2013 年 8 月 のアーカイブ

三島邦彦 13年8月24日放送



カムバック! 長谷川四郎

満州鉄道に勤め、軍人となり、
やがて捕虜となった後、帰国して作家になった。
名前は、長谷川四郎。

ソ連軍の捕虜として、
5年にわたるシベリア抑留から帰ってきた長谷川は、
大陸での体験をもとに小説を書いた。

代表作、「シベリア物語」、「鶴」。
大陸の風物を冷静な観察眼で描いた作品には、
それまでの日本文学の誰にも似ていない新鮮さがあった。

40歳を過ぎてのデビュー。
遅れてきた新人作家としての意気込みを聞かれた長谷川は、
こう答えている。

 かえりみるに、むかしからぼくは、残念ながら、
 自分のなりたかったものになったためしがないのだ。
 こんどだってあやしいものだ。
 かまわない。サイコロをふってみよう。ない目は出ないにきまっている。

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中村直史 13年8月24日放送


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カムバック! 大塚晶則

2006年第一回
ワールドベースボールクラシック。
優勝の瞬間、マウンドに立っていた大塚晶則。

数々の栄光に輝いた右腕は、
その後五度に渡る手術を繰り返し、
一時は、右投げをあきらめ、
左投げに挑戦さえした。

今年41歳。最後の実戦から6年が経った。
往生際の悪い男は、いま、
日本の独立リーグで復活を果たそうとしている。

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中村直史 13年8月24日放送



カムバック! マーティン・コナー

第二次世界大戦の日本兵の遺品を、
遺族のもとに返還する。
終戦から68年たったいまも、
そんな活動を続ける人がいる。
元アメリカ軍兵士、マーティン・コナー。

活動の支えになっているのは、これまでに受けた
遺族からの感謝の言葉。

 遺品が見つかる限り、活動をやめるわけにはいかない。

87歳のマーティンさんはそう言っている。

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中村直史 13年8月24日放送



カムバック! 山口仙二

2013年7月6日。
山口仙二さんが亡くなった。
享年82歳。

1945年8月9日、長崎で被爆。
重度のやけど、放射線による病気、
さらに差別といった苦難を乗り越え、
生涯を、反戦・反核運動に捧げた。

1955年、国連でのスピーチ。
被爆者を代表し演説した山口さんはこんな言葉で締めくくった。

 ノーモア・ヒロシマ!ノーモア・ナガサキ!
 ノーモア・ウォー!ノーモア・ヒバクシャ!

それは、時代を超えてこだましつづける叫びとなった。

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薄景子 13年8月18日放送


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山のはなし エドモンド・ヒラリー

ニュージーランドの5ドル紙幣の肖像でもある、
登山家、エドモンド・ヒラリー。

人類初のエベレスト登頂を成し遂げた英雄は
かつては虚弱児で、内向的な子どもだったという。

そんなヒラリーを変えたのが養蜂業の仕事だった。
蜂の巣箱を運ぶという作業の中で
足腰と心肺機能を鍛え、
登山家にふさわしい心身を作りあげたのだ。

ヒラリーは言う。

 克服するのは山ではない。私たち自身である。

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薄景子 13年8月18日放送



山のはなし 松岡修造

日本一ポジティブで熱い男、松岡修造。

その情熱の本質は
自分の弱さにある、と彼はいう。
だからこそ自身を鼓舞しようと
熱い言葉を叫び続けてきた。

彼の発するポジティブなメッセージは
情熱を失いかけた日本中の人々への
熱いエールとなっていく。

 いちばんになるって言っただろ。
 富士山のように日本一になるって言っただろ。
 今日からお前は富士山だ。

ここぞという時、彼の言葉を思い出せば、
笑っちゃうほど熱いパワーが
体中からこみあげる。

あなたも今日から、
富士山になってみませんか。

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石橋涼子 13年8月18日放送



山のはなし 山本周五郎の歩く道

運は、運命だろうか。
ちがう。
運は、自分の手で呼びよせるものだ。

そう信じてひたすら努力を続けた男がいる。
作家・山本周五郎。

彼は23歳で文壇デビューを果たすが、
評価は思ったほど得られなかった。
学歴もない、師匠もいない、派閥にも属さない。
しかし、彼は書くことを選んだ。
もがき苦しみながら、ひとり、ひたすら書き続け、
自らの努力で作家・山本周五郎という存在に登り詰めた。

「ながい坂」という小説の中に
こんな一節がある。

 一足跳びに山の頂点へあがるのも、
 一歩、一歩としっかり登ってゆくのも、
 結局は同じこと。

 むしろ、一歩ずつ登るほうが
 途中の草木や風物を見ることができるし、
 一歩一歩を確かめてきたという
 自信をつかむことができる。

努力。
それは泥臭くて、カッコ悪くて、
素晴らしい人生の喜びなのかもしれない。

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石橋涼子 13年8月18日放送



山のはなし 平櫛田中の人生観

人生は山登りに例えられることがよくある。
楽しむコツは、頂上ばかり見ないで
いま歩いている場所を大事にすること。

彫刻家の平櫛田中(ひらくしでんちゅう)は
100歳の誕生日を前に
今後30年分の彫刻の材料を買い求めたという。

 六十・七十は鼻たれ小僧。
 男盛りは百から、百から。

そう語る彼は、
今という場所の輝きを知っている人だ。

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熊埜御堂由香 13年8月18日放送



山のはなし 金時娘のいる山

箱根にそびえる標高1213メートルの金時山。
その頂上にある金時茶屋には看板娘がいる。
今年80歳になる小宮山妙子さんだ。

妙子さんの父は、北アルプスの白馬岳に、
180キロの巨石をかつぎあげたことで知られる力持ち。
親子ふたり金時山で茶屋を営みながら暮らしてきた。
しかし18歳で父をなくし、
妙子さんはひとりで山に残る決意をする。
気がつけば、その明るい人柄で金時娘として、
登山客に親しまれるようになっていた。

ある日、妙子さんの名声を妬んで、
脱獄犯がナイフを片手に
押し入ってきたことがあった。
自衛のため習得した柔道で、相手を気絶させたが
心は恐怖で震えていた。

けれど、彼女は山小屋の切り盛りを続けた。
わけを尋ねると、
彼女はくしゃくしゃの笑顔で答えた。

 だって、みんなが
 喜んでくれるもん。

登山家のアイドル、金時娘は、
今日も山頂であたたかなうどんを仕込みながら
人々を待っている。

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茂木彩海 13年8月18日放送



山のはなし 梅原龍三郎

日本美術界の重鎮。梅原龍三郎。

彼が描いた富士山を見ると、
ただならぬ存在感に思わず後ずさりしそうになる。

紫の山肌、緑の空、赤い雲。
そこには愛が無ければ描けない、山の頑固さと豪快さが描かれている。

そんな彼が富士山を描く時につぶやいた言葉。

 富士はでっかいからはね返されるが、いつかねじ伏せてやる。

キャンバスに描かれているのは絵ではない。
言葉にならない、梅原と富士山との愛ある戦いなのだ。

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