2016 年 8 月 21 日 のアーカイブ

小林慎一 16年8月21日放送

160821-01
ドラッガーを初めて認めた男篇

後に、経営学者として不動の地位を得る
ピーター・F・ドラッガーは
1927年にウィーンの有力な経済雑誌「国民経済」に
論文を投稿する。

彼は、当時、18歳だった。

名門の誉れの高いウィーン学者が占める編集者たちにとって
その原稿をボツにする理由は、
18歳の少年が書いたというだけで十分だった。

論文には、誇大妄想をばかりを語る、ぽっと出の政治家だった
アドルフ・ヒットラーがドイツの人々の心をとらえるだろうと予測してあった。

ヒットラーの言っていることの中には、
混乱の時代の処方箋になると、ドイツ国民が感じる可能性があると
論じていた。

また、イギリスのマイナーな経済学者であったケインズが
社会的な影響力を持つだろうとも書いてあった。

この原稿は、ブタペストから亡命してきていた経済人類学者であり
副編集長だったカール・ポランニーだけが評価し、ドラッガー少年をディナーに誘った。

芋だけの生涯で一番まずしいディナーだった、
とドラッガーは後に語っている。

その夜、ポランニーとドラッガーは、
ヒットラーとケインズの登場という重大な予測について語り、
そして、2人の失敗についても語り合ったという。


topへ

小林慎一 16年8月21日放送

160821-02
経済人類学篇

経済人類学という学問をご存知だろうか。

経済人類学は
ブタペスト出身の弁護士であり学者であった
カール・ポランニーによって構築された。

経済も社会に埋め込まれていると考え、
人類学的フィールドワークから
経済活動を明らかにしていく学問として始まった。

2001年に彼の著書「大転換」が再び出版され、
ポランニーの社会統合の概念は
現代社会でも有効であると再評価されている。

日本を代表する経済人類学者・栗本慎一郎は、
「人間とは何か」を第一義に考える経済人類学は
細分化・専門家してしまった学問を統一し
人類の問題を包括的にとらえる可能性のある
学問であると語っている。


topへ

小林慎一 16年8月21日放送

160821-03 Clearly Ambiguous
貨幣篇

カール・ポランニーから端を発する経済人類学は
貨幣の成立にも独特の説をとっている。

原始的な社会では、
お互いに足りないものを補うために物々交換が行われ、
社会が発展するにつれて、持ち運びに便利な貨幣が発明された、
という立場をとらない。

ある共同体と共同体が交わった時、不安と緊張が生まれる。
そのよそ者への畏怖の念は、鬼や山姥などにシンボライズされ、
平和への意思表示として贈り物、つまり、お供えものが
境界線上に置かれる。

贈り物をされた方には、借りができ、その借りを返すために、
貨幣が登場した。

支払いとは、「祓いたまえ、清め給え」の祓いであり、
貨幣の幣の字は、お祓いを意味する。
英語のpayは「鎮める・なだめる」という意味を持つ
pacifyが語源である。

子安貝や金や銀が貨幣になったのは貴重だからではなく、

経済人類学は、
呪術的に魔を祓う力が強いものが選ばれたと説明する。

日本では金よりも銀が、重宝された。


topへ

小林慎一 16年8月21日放送

160821-04
文字の成立篇

栗本慎一郎は、その著書で、
文字と法律が生まれた理由の
経済人類学的な説明をしている。

まず、文明が高度になると文字が発明されるという
考え方を否定する。

西アフリカの王国ダホメでは、
極めて精密な政治体制や経済運営を行っていた。

有名な奴隷貿易ではヨーロッパの列強諸国を翻弄し
経済の近代化という意味では
イギリスやフランスよりも上といっても過言ではなかったという。

しかし、ダホメには19世紀になっても、文字はなかった。

古代4大文明にはみな文字があった。
そして、その共通の特徴は、異なった文化を持つ部族を制圧し、
統一国家をつくったことにある。

異なる部族が混在するからこそ、
正しい、つまり、征服者に都合のいい歴史を書き残す必要があり、
ハムラビ法典のように決まりごとが書いてある法が必要になったのである。

日本で文字が生まれるのは6世紀半ばである。


topへ

小林慎一 16年8月21日放送

160821-05
生物としての人篇

経済人類学者カール・ポランニーの弟である
マイケル・ポランニーは
感情、道徳、哲学も、広くは生物学の中で
語られなければならない、と述べている。

生物は機械そのものではないが、機械的な原則に基づいている。
そして、その機械的な原則は、より上位の原則により支配されている。

人にはアメーバやワニだった時代の法則が生きていて、
マンモスと戦ったころの記憶を持っている。

生物を司る物理的・化学的な一番下の層から、
人が人に進化するあらゆる生物的な層が積み上げられて
人ができている。

この考え方を、栗本慎一郎は、「層の理論」と呼んでいる。

ポランニーの友人だったアーサー・ケストラーは、
その著書「機械の中の幽霊」で

同じ部品、同じ工程で組み立てたれた機械であっても、
誤差の範囲を超えて、違う動作をすることを統計的に分析した。

ケストラーは、機械にも霊的なものが宿ると結論づけている。


topへ

小林慎一 16年8月21日放送

160821-06
過剰と蕩尽篇

人は人になった時から
生存に必要以上のものを生み出し続けている。

そのような行動をとる動物は人だけである。
経済学は、生産の効率化と大規模化で説明しているが
そもそもなぜ必要以上なものを生み出すのか
という説明にはなっていない。

栗本慎一郎が専門にする経済人類学には
「過剰・蕩尽理論」という重要な説がある。
蕩尽とは、使い尽くすという意味である。

人は、ワザと過剰なものをつくりだし、それを、蕩尽する時に、快楽を感じる。
それは、積み上げた積み木を壊す時の、子供の喜びと同じ種類だと言う。

普通の日は、働き、過剰を溜め込み、
溜め込まれた物や人間のエネルギーを、
非日常の日に消費し、破壊する。

そのような祭りは、古代や未開社会だけでなく、
現代社会にも数多くある。

暑い夏。
それは、蕩尽の季節でもある。


topへ


login