「プラネタリウム解説員/河原郁夫」104歳まで
5
86歳で現役プラネタリウム解説員の河原郁夫。
星空解説を60年以上続けてきた。
私の健康がゆるす限り、この仕事を続けていたいと
思っています。希望は104歳まで。
2035年の9月2日、10時5分から10分にかけて、
新潟の糸魚川と茨城の水戸を結ぶ線上付近で
皆既日食を見ることができる。
皆既日食は1年に一度、地球上のどこかで
見ることができるが、日本で見えるのは、
そのタイミングだ。
美しいコロナを肉眼で見るチャンスです。
それまでは元気でいるつもりですよ。
河原は、いまでもプラネタリウムに入るとわくわくする、という。
2017 年 10 月 7 日 のアーカイブ
大友美有紀 17年10月6日放送
大友美有紀 17年10月6日放送
「プラネタリウム解説員/河原郁夫」大事なもの
4
私は、人間が生きていくために大事なものが
プラネタリウムの中にあるんじゃないかと
思っているんです。
すぐに何かの役に立つというものでは
ないですけれど。
ときには星の光のことを考えてみる。
七夕の織女星の光が地球に届くまで
25年ほどかかります。
はくちょう座のデネブという星にいたっては
1424年もかかります。
今いる人間が誰も生まれていない時代の光を
今晩見ているんです。なんてすごいこと。
人生がいかに短いか、わかってきます。
86歳の現役プラネタリウム解説員、河原郁夫は、
小学校4年生のときに「プラネタリウム」という仕事を
見つけられて、本当に幸運だったという。
一生続けられるものがあると、短い人生が豊かになるから。
大友美有紀 17年10月6日放送
「プラネタリウム解説員/河原郁夫」天文好きで有名
3
「かわさき宙(そら)と緑の科学館」で
プラネタリウム解説員を務める河原郁夫。86歳。
小学生の時から天文好きで有名だった。
あるとき、家で日食を観察するために、
学校をさぼったことがある。
それでも先生からはおとがめなし。
河原、日食は見えたか。
じゃあ観測結果を発表しろ。
と怒りもしなかった。
「好きだ、好きだ」とやっていると、
周りが認めてくれる。
黙っていたら誰にも助けてもらえない。
好きなことはどんどんやること。
すると道が開ける。
意志あれば道ありだ。
大友美有紀 17年10月7日放送
「プラネタリウム解説員/河原郁夫」ボール紙の望遠鏡
2
86歳の現役プラネタリウム解説員、河原郁夫は、
幼い頃、貧しくて食べるものもない時代、
星がきれいだったことが救いだった。
あの星の光が地球に届くまで何年かかるのだろう。
あの惑星には生物はいるだろうか。
そんな想像をしながら星を眺めていると
辛いこともみんな忘れられました。
小学校5年生になると河原少年は、
自分で望遠鏡を作って星の観察を始める。
筒はボール紙、三脚はカメラのもの。
合計10台ぐらい。
家の物干し台を「河原天文台」と呼んで
観測基地にしていた。
夢中になれるものがある。
それは幸運だと、河原はいう。
大友美有紀 17年10月7日放送
「プラネタリウム解説員/河原郁夫」プラネタリウムとの出会い
1
昭和15年、河原郁夫は小学4年生、
父親に連れられて、有楽町に出来たばかりの
プラネタリウムにでかけた。
こんなに素晴らしいものがあるのかと思った。
星空を映す大きなドーム。
真ん中にはドイツ製の大きな投影機。
BGMは「ツィゴイネルワイゼン」。
河原少年はその空間すべてが気に入ってしまった。
当時、戦時中で灯火管制をしていましたから、
空が真っ暗で、星がよく見えたものです。
本当にプラネタリウムで教わったとおりに見えた。
おかげでたちまち星座を覚えました。
河原郁夫、86歳。
「かわさき宙(そら)と緑の科学館」で
プラネタリウム解説員を務めている。