2013 年 11 月 17 日 のアーカイブ

薄景子 13年11月17日放送


Chickens in the Trees
アーティストの話 棟方志功

 愛してもアイシキレナイ

そう言いきるほど
板画を愛した世界的巨匠、棟方志功。
彼は一生の朝の数を

 三万六千五百朝

と表現した。
1年365日、100歳まで生きても
朝は3万6500回だけ。
だから、ひと朝だってムダにしない。
そんな棟方の板画家魂がこめられた言葉だ。

1日が生まれる朝は、
新しい何かが生まれる瞬間でもある。
うかうかしてはいられない。

topへ

薄景子 13年11月17日放送



アーティストの話 淡谷のり子

20世紀を駆け抜けた
ブルース界のアーティスト、淡谷のり子。
戦時下で多くの慰問活動を行っていた淡谷の楽屋に、
ある時、若い兵士たちが来てこう言った。

自分たちは特攻隊員だから、
歌の途中で出ていくこともある、
その無礼を前もっておわびに来たのだと。

淡谷が一番を歌い終わると同時に、
その兵士たちはいっせいに立ち上がり、
舞台に向って敬礼をして出て行った。

もう帰ってこないかもしれない。
彼女は涙で、歌えなくなった。

 歌手は舞台で泣くものではありません。

淡谷のり子の信条が破られたのは、
生涯でこの一度だけ。

topへ

茂木彩海 13年11月17日放送


quicheisinsane
アーティストの話 アニエス・ヴェルダ

フランス初の女性映画監督として知られる
アニエス・ヴェルダ。85歳。

ベルギーで幼少時代を過ごし、
第二次世界大戦に逃れて家族でフランスに渡った。

写真家として活動したのち、26歳で映画をつくり、
さらに2003年からはコンテンポラリーアーティストとしても活躍。

80歳半ばにして、3つ目の人生を歩みはじめた。

自分にしか撮れない写真を撮った。
監督した映画が話題になった。
新しい作風にチャレンジした。

誰が聞いてもアーティストらしい人生を送っている彼女だが、
自分の作品をアートと呼ばれるのは、あまり好きではないようだ。

 私は自分の作品を見てもらうのは嬉しいけれど、
 “芸術作品”なんて強制するのは大嫌い。
 重すぎるわ。ケーキに乗るさくらんぼのようなものよ。

無くても大丈夫だけれど、あったらもっと嬉しいもの。

自分の作品をそんな風に気楽に感じられたとき
アーティストはもっと自由になれるのかもしれない。

topへ

茂木彩海 13年11月17日放送



アーティストの話 紫舟

社会人3年目で、夢を追いかけることを決意した
書道家、紫舟。

筆を運んだ痕跡をそのまま鉄のオブジェにしてみたり、
3Dのデジタル処理をしてみたり。
書道家として新しい試みをし続ける彼女には、ある夢がある。

 100年後に見ても新しいと感じさせる何かを持った書を書きたい。

アーティストとしての決意を込め、今日も筆を運んでいる。

topへ

小野麻利江 13年11月17日放送


Père Ubu
アーティストの話 ヤン・シュヴァンクマイエル

チェコのアニメーション作家、ヤン・シュヴァンクマイエル。
彼の創作の歴史は、色々なものへの、抵抗の歴史とも言える。

社会主義、全体主義、画一的な商業中心主義。
皆が一様に、思想そしてそれを体現した芸術に
侵食されていくことを嫌い、徹底的に抵抗する。

映像の中に登場する食べ物を、不味そうに描いたり。
動く肉片など、フェティシズムを全開にしたモチーフを多用したり。
人間の運命や行動が、何ものかに「不正操作」されている。
彼みずからが抱く、そんな強迫観念を投射した作品も、数多い。

アニメーションにとどまらず、
コラージュ、オブジェ、ドローイングなど
79歳になる現在も、作品を残し続けているシュヴァンクマイエル。
自らの肩書きを書くときに、彼は「アーティストと書く」と言う。

アーティストとしての、彼のプライド。
それは、こんな発言からも伝わってくる。

 世界を変えようとする気がないクリエイターは辞めたほうがいい。

topへ

小野麻利江 13年11月17日放送



カメラの裏には ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ

「一番美しい絵」とは、どんな絵だろう。
そんな問いに、ゴッホはこう答えたという。

 一番美しい絵は、
 寝床のなかでパイプをくゆらしながら夢見て、
 決して実現しない絵だ。

わずか10年あまりの芸術家人生。
理想の絵を夢みながら、
ゴッホは時代を駆け抜けた。

topへ

熊埜御堂由香 13年11月17日放送


godamariko
アーティストの話 川上弘美

作家、川上弘美。
普通の生活の中にある不思議を
きりとった小説を多く書いてきた。

大学の時に少し書いていたが
職業として小説を書きはじめたのは36歳の時。
それまで専業主婦をしていた。

ある日、朝からしゃべった言葉を思い返したら
スーパーのレジで「どうも」といった一言だけだった。
そのとき、また何か書いてみようかな、と思った。
けれど、書けない。
そのあと10年ほど書いては棄て、
書いては棄てを繰り返してきた。

では、なぜ書けるようになったか、
そう聞かれて彼女はこう答えた。

生活をしたからだと思う。

そう、どんな芸術も、
生きていくことからしか
生まれない。

topへ


login