小林慎一 16年8月21日放送

160821-01

ドラッガーを初めて認めた男篇

後に、経営学者として不動の地位を得る
ピーター・F・ドラッガーは
1927年にウィーンの有力な経済雑誌「国民経済」に
論文を投稿する。

彼は、当時、18歳だった。

名門の誉れの高いウィーン学者が占める編集者たちにとって
その原稿をボツにする理由は、
18歳の少年が書いたというだけで十分だった。

論文には、誇大妄想をばかりを語る、ぽっと出の政治家だった
アドルフ・ヒットラーがドイツの人々の心をとらえるだろうと予測してあった。

ヒットラーの言っていることの中には、
混乱の時代の処方箋になると、ドイツ国民が感じる可能性があると
論じていた。

また、イギリスのマイナーな経済学者であったケインズが
社会的な影響力を持つだろうとも書いてあった。

この原稿は、ブタペストから亡命してきていた経済人類学者であり
副編集長だったカール・ポランニーだけが評価し、ドラッガー少年をディナーに誘った。

芋だけの生涯で一番まずしいディナーだった、
とドラッガーは後に語っている。

その夜、ポランニーとドラッガーは、
ヒットラーとケインズの登場という重大な予測について語り、
そして、2人の失敗についても語り合ったという。

タグ:

«    »

topへ

コメントをどうぞ

CAPTCHA



login