2012 年 のアーカイブ

五島のはなし(177)

五島列島、福江島。
ぼくがそこの出身だと言うと、たいていの人は、
島を一周するのに歩いて30分みたいな想像をするのだけど、実際はまあまあデカイです。
島の北側と南側では植生や景色がまあまあ違います。そのくらいのデカさ。

島の南側には、富江という町があります。
ここに只狩山(ただかりやま)というまあまあ小高い山があり、その中腹に展望所があります。
島の南側をぐるっと一望できる展望所で、最近はじめていったのですが、ここはおすすめです。
景色もいいけど、展望所の前にぶっさしてある立て札。
「苦と愛と真友達との出会い」

意味はよくわかりませんが好きです。
いっそもう五島のキャッチフレーズにしたらいいのに、とさえ思います。
「苦と愛と真友達との出会い・・・五島列島」
心がやすらぐ島、とか、ロマンあふれる島、とかウソっぽいじゃないですか。でもこのキャッチフレーズはリアルだ。
しかも、いろいろ想像してみるに、五島に来たらほんとに出会える気がします。
苦と愛と真友達に。
だからあなたもぜひ来てみませんか?
・・・なに?苦はいらない?そんな甘っちょろい気持ちじゃ、五島は楽しめないぞっ!

展望所からの眺めはこんな感じです。

富江町の観光案内です。
こんな感じです。

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藤本宗将 12年5月26日放送



ロベール・ウーダン 1

近代マジックの父と呼ばれる、ロベール・ウーダン。

彼はもともと腕のいい時計職人だった。
ウーダンのつくった機械仕掛けの人形は、
1844年のパリ産業博覧会で入賞も果たした。

産業革命の波が押し寄せた時代。
才能ある技術者には、
華々しい活躍が約束されていたはずだ。

しかしウーダンは、
40歳でマジシャンに転身する。

彼はきっと、こう思っていたのだろう。

「ただ、世の中をびっくりさせたかった。それだけさ」

そういえば、スティーブ・ジョブズも
iPadを「magical device」と呼んでいた。

テクノロジーは、いつだってマジックに憧れる。



ロベール・ウーダン 2

燕尾服にシルクハット。

マジシャンとしてはじめてこの服装を取り入れたのが、
近代マジックの父、ロベール・ウーダン。

彼はあやしげな衣装ではなく正装に身を包み、
舞台の照明を明るくして
それまでの黒魔術的なイメージを払拭した。

マジックを、純粋なエンターテイメントへと進化させたのだ。

この革新的なスタイルはたちまち世界中に広がり、
今まではマジシャンの代名詞となった。

ウーダンは、こんな言葉を残した。

「マジシャンは、魔法使いの役を演じる役者である」

役者としてのウーダンはもういないが、
彼の演出はいまも生き続けている。



ロベール・ウーダン 3

近代マジックを確立したロベール・ウーダン。

もともと時計職人だったウーダンは、
その経歴を活かしたトリックを得意としていた。

たとえば、「パレ・ロワイヤルの菓子職人」というマジック。

人形に向かって注文をすると
いったん店の中に入り、
そのお菓子を取って戻ってくる。

19世紀の人々はその精巧な動きに驚いただろうが、
カラクリはきわめて単純。
ウーダンの息子が、中に隠れて操作していたのだ。

高名な技術者でもあるウーダンが、
まさかそんな子供だましをするとは誰も思わない。

トリックは、いつも観客の心の中に仕掛けられている。



チャン・リン・スー

マジックの歴史上最も有名な死亡事故は、
1918年3月23日、ロンドンで起こった。

犠牲となったマジシャンの名は、チャン・リン・スー。

きらびやかな中国服に、長く垂らした弁髪。派手なメイク。
彼の異国情緒あふれるショーは、その日も盛況だった。

しかし悲劇は突然訪れる。
弾丸を受け止めるマジックで、銃が暴発。
銃声とともに倒れるスー。
事情を知らない観客は拍手喝采。
それがそのまま、彼の人生の幕引きになった。

