石橋涼子 10年12月19日放送



ヴィクトル・ユゴーの手紙

作家、ヴィクトル・ユゴーは、
恋人との間に、生涯で2万通にも及ぶ
手紙を交わしたというくらい筆マメだけれど、
一方で、世界一短い手紙を書いたことでも有名だ。

それは、「?(クエスチョンマーク)」が
一文字書かれただけの手紙。

「レ・ミゼラブル」の売れ行きを
出版社へ問い合わせる手紙だった。

返事は、「!(ビックリマーク)」が一文字だけ。

つまり、驚くほど売れてますよ、ということ。



野口英世の母の手紙

野口英世が研究のためにアメリカに渡ったとき、
読み書きのできない母が手紙を出せるように、
住所を刻印したスタンプをプレゼントした。

特に便りのないまま数年が経ったが、
ある日、一通の手紙が届いた。

息子の出世を喜ぶあいさつから始まる手紙は、
やがて、息子に一目会いたいという母の願いに変わる。


 はやくきてくだされ
 いつくるとおせてくだされ
 このへんじをまちておりまする
 ねてもねむられません

早く帰ってきてほしいという願いが
たどたどしいひらがなで綴られた手紙に
英世は激しい衝撃を受け、
忙しい研究の合間を縫って、すぐに帰国したという。

手紙は、文章の上手さではなく、
伝えたい気持ちの強さでしか、伝わらない。



斎藤茂吉の手紙

歌人として、精神科医として、
名を馳せた斎藤茂吉は、50歳を過ぎて恋をした。

相手は、アララギ派に参加したばかりの
若手歌人、永井ふさ子24歳。

茂吉は、この親子ほど歳が離れた恋人に夢中になり、
会えない時はひたすらラブレターを書いて過ごした。
それは、1年余りの交際期間で150通以上にのぼり、
一日に7通も書いた日もあった。

手紙で茂吉は、
ふさ子の写真がほしいと懇願し、
ふさ子の体をすばらしいと誉めたたえ、
愛の歌を惜しみなく詠み贈った。

人々の尊敬を集める歌人が書いたラブレターは、
恥ずかしいくらいウブで赤裸々で、
まるで初めて恋をした若者のようだった。

手紙の最後にはいつもこのような内容が書かれていた。


 読み終わったらただちに焼き捨ててほしい。
 そうすれば次々と心のありたけを申し上げられる。

妻子ある茂吉の立場を考えたふさ子は、
30通ほどを素直に焼いたが、
手紙が灰になった後の言いようのない寂しさから、
つい、残り100通余りを焼かずに手元に残してしまった。

それらの手紙が茂吉の死後に公表され、
物議をかもしたのは少し先の時代のこと。



サンタクロースへの手紙

もうすぐクリスマス。
この時期は、世界中の子どもたちが
サンタさんにせっせと手紙を書く季節でもある。

日本の子どもたちの手紙は、プレゼントのお願いだけでなく
「サンタさん」へのメッセージが多いという。

たとえばこれは、5歳の男の子の手紙。


 サンタさんへ
 ぼくはおとうさんとおかあさんと
 カレーライスのつぎに
 サンタさんがだいすきです

プレゼントのリクエストを書くのも
忘れてしまうくらい子どもに好かれるなんて、
さすがはサンタさんです。



プリニウスの手紙

あの人に手紙を書こう。
そう思っても、何を書いたらいいのかわからず
筆を置いてしまうことがある。

そんなときは、ローマ時代の文人、
プリニウス2世の言葉を思い出そう。
彼は、友人・知人・果ては皇帝までに書き送った
200通余りの手紙をまとめた書簡集の中で
こう語っている。


 汝は書くことがないという。
 ならば「書くことがない」ことを書け。

たしかに。
大切な人からの手紙は、
ポストに入っているだけでもう、立派なギフトなのだ。



一休さんの手紙

とんちで有名な一休和尚は、死の直前、
本当に困ったときに見るように、と
弟子たちに一通の手紙を残した。

やがて、今こそ一休和尚の知恵が必要だという事態になり、
弟子たちが手紙を開けると、そこにはこう書かれていた。


 大丈夫。心配するな。なんとかなる。

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