2016 年 8 月 13 日 のアーカイブ

永久眞規 16年8月13日放送

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昆虫採集 養老孟司

夏を彩るセミの声。
その声が年々減っていることに
気を留める人は、どれほどいるのだろう。

現代人にとって虫はいないも同然になった、
と憂うのは脳科学者の養老孟司。

虫好きとしても知られる彼は、
人々がそんな小さな生命に
思いを寄せるきっかけになればと、
鎌倉の建長寺に「虫塚」をつくった。
毎年6月4日の「虫の日」には
昆虫採集家たちが集まり、
虫を供養する法要が営まれている。

たかが虫に、と思うだろうか。

けれど、騒々しいセミの声が聞こえない夏が
どれほど味気のないものになるか想像してみてほしい。

私たちは虫の音で季節を感じ、
虫を通して自然と共生してきたのだ。


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福宿桃香 16年8月13日放送

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昆虫採集 田淵行男

山岳写真家であり、
蝶の研究者でもあった田淵行男。
4歳で母を亡くし、
幼少期のほとんどを外で過ごした彼にとって、
虫は一番の友達だった。
自らの誕生日の6月4日を勝手に「ムシの日」と呼び、
虫との絆を自慢していた程である。

ある時いつものように虫を追いかけていると、
巨大な青紫の羽を広げたオオムラサキが
田淵少年の虫取り網をひらりとすり抜けた。
彼が蝶の虜になった瞬間だ。

やがて、蝶は彼の生きがいになっていく。
わずか13歳にして、母についで父を亡くした時も。
戦争で強制疎開を命じられた時も。
パーキンソン病を患った時も。
蝶を探して山に登っている間は、すべてを忘れられた。

生涯をかけた蝶探しの旅と新発見の数々は
国内外で広く称えられたが、
当の本人は、何度も幼少期をやり直せたかのようで
ただ嬉しかったと、静かに笑っていたという。


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村山覚 16年8月13日放送

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昆虫採集 手塚治虫

自分のペンネームに「虫」という字を入れるほど
昆虫を愛した漫画家、手塚治虫。

子どもの頃から天才的に絵が上手だった手塚少年は
山でつかまえた昆虫や、昆虫館でみた珍しい虫を、
丹念にデッサンした。チョウの翅の赤色を再現するため
指をナイフで切り、絵の具にしたことも。

中学3年の時に「昆蟲つれづれ草」という本を作った。
昆虫エッセイや昆虫イラストは大人顔負け。
その中の一篇を紹介しよう。タイトルは「小さな剣士」。

 こちらを向いてじっとしているさまは、
 まるで一寸法師が鬼に向かっているか、
 小人島の剣士が大男を向こうにまわして
 闘おうとしているか、とにかく面白い。
 よく見るとなかなか立派な服装だ。
 だんだら縞の服に黒いビロードの胸着、
 ハイカラな角帽子をちょこんと載せた頭。


これはハエの一種、メバエの観察記。
手塚が後にうみだすマンガやアニメを彷彿とさせる。

昆虫はよく宝石に例えられるが、マンガの神様にとっては
キャラクターの宝庫でもあった。彼が生涯で描いた700もの
作品のうち、180作品に昆虫が登場するというのだから。


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藤本宗将 16年8月13日放送

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昆虫採集 南方熊楠

博物学者、南方熊楠。
「歩く百科事典」とも呼ばれた彼の知識欲は、
少年時代から旺盛だった。

ただし学校の勉強はあまり熱心ではなく、
野山を歩き回っては
昆虫や植物の採集に没頭。
たとえ通学途中でも
気になる生き物を見つけると
その場で弁当を食べてしまい、
空になった弁当箱につめていたという。

海外で学者として認められたあとも
熊楠は再び故郷和歌山の野山に戻り、
多くの標本を残している。

人々が気にもとめない
ちいさな生命を見つめ続け、
あらゆる知識を「採集」しつづけた熊楠は
どのような結論に至ったのか。

それは、こんな短い言葉に込められている。

「世界に不要のものなし」


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