だが、本当の結末はそのあとに待っていた。
運び込まれた病院で、スーが白人であることが発覚したのだ。

本名はウィリアム・ロビンソン。
いつも通訳をそばに置き、
中国人として生活していた彼のことを
誰も白人とは思わなかった。

彼の中にあったのは、
人生をかけて騙そうという覚悟だったのか。
それとも、
自分なら騙し通せるという自信だったのか。



ハリー・フーディーニ 1

死後80年以上たった今もなお
アメリカで最も有名なマジシャンと言われる
ハリー・フーディーニ。

彼が活躍した時代には、
まだスピリチュアリズムが信じられていた。

あるときフーディーニは
亡くなった母親と話したいと願い、
霊媒師のもとを訪ね歩いた。

しかし、どの霊媒師もインチキばかり。

裏切られた彼の思いは、怒りに変わる。
マジシャンとしての鋭い観察眼で
霊媒師たちのトリックをあばき、
生涯をかけて彼らを否定し続けた。

ところが死の直前、
フーディーニが妻に言い残したのは
意外にもこんな言葉だった。

「死後の世界があったなら、必ず連絡するよ」



ハリー・フーディーニ 2

数々の脱出マジックで名を馳せた、
ハリー・フーディーニ。

「脱出王」と呼ばれた天才マジシャンにも、
逃れられない運命がある。

彼の死は、1926年10月31日のこと。

フーディーニは不死身だと信じた客に
不意打ちで腹を殴られ、
急性虫垂炎を起こしたのだ。

葬儀の日、参列者のひとりはこう言った。

「賭けてもいいが、彼はこの棺の中にもういない」

マジックは、人を信じる力でできている。



ジャスパー・マスケリン

第二次世界大戦中、ひとりの男がイギリス軍に志願した。
自分の持つ技術によって、ドイツ軍を打倒できると信じて。

男はジャスパー・マスケリン。職業、マジシャン。

西アフリカ戦線に配属されたマスケリンは、
マジックを応用したカモフラージュの専門部隊を組織する。
集められたのは画家、大工、電気技師など14名。
通称「マジックギャング」。

戦争は、騙し合いだ。

マスケリンたちは
偽の戦車部隊を自在に出現させ、敵を撹乱した。
偽の建物や灯台で港をつくり、
敵の爆撃機を惑わせたこともあった。

彼らのマジックは、ドイツ軍を翻弄し続けた。

しかし終戦となったのちも、
その功績が公式に認められることはなかった。
マスケリンは酒に溺れ、失意のうちに死んだという。

戦争は、騙し合いだ。
プロのマジシャンさえ欺かれるほどの。

そこには勝者など、いなかった。

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茂木彩海 12年5月20日放送


B.B
植物のはなし カレル・チャペック

4月に生まれた私の母は、50歳の誕生日を迎えたその日に、
突然ガーデニングに目覚めた。

真っ白な植木鉢に
真っ黒な腐葉土。
そこにお気に入りのピンクの花の苗を
大事そうに植えるその姿を見て、
ああ、そろそろ春だな、と娘は思う。

趣味が園芸だった劇作家、カレル・チャペックに言わせると、
4月はこれこそ本格的な、恵まれた園芸家の月」であり、
とにかく、自身でふかふかした土を指でほじくってみるといい」らしい。

