2013 年 11 月 24 日 のアーカイブ

奥村広乃 13年11月23日放送



OLという言葉

モダンガールに、サラリーガール。
ゴルフ場で働けば、ゴルフガール。
ガソリンスタンドなら、ガソリンガール。
大正から昭和にかけて、
働く女性は「ガール」と呼ばれていた。

OLという言葉がこの世に登場したのは、
東京オリンピックの前年、1963年11月25日。

当時、働く女性はBG‐ビジネスガールと呼ばれていた。
これは和製英語で、直訳すると商売女となってしまう。
このままでは、オリンピックで訪れる欧米人の誤解を招く。
そこで、櫻井秀勲(さくらい ひでのり)が編集長を勤める婦人画報で
新しい呼び方が募集された。

そこから選ばれたのが、
オフィスレディ―、OLだった。

OLという言葉が登場して半世紀。
働く女性たちの姿は大きく変化している。
次の東京オリンピックが開催される頃、
彼女たちはなんと呼ばれているのだろう。

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松岡 康 13年11月24日放送


darrenleno
OLからの転身

明日、11月25日はOLの日。

かつて、『月曜日はOLが街から消える』
とまで言われたドラマがあった。

1996年にオンエアされた「ロングバケーション」。
婚約破棄された落ち目のモデルと、
自分の才能に自信が持てないピアニストの物語だ。

脚本をかいたのは北川悦吏子。
彼女自身、もともとは広告代理店に勤めるOLだった。
雑用ばかりの日々に嫌気が差し、
心機一転脚本家を志したという。

ドラマから16年たって、
久しぶりにロングバケーションを見た彼女はこう語った。

古いよ、ちゃんと。
1996年の気分をたっぷりしょってます!
それが、いいと思う

彼女が描く女性は、時代の空気をまとっている。
古くなっていることが、それを証明していた。

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澁江俊一 13年11月24日放送



ふつうのOL

明日はOLの日。
1963年に初めて「OL」という言葉が
週刊誌『女性自身』11月25日号に載ったから。

日本の主婦を描き続けた漫画が
サザエさんなら
日本のOLを描き続けた漫画は
OL進化論だ。

1989年から連載が続く
長寿作品で、作者は秋月りす。
それまで男性が多かった
4コマ漫画界での
女性作家のはしりでもある。

移り変わる時代を捉える
鋭い切り口がありながら
読んでいる人を少しも傷つけない。
リアルで、共感できる
ふつうのOLたちの日常が
ほのぼのと描かれるこの作品。
手塚治虫文化賞も受賞している名作だ。

秋月は語る。
ふつうと、平均的は、違う。

そう、平均的な人間なんて、
どこにもいないのだ。
OL経験のない自分の
ふつうの感覚を信じて
秋月はこれからもOLを描き続ける。

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松岡 康 13年11月24日放送



OLって変わらない?

明日、11月25日はOLの日。

仕事に。趣味に。恋に。悩み多き彼女たち。
そんなOLたちの複雑な悩みを
いち早くとらえていた評論家、石垣綾子。

マリリン・モンローが来日した1954年。
彼女は文藝春秋に「職業婦人と婚期」
というエッセイを寄せた。

 男なら誰でもより好みしない、というなら、
 結婚もたやすいだろうが、働く近代女性ともなれば、
 注文も難しくなるから、おいそれと、理想の夫はみつからない。

石垣がエッセイを書いてから60年。
職場の環境も大きく変わった。
しかし働く女の悩みの種は、
60年経っても、変わっていないのかもしれない。

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澁江俊一 13年11月24日放送



悪魔のOL

半世紀前のロンドンに
ファッションが誰より好きな
アナという少女がいた。

保守的な名門高校に、
制服のスカートを超ミニにして
通い続けたあげく、校長に激怒され中退。
アナは勉強に、まったく興味を持てなかった。

流行の服を身にまとい、
夜遊びを繰り返すアナには
大好きな服を仕事にしたいという夢があった。

大人になったアナは、
ファッション誌の編集の道へ。
たちまちのし上がり、保守的な雑誌だった
「ヴォーグ」の編集長として斬新な改革をおこない
最先端のトレンド雑誌に変身させた。
1600億ドルのファッション業界を
ひとりで動かしているとも言われている。

誰に嫌われようが、愛されようが
ファッションのために激務をこなす。
好きでもないことを仕事にするなど
彼女には考えられないのだろう。

2008年、アナ・ウィンターに
大英帝国勲章が授与された。
OLたちに大ヒットした映画「プラダを着た悪魔」の
モデルと言われているのも彼女である。

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礒部建多 13年11月24日放送


mrhayata
OLを描く 中園ミホ

「やまとなでしこ」や「スタアの恋」。
脚本家、中園ミホの作品は次々ヒットを飛ばす。

中園のこだわりは、
時代と共に移り変わる、
働く女性像の描き方だ。
彼女たちをリアルに表現するためなら
努力は厭わない。

「取材の中園ミホ」と呼ばれるほど、
自分の足を使って、徹底的に取材を行う。
「ハケンの品格」を書く際には
何人もの女性派遣社員に会いに行った。

取材を受けてくれた人の
生の声を届けなければ。

中園はセリフを書くことで、
働く女性たちの声にならない声を
代弁している。

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奥村広乃 13年11月24日放送



OLの恋

1929年、昭和4年のヒット曲。
西條八十作詞の『東京行進曲』にこんな一節がある。

恋の丸ビル あの窓あたり
泣いて文(ふみ)かく 人もある

当時の丸ビルは、地下一階、地上八階建て。
その大きさや、モダンな外観から「東洋一のビル」と称された。

働く女性が、モダンガールと呼ばれ、
ひざ下スカートにショートカットのファッションで
生き生きと活躍し始めた時代。

職場で出会い、
恋心を燃やした男女も多かっただろう。

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礒部建多 13年11月24日放送



OLの曲

OLの教祖と呼ばれ
働く女性たちから多くの支持を受けている、
シンガーソングライター、古内東子。

本人がメディアに出ることは滅多にないが
その歌はテレビドラマのテーマとしてよく使われた。
古内の楽曲は、デビュー当時から変わる事なく、
恋愛に向かう女心をリアルに歌い続ける。

彼女の切なくも温かい音楽に、
OLたちは自分の体験を重ねながら、
聴いているのだ。
古内は言う。

 含みの美学、みたいなものが表れていると思います。
 自己投影できたり、少し余白があった方が
 気持ちを込めやすい気がしています。

古内のつくる余白は
恋や仕事に疲れたOLたちの心を癒し
優しく背中を押している。

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