2016 年 9 月 10 日 のアーカイブ

村山覚 16年9月10日放送

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Nuwandalice
かつてないをつくる人 田尻智

ポケモンの生みの親、田尻智。
20年以上前のこと。ポケットモンスターの企画をしていた彼は、
ゲームが市民権を得ていないと感じていた。そして同時に、
ゲームの歴史を変えたい、世の中を変えたいと本気で思っていた。

  子供向けのゲームを作るというよりは、
  その辺を歩いているおばちゃんに
  「草むらからこんなモノが」っていう話をして、
  そのおばちゃんが「どれどれ」って興味を
  持つんだったらいけるんじゃないか。

小さなモンスターとゲームクリエイターは、
ゲームの歴史だけではなく、世の中の景色まで変えた。
世界のあちこちで、大人も、子どもも、おばちゃんも、
「どれどれ」とポケモンワールドをのぞきこんでいるのだから。

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村山覚 16年9月10日放送

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kyu3
かつてないをつくる人 石原恒和

ポケモンのプロデューサー、石原恒和。
ゲームソフトだけではなくアニメや映画、グッズなど、
あらゆるポケモンコンテンツをプロデュースしてきた
彼はこう語る。

 ポケモンがこれからも続いていくポイントは
 これまでになかった新しい遊びを生み出すこと

ポケットモンスターの第一作は、少年サトシが
自宅一階のリビングに降りていくところから始まる。
そこでは、映画「スタンド・バイ・ミー」が流れていて、
少年は旅立ちを決意する。
「スタンド・バイ・ミー」も「ポケモン」も
少年が街に飛び出し、経験を積み、友情を育む物語だ。

今年、ポケモンは新しい遊び、というよりも新しい社会現象を
生み出した。20年前に街へと飛び出した少年サトシのように、
人々は街へと繰り出した。

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永久眞規 16年9月10日放送

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Mark Giuliucci
かつてないをつくる人 山内溥

ババ抜き、七並べ、大富豪。
子供の頃、誰もが遊んだことのあるトランプも、
かつては大人の遊び「賭博」の象徴だった。

そのトランプに目をつけたのは、
当時任天堂の社長だった山内溥だ。

これは「賭博」以上の何かになりえるぞ。

そう考えた山内は、ある工夫をトランプに加えた。
それは、「プレイガイド」をつけること。
トランプの遊び方が書かれた説明書をオマケにつけて販売したのだ。

山内に考えは見事にあたり、瞬く間に子供を中心に大ブームに。
トランプは大人の賭博から、みんなのゲームになったのだ。

「トランプ」というハードに、
「プレイガイド」というソフトをつける。
後に任天堂が世界に名を馳せる基礎となった、
コンピューターゲームにも通じる考えだ。

カリスマ経営者として語られる山内は、
ゲームクリエイターとしても一流だったようだ。

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福宿桃香 16年9月10日放送

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sinkdd
かつてないをつくる人 江口勝也

「どうぶつの森」のプロデューサー、江口勝也。
敵もいなければ、エンディングもない―
全く新しい形のこのゲームは、江口のこんな思いから生まれた。

子どもと一緒にゲームをすれば楽しいことがわかっていても、
仕事が忙しくて、それができない。
だったら、お母さんや子どもが遊んだあとに
自分が遅い時間に帰ってきて遊ぶことで、
何かが重なりあうようなものができないだろうか。

こうして江口が辿り着いたのが、
ひとつの街に複数のプレイヤーが暮らす、というゲームである。

特に徹底したのは、現実と同じように時間が流れる街だということ。
遊ぶ時間によって設定が変わるようにしたことで、
たとえば、街のスーパーが閉まった後の時間にしか遊べないお父さんのために、
昼間のうちに子どもが商品を買って、手紙でプレゼントしたり。
帰宅したお父さんが、夜中にしか現れないサカナを釣って、
こどもの家の前に置いておいたり。
そんな家族のコミュニケーションを次々と生みだしたのだ。

江口の、ひとりの父としての願いから誕生したどうぶつの森は、
今日も日本中で、家族の時間をつくっている。

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藤本宗将 16年9月10日放送

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drip&ju
かつてないをつくる人 横井軍平

かつてゲーム&ウオッチをヒットさせ、
その後の任天堂の道筋をつくった横井軍平。

しかしそのとき彼が変えたのは、ゲームの歴史だけではなかった。

横井のもうひとつの重大な発明。
それはゲーム&ウオッチで初めて採用された「十字キー」だ。
手元を見ずに親指の感覚だけで
上下左右、斜めにと自在に操作ができる。

その画期的なアイデアにビル・ゲイツも驚いたといい、
ゲーム機だけでなく、リモコンなど様々な機器でいまも使われている。

横井はかつてこう語っていた。

 世界に一つしかない、
 世界で初めてというものを作るのが、私の哲学です。
 それはどうしてかというと、
 競合がない、競争がないからです。

ゲームの父は、誰よりもゲームの勝ち方を知っていたのだ。

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