母はきっと、その魅力を知ってしまったのだろう。


jiroh
植物のはなし 塚本こなみ

はじめて診察したのは、700歳の松の木だった。

日本ではじめて、木のお医者さんになった女性。塚本こなみ。

造園家の夫を支えるかたわらで、
男性が多い現場を不思議に思い、
女性の目で植物と向き合うべく15日間の長い試験の末に、
樹木医となった。

そんな塚本は、
人間が植物を守ろうとか、おこがましいことを言わないでほしい
と、語る。

自然を守ろう。その言葉が使われれば使われるほど、
私たちは木に守られている、という事実が薄れていく。

もの言わぬ樹木が相手だからこそ、その無言の声を受け止める。
その言葉のない会話こそが、樹木医の原点なのかもしれない。

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小野麻利江 12年5月20日放送


Jude Doyland
植物のはなし 狐野扶実子 春のニンジンのスープ

切れない包丁で皮をむしりとったように切っては、
ニンジンが、かわいそう。

出張料理人として世界の要人たちをうならせ、
<フォション>のエグゼクティブシェフを
つとめたこともある料理人・狐野扶実子。

人間にとって心地のいい料理をつくるためには、
食材も心地よくいられるよう
やさしく扱わなくてはいけない。
それが彼女の、料理のやり方。

少しだけミルクの香りがする、春の赤ちゃんニンジン。
その皮をそっとむいて、
玉ねぎの薄切りといっしょに、大切に大切に、火を通す。
沸騰させると味が抜けてしまうから、
その直前くらいの、火加減で。

ニンジンがやわらかくなったら、
バターを加えて、煮汁ごとミキサーへ。

仕上げとしてスープの上に、
バニラの香りをうつしたオリーブオイルを、たらり。

彼女がつくる春のニンジンのスープは、
食べる人間と、食べられるニンジンのことが
同じくらい大切に、想われている。


うちのポチ
植物のはなし 高橋順子 よもぎの葉をつむ時間

よもぎの葉の裏は白い

詩人の高橋順子は子どものころ、
よもぎの葉をつみにいくたびに
くりかえしくりかえし、祖母にそう言われた。

よもぎの葉の裏は白い

そう教えてくれた祖母も、今はもう亡く。
子どもの時間が二度とこないことを
高橋は、ひとりの野原で感じとり、こううたう。

もう間違えることができない
よもぎの葉は白い裏

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熊埜御堂由香 12年5月20日放送


さんたす
植物の話 大江健三郎の生まれた森

なぜ学校に行かなければならないのだろう。
そう思い、10歳の少年は学校の裏門を抜け森へ入って
毎日を過ごしていた。

ノーベル賞作家大江健三郎は愛媛県の森林の村で生まれた。
大江が不登校になった年。日本は戦争に負けた。
世の矛盾を敏感な少年は感じていた。
森の中で樹木の性質を学べばひとりで生きていける。
林業を営む父の姿をみてそう考えた。

しかしある日、
森で強い雨に打たれ生死の境をさ迷う。
僕はもう死ぬの?うなされ尋ねると
母親がこう答えた。
私がもういちど産んであげるから、大丈夫。

わけがわからないと思いながらも
静かな心になった少年はこんこんと眠り
回復したら自然と学校に通いはじめた。

それ以来こう思うようになった。
今生きている自分は母にもういちど産んでもらった
新しい子供なのではないか?

少年は森で、もういちど生まれた。
そして森をでて社会の中で生きはじめたのだ。

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石橋涼子 12年5月20日放送



植物のはなし 牧野富太郎の情熱

最終学歴、小学校中退。
独学で研究を続け、
植物学の父と呼ばれるまでになった牧野富太郎。

東京帝国大学の講師になっても、
理学博士号を授かっても、
野山をかけずり回って標本採集をするのが趣味だった。

どんなに貧しくても、珍しい植物を求めては旅に出た。
借金取りが押しかけて来ても、平然と植物の標本をつくっていた。

95歳で亡くなるまで少年でありつづけた植物博士の残した言葉。

草をしとねに 木の根をまくら 花に恋して90年



植物のはなし 牧野富太郎の感謝

植物博士、牧野富太郎の名付けは明快だ。
どこにでも生える図太い植物だから、ワルナスビ。
むじなの尻尾に似ているから、ムジナモ。
わかりやすさこそが、学問に必要なこと。

ただ一度だけ、例外がある。
貧しい生活を支え続けてくれた妻が亡くなったとき、
発見した笹にこの名を付けずにはいられなかった。
命名、スエコザサ。

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薄景子 12年5月20日放送


Jaanus Kalju
植物のはなし 斉藤吉一

花に逆らわず、花に従わず、花のするように生きる。

庭師であり、作家である
斉藤吉一(よしかず)はそう語る。

植物も生きているのだから、思いどおりには育たない。
だからこそ、肩の力を抜いてガーデニングを楽しもう。
そんなメッセージをこめた著書、
「ものぐさガーデニングのススメ」は、
園芸書を超えた“人生の書”としてベストセラーになる。

