙しくもなく、手帳はそこそこ白いくせに
こんな気ぜわしい日があったりする。

そもそも昨日はハエタローのXデーのはずだった。
とっくにステロイドの持続期間は過ぎていて
日曜日から月曜にかけてかなり危険状態で
昨日は病院に連れて行かなくてはと思っていたのだが
朝になって奇跡的にご飯を食べはじめた。
小康状態というよりは極小康状態といえそうだけれど
ご飯を食べられるのならばステロイド注射は先に延ばした方がいい。
そんなわけでハエタローからもらった一日を雑務にあてて
ついでに五島物産展ものぞいてみようと欲張ったのだが
さすがに物産展はムリだった。

それにしてもベベンコビッチはどうしたかと
HPをのぞいてみたら
ライブをユーストリームで中継していたらしく
動画がアップされていたのでこちらに貼っておきます(玉子)


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