トンネルを構想した男
今日、3月13日は
青函トンネル開通記念日。
青函連絡船が運行を開始した明治41年に
石川県で生まれた桑原弥寿雄(くわはらやすお)。
初めて青函トンネルを構想した男である。
鉄道マンだった桑原は戦前、
津軽海峡だけでなく、
日本と大陸をトンネルでつなぎ、
ヨーロッパまで鉄道を走らせるという
壮大な夢を見た。
戦争で夢は潰えるが、
心の炎は消えなかった。
バラバラになった日本をつなぐため
桑原は再び、青函トンネルを発案する。
完成を待たずに世を去った桑原。
しかしその思いが、トンネルをうがつ
エネルギーになったことは間違いない。
2016 年 3 月 13 日 のアーカイブ
澁江俊一 16年3月13日放送
田中真輝 16年3月13日放送
扁額
今日、3月13日は
青函トンネル開通記念日。
このトンネルの北海道側、本州側二つの入り口には
「扁額(へんがく)」と呼ばれる横長の額がかけられており、
そこには「青函隧道」という文字が記されている。
北海道側の文字を書いたのは
当時の内閣総理大臣、中曽根康弘。
本州側は運輸大臣、橋本龍太郎である。
青函トンネルが開通した1988年の1年前に
国鉄は民営化されているが、
この民営化計画を強力に推進し、実質的に
国鉄に引導を渡したのが、実は、この二人。
青函トンネルの両側に
この二人の文字が掲げられたとき、
旧国鉄の職員達は
新しい時代の到来を強く感じたことだろう。
澁江俊一 16年3月13日放送
飢餓海峡
今日、3月13日は
青函トンネル開通記念日。
1965年、
トンネル工事が進み始めた頃
津軽海峡を舞台にした、
ある映画が公開された。
内田吐夢監督「飢餓海峡」。
トンネル着工のきっかけになった
洞爺丸事故をモチーフにした
サスペンス超大作である。
戦後の貧困を生きた男と女の運命を
3時間を超えるストーリーにして
フィルムに焼き付けた。
上映時間が長すぎる、と
配給会社と騒動になったが映画は大ヒット。
日本映画史に輝く傑作となった。
津軽海峡には、
愛憎渦巻く人間模様がよく似合う。
澁江俊一 16年3月13日放送
ミスター海底トンネル
今日、3月13日は
青函トンネル開通記念日。
「ミスター海底トンネル」と
呼ばれた男がいる。
持田豊(もちだ ゆたか)。
映画「海峡」で高倉健が演じた
主人公のモデルと言われている。
海峡の底を掘って、
何年もかけてトンネルをつくる。
前例のない仕事をやり遂げるために
最も必要だったものは?と聞かれ
彼はこう語る。
トンネルを掘るのは機械ではなく、人間。
エラーをどれだけ許せる範囲で進めるか、
その懐の深さがもっとも重要。
田中真輝 16年3月13日放送
sjrankin
祝電
今日、3月13日は
青函トンネル開通記念日。
「海峡」は、
この青函トンネル建設の物語を描いた映画である。
高倉健、吉永小百合ら、スターが総出演する中、
総号令、岸田源助を演じたのが名優、森繁久弥。
彼は、青函トンネルが開通したとき、
こんな祝電を送っている。
「世紀の青函に風が通る。誰がなんと言おうと
この大事業に万歳を送る。讃えるべし、
人間の小さき力をもって、この大事業を
なしえたことを。遥か東京の空から盃をあげる。乾杯!」
「無用の長物」と罵られることもあった
当時の社会情勢の中、
森繁の力強い言葉は、トンネルマンたちの心の中を
爽やかな風となって吹き抜けたに違いない。
田中真輝 16年3月13日放送
*nog
悲しみという魅力
今日、3月13日は
青函トンネル開通記念日。
そのトンネルが潜り抜ける津軽海峡を歌った
名曲、津軽海峡・冬景色。
歌詞を書いた阿久悠は
かつてこう語ったことがある。
あの歌のせいで、
青森は暗く悲しいところだと思い込まれ迷惑している、
と言われて、僕はこう答えた。
悲しいと感じられる情緒は、
これ以上の名産はないかもしれない、と。
日本が経済至上主義になり、
風土や風情がなくなりかけていた時代、
悲しみさえ魅惑になりうると思ったのである。
時を越えて、誰もがこの曲に心揺さぶられるのは、
失われゆくものへの哀切に、
日本人としての、いや人としての
魂が共鳴するからかもしれない。
澁江俊一 16年3月13日放送
sjrankin
世界一過酷な海峡
今日、3月13日は
青函トンネル開通記念日。
オーシャンズセブンをご存知だろうか?
世界オープンウォーター協会が定めた
世界7大海峡である。
ジブラルタル海峡、ノース海峡、
クック海峡、ドーバー海峡、
カタリナ海峡、モロカイ海峡、
そして日本の津軽海峡。
この7つの海峡すべてを
世界で初めて泳いで渡ったのが
アイルランド人、ステファン・レッドモンド。
2012年、4度目の挑戦で
最後に泳ぎ切った津軽海峡は、
どの海峡よりも流れが速く、
最も過酷だったという。
田中真輝 16年3月13日放送
Risto Kaijaluoto
無名の手
今日、3月13日は
青函トンネル開通記念日。
ここに一人の男がいる。
青森県、今別町(まち)生まれ。
23歳のとき、
漁師をやめて青函トンネルを掘る仕事に就いた。
結婚したばかりで、
来年の春には子供が生まれる予定だった。
トンネルの中は暑く湿っていて、
いつも海鳴りのように採掘の音が響いていた。
毎日男は穴を掘り続けた。
夜勤のあとに見る眩しい朝日が好きだった。
事故があった。友を失った。それでも掘り続けた。
やがて最後の発破が鳴り響く。トンネルに風が吹いた。
息子は、はたちになっていた。
そんな男の名前を、誰も知らない。
世界は、そんな無名の人間の、無数の手で作られてきた。
世界はそうして作られていく。これからも。