しかし出版後、書いた本人が、
肩の力の抜き方がわからなくなってしまう。
自分自身を見失い、やがて廃業寸前に。
歳月をかけて立ち直った庭師は、
木について、こう語る。

今ある姿が、その木らしさ。
経験と傷こそが個性です。

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蛭田瑞穂 12年5月19日放送

 
チャンピオンズリーグFINAL①トニー・ブリテン

ヨーロッパチャンピオンズリーグでは試合前に
「チャンピオンズリーグ・アンセム」を流すことが習わしになっている。

スタジアムにアンセムが流れると、それは決戦が始まる合図。
古代ローマのコロッセオに戦士が入場するように、
勇壮な選手たちがピッチにあらわれる。

このアンセムを作曲したのはイギリスの作曲家トニー・ブリテン。
ヘンデルが作曲した「司祭ザドク」のメロディをベースに、
曲をアレンジし、歌詞をつけた。

今シーズンのチャンピオンズリーグの決勝は
ドイツのミュンヘンで今日5月19日に行なわれる。
舞台となるアリアンツアレーナに間もなくアンセムが響き渡る。


papemix
チャンピオンズリーグFINAL②ユルグ・シュタデルマン

ヨーロッパチャンピオンズリーグの優勝トロフィーは、
2つの取っ手が大きな耳のように見えることから
「ビッグイヤー」と呼ばれる。

このトロフィーをデザインしたのは
スイスの職人ユルグ・シュタデルマン。
ヨーロッパ各国の好みを考慮し、この形に仕上げたという。

彼は語る。

 芸術的な傑作とは言えないかもしれない。
 でもヨーロッパのすべてのサッカー選手が
 手にしたいと思うのは確かだと思います。

2012年のチャンピオンズリーグの決勝は今日5月19日、
ドイツのミュンヘンで行なわれる。ビッグイヤーを掲げるのは、
バイエルン・ミュンヘンか、チェルシーか。


Jan S0L0
チャンピオンズリーグFINAL③クラレンス・セードルフ

プロサッカー選手にとって、
ヨーロッパチャンピオンズリーグの優勝トロフィーを掲げることは
一生に一度叶えたいと願う、大きな夢。

その夢を4度も叶えてしまった選手がいる。
現在ACミランに所属するオランダ人ミッドフィールダー、
クラレンス・セードルフである。

95年にオランダの名門アヤックスで。
98年にレアル・マドリードで。
2003年と2007年にACミランで。

チャンピオンズリーグの優勝を複数経験した選手は他にもいる。
だが3つの異なるクラブで、というのは史上ただ一人、
セードルフだけである。


prettyfriendship
チャンピオンズリーグFINAL④リオネル・メッシ

FCバルセロナに所属するリオネル・メッシは10歳の時、
医師から成長ホルモンの異常による発育不全と診断された。

高額な治療費が足かせとなり、複数のユースチームが獲得を見送る中、
FCバルセロナだけはメッシの将来性を見抜いた。
治療費を全額負担することを約束し、彼をチームに加えた。

その後の治療とトレーニングにより
身長もサッカーの技術も着実に成長したメッシ。

メッシは今シーズン、ヨーロッパチャンピオンズリーグで
ふたつの記録を打ち立てた。ひとつは史上初の1試合5ゴールという記録。
もうひとつは1シーズンの最多得点記録。

