2017 年 10 月 のアーカイブ

蛭田瑞穂 17年10月8日放送

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海外に暮らす④:パリのしめ鯖

日本人シャンソン歌手の第一人者、
石井好子のエッセイ集『パリ仕込みお料理ノート』には
1950年代に数年間暮らしたパリでの暮らしが、
食べ物の思い出とともに綴られている。

石井はパリの魚屋で鯖を見つけると、
自宅でよく、しめ鯖をつくったという。

薄皮をむき、中骨を取り、鯖の身を三枚におろす。
そのときどうしても手を使わざるを得ないのだが、
手についた鯖の匂いは一日中消えない。

フランスの男性は手の甲にキスをする習慣があるため、
しめ鯖をこしらえた日は大変に気まずかったとのこと。

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佐藤日登美 17年10月8日放送

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海外で暮らす③:エッフェル塔

フランスに住む、作家でミュージシャンの辻仁成。
実は、フランスに渡ってもう15年が経つ。
その間、離婚を経験し、
母親の代わりをしながら息子と二人、パリで暮らした。

悩んだとき、悲しくなったとき、困ったとき、
辻はエッフェル塔を見上げたという。
そうすると、不思議と心が落ち着き、元気になった。

辻は、エッフェル塔についてこう語る。

そこにエッフェルさんがいる。
彼女は母のようなやさしさで私たちを見下ろしている。
いや、世界中の人たちを毎日やさしく見守っているのだ。

いつのまにか自分よりも背丈が伸びた息子とともに、
辻は今日もパリで生きている。

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佐藤日登美 17年10月8日放送

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海外で暮らす②:フランス人とストレス

中学生の息子と二人、フランス・パリに住む
作家でミュージシャンの辻仁成。

ある日、フランスの友人バンサンに
「フランス人はなぜストレスがないの? 」と聞いてみた。

フランス人はね、一年中バカンスのことを考えてるから、
ストレスを抱える暇がないんだよ。
人生を楽しむことがストレスに勝つ唯一の方法だよ。
ムッシュ〜辻、一度しかない人生大切にしてください!

生真面目に生きる日本人たち。
海外に暮らすと、少し視点が変わるかも。

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佐藤日登美 17年10月8日放送

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海外で暮らす①:息子よ。

作家、ミュージシャン、演出家。
様々な顔を持つ辻仁成はいま、フランス・パリで
中学生の息子と二人で暮らしている。

毎日更新されるTwitterには
パリ生活の様子、仕事の話、
辻の手作り料理の写真などがアップされる。
そのなかで、ときおり「息子よ。」と始まるツイートが流れてくる。

たとえば。

息子よ。
いってきます、の一言がなぜ大切かというと、
必ず帰ってきます、と父ちゃんを安心させるためにだよ。
ご馳走さまでした、は父ちゃんをいい気分にさせてまた美味しいものにありつくために。
おやすみなさい、は父ちゃんもどうぞお疲れでしょうから寝てください、の、
おやすみなさい、なんだよ!笑。

父と子、たった二人の海外暮らし。
息子への言葉に、親子の絆がうかがえる。

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大友美有紀 17年10月6日放送

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「プラネタリウム解説員/河原郁夫」104歳まで

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86歳で現役プラネタリウム解説員の河原郁夫。
星空解説を60年以上続けてきた。

 私の健康がゆるす限り、この仕事を続けていたいと
 思っています。希望は104歳まで。

2035年の9月2日、10時5分から10分にかけて、
新潟の糸魚川と茨城の水戸を結ぶ線上付近で
皆既日食を見ることができる。
皆既日食は1年に一度、地球上のどこかで
見ることができるが、日本で見えるのは、
そのタイミングだ。

 美しいコロナを肉眼で見るチャンスです。
 それまでは元気でいるつもりですよ。

河原は、いまでもプラネタリウムに入るとわくわくする、という。

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大友美有紀 17年10月6日放送

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「プラネタリウム解説員/河原郁夫」大事なもの

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 私は、人間が生きていくために大事なものが
 プラネタリウムの中にあるんじゃないかと
 思っているんです。
 すぐに何かの役に立つというものでは
 ないですけれど。

 ときには星の光のことを考えてみる。
 七夕の織女星の光が地球に届くまで
 25年ほどかかります。
 はくちょう座のデネブという星にいたっては
 1424年もかかります。
 今いる人間が誰も生まれていない時代の光を
 今晩見ているんです。なんてすごいこと。
 人生がいかに短いか、わかってきます。

86歳の現役プラネタリウム解説員、河原郁夫は、
小学校4年生のときに「プラネタリウム」という仕事を
見つけられて、本当に幸運だったという。
一生続けられるものがあると、短い人生が豊かになるから。

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大友美有紀 17年10月6日放送

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「プラネタリウム解説員/河原郁夫」天文好きで有名

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「かわさき宙(そら)と緑の科学館」で
プラネタリウム解説員を務める河原郁夫。86歳。
小学生の時から天文好きで有名だった。
あるとき、家で日食を観察するために、
学校をさぼったことがある。
それでも先生からはおとがめなし。
 
 河原、日食は見えたか。
 じゃあ観測結果を発表しろ。
 と怒りもしなかった。

「好きだ、好きだ」とやっていると、
周りが認めてくれる。
黙っていたら誰にも助けてもらえない。
好きなことはどんどんやること。
すると道が開ける。
意志あれば道ありだ。

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大友美有紀 17年10月7日放送

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「プラネタリウム解説員/河原郁夫」ボール紙の望遠鏡

86歳の現役プラネタリウム解説員、河原郁夫は、
幼い頃、貧しくて食べるものもない時代、
星がきれいだったことが救いだった。

 あの星の光が地球に届くまで何年かかるのだろう。
 あの惑星には生物はいるだろうか。
 そんな想像をしながら星を眺めていると
 辛いこともみんな忘れられました。

小学校5年生になると河原少年は、
自分で望遠鏡を作って星の観察を始める。
筒はボール紙、三脚はカメラのもの。
合計10台ぐらい。
家の物干し台を「河原天文台」と呼んで
観測基地にしていた。
夢中になれるものがある。
それは幸運だと、河原はいう。

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大友美有紀 17年10月7日放送

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「プラネタリウム解説員/河原郁夫」プラネタリウムとの出会い

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昭和15年、河原郁夫は小学4年生、
父親に連れられて、有楽町に出来たばかりの
プラネタリウムにでかけた。
こんなに素晴らしいものがあるのかと思った。
星空を映す大きなドーム。
真ん中にはドイツ製の大きな投影機。
BGMは「ツィゴイネルワイゼン」。
河原少年はその空間すべてが気に入ってしまった。

 当時、戦時中で灯火管制をしていましたから、
 空が真っ暗で、星がよく見えたものです。
 本当にプラネタリウムで教わったとおりに見えた。
 おかげでたちまち星座を覚えました。

河原郁夫、86歳。
「かわさき宙(そら)と緑の科学館」で
プラネタリウム解説員を務めている。

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佐藤延夫 17年10月1日放送

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住まいが語るもの/谷崎潤一郎

近代文学の作家は、
引越しを好む者が多かったが、
その中でも群を抜くと言われているのは
谷崎潤一郎だ。

三人目の妻、松子夫人と暮らした住居、倚松庵は、
転居に次ぐ転居の中で、比較的長く滞在したと言える。
応接間は全てフローリング。
ドアにはステンドグラスがはめ込まれ、
冬は備え付けの薪ストーブに火を入れた。

「細雪」を執筆した当時の住まいであり、
部屋の細部まで作中に描写されている。

家は、作品に奥行きを与える。

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