メッシは言う。

 まわりより小さかったからこそ、
 すばやく動けてサッカーがうまくなれた。
 最悪な状態でも良い方向に変えられるってことを
 僕は学んだんだ。


さんたす
チャンピオンズリーグFINAL⑤アリゴ・サッキ

1980年代に「ゾーンプレス」という戦術を編み出し、
サッカーに革命を起こしたイタリア人監督アリゴ・サッキ。

1989年と1990年にはACミランを率いて
ヨーロッパチャンピオンズリーグの連覇を達成した。

理論家として知られ、サッカーを熟知するサッキだが、
意外なことにプロサッカー選手としての経歴はない。

独学でサッカー理論を学び、少年サッカーのコーチから
キャリアをスタートさせ、やがて世界の頂点まで登り詰めた。

その経歴についてサッキは自らこう語る。

 優れた騎手になるために、馬に生まれる必要はないのです。


choudoudou
チャンピオンズリーグFINAL⑥ジネディーヌ・ジダン

ペレは言う。

 もしジダンがチームメイトにいたら、
 わたしは2倍の得点を叩き出したかもしれない。

ミシェル・プラティニは言う。

  サッカーの技術に関してはジダンが王様。誰も真似できない。

ジネディーヌ・ジダン。
多くの名選手が口をそろえて史上最高の選手と呼ぶ、
現代サッカーのマエストロ。

2002年のヨーロッパチャンピオンズリーグ決勝で、
ジダンの決めたボレーシュートは
チャンピオンズリーグ史上もっとも美しいゴールとも言われる。


Okko Pyykkö
チャンピオンズリーグFINAL⑦アレックス・ファーガソン

1999年5月、バルセロナのカンプ・ノウスタジアムで行なわれた
ヨーロッパチャンピオンズリーグの決勝、
マンチェスター・ユナイテッド対バイエルン・ミュンヘン戦。

試合はバイエルン1点リードのまま90分が経過した。
疲労の見える主力をベンチに下げ、勝利を手中に収めつつあるバイエルン。
しかし、ここからドラマが始まる。

ロスタイムに、デビッド・ベッカムのコーナーキックから
マンチェスターが立てつづけに2ゴールを決め、まさかの逆転劇を起こす。

「カンプ・ノウの奇跡」と呼ばれるこの勝利によって、
チャンピオンズリーグを制したマンチェスター・ユナイテッドは、
国内リーグ戦とカップ戦と合わせて三冠を達成した。

この功績により、監督のアレックス・ファーガソンには
エリザベス女王からサーの称号が贈られた。


Jaanus Kalju
チャンピオンズリーグFINAL⑧マルコ・バロッタ

スポーツ選手にとっての最大の敵。それは年齢である。
この難敵と闘って勝った選手は誰ひとりいない。

その意味でヨーロッパチャンピオンズリーグ史上最強の選手は
イタリア人ゴールキーパーのマルコ・バロッタともいえる。

彼が2007年に記録した43歳と168日での出場は
チャンピオンズリーグにおける最年長出場記録。

キャリアの晩年、現役を長く続ける秘訣として彼はこう語っている。

 若い頃は成長するために努力しろと言われた。
 年齢を重ねた今は歳なんだからもっと努力しろと言われるよ。

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三島邦彦 12年5月13日放送


miyappp
カクテル・ストーリーズ/今 日出海(こん ひでみ)

作家でフランス文学者の
今日出海(こん ひでみ)が
考案したカクテルがある。

その名は、「東京のたそがれ」。

音と光り、人と自動車、
甘さと辛さ、歓楽とほのかな哀愁
そういった東京の横顔を、
ジンの鋭さやベルモットのやわらかさで表現したかった。

カクテルは、想像力を刺激する。
カクテル・ストーリーズ#1
「東京のたそがれ」

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三國菜恵 12年5月13日放送



カクテル・ストーリーズ/フランシス・ニーガス大佐

1720年代、イギリス。
とフランシス・ニーガスいう陸軍大佐がいた。

ある寒い夜、
彼の邸宅に同僚たちが集まり、
いつになく白熱した政策論争をくりひろげた。

しかし、議論はなかなか結論に達せず、
ヒートアップしていくばかり。

そこで、ニーガス大佐は
彼らにこんなものをふるまった。
甘みの強いポートワインを
熱湯で割ってつくった、ホット・カクテル。

からだが温まれば、頭のホットさは収まるだろう

彼の作戦は、見事成功。
のちにこのカクテルは
クールな彼に同じ「ニーガス」と名付けられる。

カクテル・ストーリーズ#2
「ニーガス」

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